『著作集』 V ol.1(PDF 100KB)『小説』
葛西善蔵著。『浮浪』、『哀しき父』、『椎(しい)の若葉』。印刷A4用紙19枚、400字詰原稿換算93枚。
明治20年1月16日、青森県中津軽郡弘前(ひろさき)町(現弘前市)に生まれる。歌棄(うたすつ)、酔狸州(すいりしゆう)の別号がある。北海道での放浪生活ののち上京。哲学館(現東洋大学)中退。徳田秋声に師事し、相馬御風(ぎよふう)を紹介されたのが縁で早稲田大学英文科の聴講生となり、光用穆(みつもちきよし)ら後の『奇蹟(きせき)』同人と相識(し)る。その創刊号(1912.9)に処女作『哀しき父』を発表、貧窮と一家離合を重ねるなかで『子をつれて』(1918)を書き、文壇に名をなす。芸術こそが「生活であり、宗教であり、心の糧であり、絶対の権威である」(舟木重雄あて書簡)とする葛西は、早く友親を絶して文芸のなかに強烈な自我の主張を志すのだが、同時にそれは、自虐とエゴイズムの悪循環による破滅型私小説作家としての宿命を生きることであった。『遁走』『馬糞石(ばふんせき)』『不能者』『愚作家と喇叭(らつぱ)』など、主として身辺に取材したものだが、一方に飄逸な味わいを失わぬ作風は、優れて的確な描写力と相まって「早稲田志賀」の呼称を生んだ。寡作家であったための貧と病苦を紛らす酒とによってしだいに敗滅の相を深めてゆくが、滅びることを恐れぬ反俗の厳しさのゆえに、「苛烈味の文学」ともいわれた。昭和3年7月23日、文字どおり陋巷(ろうこう)に窮死することになるが、その滅びゆく姿を彼は『椎(しい)の若葉』『湖畔手記』(ともに1924)などの名編に書き残している。口述筆記に頼りながらも、その対象化の確かさと豊かな詩情とは衰えず、志賀直哉や芥川龍之介と並んで、大正期文学史にきわめてユニークな個性を刻むことになった。
「折々の随想」読者サービス本。