『党生活者』 V ol.1(PDF 102KB)『小説』
小林多喜二著。印刷A4用紙38枚、400字詰原稿換算169枚。「青空文庫」より。
 明治36年10月13日、秋田県下川沿(しもかわぞえ)村(現大館(おおだて)市)の没落農家に生まれる。4歳のとき一家は伯父を頼って北海道小樽市へ移住。伯父の援助で小樽商業学校、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業、北海道拓殖銀行に勤務。少年時代から校友会誌や回覧雑誌、文壇の投稿雑誌に作品を掲載、また同人誌『クラルテ』も創刊。この間、志賀直哉(なおや)に傾倒し、さらにゴーリキー、葉山嘉樹に影響され、社会科学の勉強も積んでプロレタリア文学へと進み出、労働運動にもつながった。1927年(昭和2)労農芸術家連盟(分裂後は前衛芸術家同盟)に加入、中編『防雪林』(生前未発表)を書く。三・一五事件で検挙拷問された小樽の労働者群像を描いた『1928年3月15日』(1928)を全日本無産者芸術連盟の機関誌『戦旗』に発表し一躍注目を浴び、続けて『蟹(かに)工船』(1929)、『不在地主』(1929)の力作を発表、左翼文学の最前衛となったが、拓銀を解雇され翌春上京。『工場細胞』(1930)発表直後に逮捕され、治安維持法違反容疑で5か月間収監された。31年出獄後『オルグ』『独房』『安子』(ともに1931)などで文学運動の先陣にたち、日本プロレタリア作家同盟書記長となり、日本共産党に入党後は日本プロレタリア文化連盟の結成に尽力した。32年春、地下活動に入り、文化団体の党グループ責任者として『右翼的偏向の諸問題』(1932)など多くの評論を書き、大作『転形期の人々』(1931〜32)に取り組んだ(序編だけで未完)。33年(昭和8)2月20日、スパイの手引きで逮捕され、即日拷問で殺された。
「折々の随想」読者サービス本。
『著作集』 V ol.1(PDF 38KB)『小説』
小林多喜二著。『テガミ』、『父帰る』、『争われない事実』、『疵』、『級長の願い』。印刷A4用紙21枚、400字詰原稿換算103枚。「青空文庫」より。
「折々の随想」読者サービス本。