『母子叙情』 V ol.1(PDF 228KB)『小説』
岡本かの子著。
400字詰原稿換算230枚,印刷A4用紙47枚。
 明治22年3月1日、東京に生まれる。跡見女学校入学のころより『文章世界』『読売新聞』文芸欄などに短歌、詩を投稿。第二次『新思潮』に属する次兄雪之助(大貫晶川(おおぬきしようせん))とその友人谷崎潤一郎の影響を受ける。同女学校卒業後、1906年(明治39)与謝野鉄幹、晶子の新詩社に加わり、『明星』から浪漫派歌人として出発、同誌廃刊後は『スバル』同人となる。 東京美術学校の画学生岡本一平を知り、1910年結婚。翌年長男太郎誕生。平塚らいてうに誘われ青鞜社に参加。同社より木版手刷りの処女歌集『かろきねたみ』(1912)を上梓。一平が『朝日新聞』に漫画連載を始め、経済的な安定を得るが、夫妻間の自我の葛藤で家庭は危機に瀕し、14年(大正3)前半、かの子は強度の神経衰弱で入院、療養生活を送る。以後宗教に救いを求め、親鸞のほか仏教各派を研究、独自の生命哲学に赴いた。第二歌集『愛のなやみ』(1918)刊行。以後10年ほどは仏教思想家、歌人として活躍、また戯曲や小説の試作を始める。第三歌集『浴身』(1925)。29年(昭和4)12月『わが最終歌集』を刊行後、一家でパリに遊学。ロンドン、ベルリンにも長期滞在した。32年、絵画修業中の太郎をパリに残し、アメリカ経由で帰国した。 以後も仏教関係の仕事に多忙であったが、芥川龍之介をモデルにした小説『鶴は病みき』(1936)を川端康成の推薦で『文学界』に発表、文壇にデビューした。ついで『母子叙情』(1937)は大きな反響をよび、さらに『花は勁(つよ)し』『過去世』『金魚撩乱』(ともに1937)、『老妓抄』(1938)、『家霊』(1939)など死に至る短期間に代表作の数々を発表した。1938年(昭和13)12月油壺の宿で脳充血に倒れ、翌年2月18日没。死後『河明り』『生々流転』(1939)、『女体開顕』(1940)などの遺稿が発表された。
「折々の随想」読者サービス本。
『著作集(一)』 V ol.1(PDF 186KB)『小説』
岡本かの子著。『鮨』、『鶴は病みき』、『越年』、『家霊』。400字詰原稿換算169枚,印刷A4用紙34枚。
「折々の随想」読者サービス本。
『著作集(二)』 V ol.1(PDF 157KB)『小説』
岡本かの子著。『鯉魚』、『富士』。400字詰原稿換算138枚,印刷A4用紙28枚。
「折々の随想」読者サービス本。
『著作集(三)』 V ol.1(PDF 170KB)『小説』
岡本かの子著。『老妓抄』、『金魚撩乱』、『みちのく』。400字詰原稿換算144枚,印刷A4用紙30枚。
「折々の随想」読者サービス本。
『食魔』 V ol.1(PDF 148KB)『小説』
岡本かの子著。400字詰原稿換算101枚,印刷A4用紙21枚。
「折々の随想」読者サービス本。