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〈拉致なんてないと言ってた人たちリスト〉2002年11月20日付(04年6月3日、リンク切れ追跡など一部加筆修正)
 ・文中、年数が書かれていないものは全て02年です。


■朝鮮総連と非公開組織
 朝鮮総連(国交がない日本において大使館的役割を果たす)は言うまでもなく朝鮮労働党の管轄下に置かれている。朝鮮総連とその管轄下にある非公開組織は工作員の拠点であり、拉致対象者を選ぶ役目も担っていた。
 北朝鮮に「帰国者」がいる在日朝鮮人を脅して工作活動に協力させる等、日本人だけでなく在日朝鮮人も巻き込んだ(韓光熙氏による「わが朝鮮総連の罪と罰」に詳しい)。
 ついでに言えば、近年、朝鮮労働党配下の朝銀が日本政府の公的投資を受けながらも次々に破綻したが、おかげで朝銀から朝鮮労働党に不正に送金されていたとされる、いわゆる「北朝鮮闇送金ルート」が機能しなくなった。これもまた金正日を「拉致謝罪」に追いつめた一因だろう。

社会民主党
 今さら言うまでもないが、社民党は旧社会党時代から北朝鮮の言いなりになって、拉致を捏造と主張、家族の活動を妨害してきた。
 それどころか、土井たか子事務所は「石岡亨さんが家族にあてた手紙」の件を朝鮮総連兵庫支部に連絡し、間接的に石岡亨さん・有本恵子さんらを窮地に追いやったと見られている(北朝鮮側は死亡と伝えてきたが、生きている可能性は十分ある)。
 社民党の日朝首脳会談についての見解(すでにリンク切れ)によると、
 【これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の二度にわたる訪朝団との会談で「拉致は存在しない」「行方不明者として調査する」と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追究を厳しく求めてきた。】
 ……とのことだが、こんなの大嘘。
 もし本当に拉致問題に真摯に取り組んできたのであれば、たとえば辻元清美「北朝鮮には補償を何もしていないのに、『9人、10人返せ!』ばかり言ってもフェアじゃない」という有名な発言、これなど党内で問題化されたはずだ。が、そんな形跡は全くない。
 月刊社会民主97年7月号「食糧援助拒否する日本政府」では、「拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件」と断定している。
 土井たか子が社民党党首として公に初めて謝罪したのは10月7日。それも田嶋陽子の離党会見の際に、記者に詰め寄られて……というものだった。

 首相だった当時に発生した阪神大震災で何にもせず、「初めてのことだったので」と信じられない逃げ口上をした村山富市は、99年に訪朝議員団団長となり、「拉致問題が片づかないから話が出来ないということでは、永遠に話はできない。日本はミサイルが飛んできて全てを断絶したが、隣の国が災害になって非常に困っているという時に食糧が足りないと言われれば、コメを送るというようなことは当然あってもいいのではないか」と発言。

 遡って90年、社会党副委員長だった田辺誠は金丸信と訪朝したが、その当時は「拉致を全く知らなかった」と、9/22付読売新聞で語っている。
 しかし、原さんを拉致した辛光洙が韓国で逮捕され、裁判で拉致の真相が暴かれ、日本で各紙が大々的に報道したのは85年であり、88年には国会でも「アベック行方不明事件は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と明確に政府が認定しているのに、「全く知らなかった」とはこれいかに。

 が社民党で一番のトンデモぶりを発揮したのは、2001年7月まで参議院議員だった田英夫ではないだろうか。
 月刊社会民主98年1月号「与党訪朝団報告 田英夫参議院議員に聞く 北朝鮮はいま」

 もうこれは全文お読みいただきたい。アホ丸出しだから(^_^;。
 例えば、拉致問題について警察庁の外事課長と話した時、外事課長が詳しい情報をあまり話したがらなかったのを、田英夫は「拉致事件には証拠がないから」と決めつけている。
 ……おいおい、田よ!親北朝鮮の社民党議員なんかに、警察が重要な情報を話せるわけなかろう。アホか!
 日本人妻の帰国問題についても、勘違いのオンパレード。「北朝鮮が日本人妻を帰国させない」のではなく、「温かく迎えてくれない日本の家族や親族のせいで、本人が帰りたがらない」と決めつけている。
 田はまたこう自慢している。
 【私はジャーナリストでしたから、ジャーナリストは真実を伝えることを使命にしてきたと思っているから、この北朝鮮問題も、北朝鮮の真実の姿を知って、そのうえで政治的判断をしていくというのが、社民党にしても自民党にしても、日本の政治の正しいやり方ではないか。そこが大前提です。その大前提が間違っているのがいまの日本の状態ではないか。社民党はその北朝鮮と仲よくしているのはけしからん、というふうにさえ言われてしまう。自分たちの大前提が間違っているのに、それに気づかずに、「あんな国と仲よくつき合っているやつは悪いやつだ」、そういう論理はそもそも間違っている。このことを強調したい。】
 ……さすがに田も、「大前提が間違っていたのは自分の方だった」ことに気づいただろうと思ったら、これが大間違い。
 10月8日付産経新聞でこんな事を言っているのだ。「拉致被害者家族の皆さんにはお気の毒だが、拉致問題を理由に国交正常化せず、平和の方向に行くことをとどめるべきではない。ご家族の感情はよくわかるが、一緒にするのは問題が違う」。呆れ果てるという他ない。

 その他、社民党がこれまでやってきたことについては、こちらも合わせて読んでみませう。
 11月18日「TVタックル」より佐々、平沢、西村VS社民党土井チルドレン2人(要旨)

日本共産党
 日本共産党は実は80年代には拉致問題を「事件」と認識していた。国会でも共産党議員が拉致問題について質問している。特に共産党員で国会議員秘書の兵本達吉氏は、拉致事件を熱心に調べていた。
 が、共産党は90年代になって主張を反転、「拉致は疑惑の段階でしかない」という論調に変わった。兵本氏も共産党を除名された。
 志位和夫委員長は、9月10日・11日放映(収録は9日)のCSテレビ『朝日ニュースター』で、「拉致問題については、いろいろなケースがありますが、疑惑の段階なのです」と発言している(志位自身のHPにそのインタビューが掲載されている)。
 17日、被害者家族の一人に名指しで責められたことを考えれば、共産党が方針を変更して以降、どれだけ拉致問題に冷たくなったかというのは、容易に想像できる。
 朝日新聞の項で後述するが、北朝鮮の「帰国事業」宣伝にも共産党は一役買った。昭和30年まで在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったから、日本共産党の宣伝は在日朝鮮人に大きな影響力を持っていたのだ。

■自民党の一部
 野中広務は1990年、金丸訪朝団の一員として北朝鮮を訪れて以来、国家公安委員長を含む政府と与党の要職を歴任しながら、日朝国交正常化を「ライフワーク」として取り組み、訪朝を重ね北朝鮮要人・朝鮮総連幹部とも接触を続けてきた。
 しかし、拉致問題解決を積極的に取り上げてこなかったどころか、97年11月の訪朝では「拉致」を「行方不明者」と言い換える北朝鮮のごまかしに積極的に加担した。
 99年12月に錦繍山記念宮殿を訪問した際には、まるで臣下のごとき次のような記帳をした。
 「ご生前中に三度にわたりご会見の栄を得ましたことに感謝し、金日成主席閣下の不滅の遺徳が、朝鮮民主主義人民共和国の永遠の発展と日本国との友好発展の上に、大いなるお導きを願い、永久不変万年長寿をお祈りします」(12/3付読売新聞より)。
 野中がこれまでやってきたこと(やってこなかったこと)、拉致問題を軽視した発言等については、こちらを。

 中年愚連隊倶楽部@静岡の中の「今日の主張」過去ログに的確な批判を見つけたので、一部引用させていただく。
 【あなたが親中であり親朝であること自由である。だが親日でないことは許されないことだと自覚されよ。北朝鮮に拉致された同胞の家族にあなたが浴びせた言葉は我々は決して忘れはしない。なおかつあなたが暗躍して朝銀の破綻に関して我々の血税を惜しげもなく投入しさらに拡大しようとしている動きを知らぬとでも思われるならばあなたの認識は甘いと言わざるを得ない。戦争責任を声高に叫ばれる前にご自身の言動を省みて一点の曇りもなくわが同胞に対する裏切りはないと断言できるかどうかあなたに問いたい。かつてあなたは政治を司る者として我々にその政策を披瀝することはなかった。ただただ憎悪感に満ちた罵詈雑言だけはしっかりと我々の耳には届いたことは確かに記憶にある。】

 中山正暉はかつて日朝友好議員連盟会長及び北朝鮮拉致疑惑救援議員連盟会長を務めていたが、「拉致問題は幽霊のように実態がないもの」などの北朝鮮寄り発言が多く、拉致被害者の家族の怒りを買い続けた。特に有本恵子さんの家族への対応はひどかった。
 そんな中山も97年11月の、森喜朗が団長の訪朝団に参加して帰国するまでは、被害者救出を声高に叫んでいた。急に変節したのは、この訪朝時に何かあったのだろうか?

 河野洋平は世論の反対を聞き入れず、北朝鮮にコメを送り続けた(もちろこれには野中広務加藤紘一も噛んでるが)。
 00年10月には北朝鮮に要請されたわけでも何でもないのに、「私の責任で」ってことで独断で北朝鮮に50万トンのコメ支援を決定した。その何ヶ月か何週間か前には、当時の森首相が「日本人拉致問題が進展しない限り、コメ支援はしません」と、被害者家族に約束してあったにも関わらずだ。
 「私の責任で」と言っていた河野だが、その責任はどうとるつもりなんだろうか?

 田中真紀子は自分の選挙区(新潟)で拉致被害者が4人も出たのに動こうとしなかった。
 00年10月に家族がコメ支援に反対して自民党本部前に座り込んだ際も、「50万トンじゃダメなのよ。100万トンでもあげればいい。外交にはタイミングが大事」と言った。
 そのうえ、01年に金正日の長男である金正男が不法入国した際は、外交カードとして使うどころか「とっとと追い出して!」。実際、すぐに国外退去させてしまった。

朝日新聞
 朝日新聞は昔から北朝鮮寄りで(昔は韓国を軍事国家と位置づけ叩いていた。今思えば信じられない話だが(^_^;)、1950年代に始まった北朝鮮の「帰国事業」の宣伝にも一役買った。
 これをすっかり信じて希望をふくらませて北朝鮮に帰国した在日朝鮮人及びその日本人妻や子供たちが、どのような目に遭ったか、遭っているかは、「大日本史番外編朝鮮の巻」が詳しい。
  ※
「大日本史番外編朝鮮の巻」はミラーサイトが多数存在します。
   もし上記がリンク切れになっていら、サーチエンジンで「大日本史番外編朝鮮の巻」と入れて追跡して下さい。
   とりあえず現在存在しているミラーをいくつか。
    http://www.geocities.co.jp/WallStreet/5502/jiji/
    http://www.interq.or.jp/writer/dororo/didi/
    http://www.geocities.co.jp/WallStreet/2114/jijisama/

 拉致問題が世間で騒がれるようになっても、朝日新聞だけはこの問題を無視し続けた。
 97年2月3日、産経の朝刊と同日発売のアエラが横田めぐみさんの実名をあげ、写真入りで拉致疑惑をスクープした。これを新聞各紙が夕刊で、テレビが夜のニュースで後追いし、拉致報道に火がついたのだが、その時も朝日新聞はベタ記事すら載せなかった。
 他紙並みにちゃんと扱い始めたのは、この春に「よど号」犯元妻が有本恵子さんの件で証言してからではないだろうか。が、それでもまだ「拉致疑惑」という言い方だった。
 アサヒ・コムが「拉致事件」という表現に切り替えたのは9月18日午前中である。

日教組
 社会党が訪朝した頃から、何度も訪朝団を出した。77年9月から10月にかけて、つまり横田めぐみさんが拉致された頃にも出している。91年11月には友好連帯の合意書も交わしている。
 01年に「つくる会」の教科書が物議をかもしたが、公民の教科書に拉致事件の記載がされていたことに対し、日教組の「教科書白書」は、「1ページをさいて北朝鮮による日本人拉致問題というコラムを意図的に掲載している」と批判。明らかに日教組は拉致事件を否定してきた。

■東大の和田春樹
 「世界」2001年2月号で拉致否定の論文を発表。横田めぐみさんや李恩恵などの情報や証言、ジャーナリストや識者の言動に難癖をつけ、「ほとんどの拉致事件には直接的な証拠はない」と言い切った。
 が、10/7付朝日新聞夕刊で「証拠が提示できなければ行方不明者として調査を求め続けるしかないと考えてきた」と言い逃れをしている。
 拉致被害者救援の全国協議会事務局長である荒木和博氏の証言。「和田本人に会った時、彼は『自分は歴史家だから、いろんな文献を検証するのが仕事である』という言い方をしていた。安明進の証言も重箱のすみをつっついて検証した、全体を見ていたわけではない、と。こういう連中と議論しても無意味」。

■東大の坂本義和
 00年8/14付の朝鮮総連系機関紙「朝鮮新報」のインタビューで、「先日、横田めぐみさんの両親が外務省に行って、まず拉致事件の解決が先決で、それまでは食糧支援をすべきでないと申し入れた。これには私は怒りを覚えた。自分の子どものことが気になるなら、食糧が不足している北朝鮮の子どもたちの苦境に心を痛め、援助を送るのが当然だ。それが人道的ということだ」と発言。
 これに関して横田さんが公開質問状を送ったところ、00年10/5に送られてきた坂本の回答は、「私のように戦中,戦後、飢えと栄養失調を経験した者としては、北朝鮮の子どもたちが飢えていても米を送るなと主張されたように受け取れ、衝撃を受けざるをえない」という小学生レベルの反応だったり、「『過去の清算』から始めなければ、『拉致疑惑』解決のために、事態が動き出さないのではないか」「問題解決のためには、金大中大統領の「太陽政策」が、正しい、また確かな方法」という北朝鮮の代弁者ぶりを発揮した空しいものでしかなかった。

■埼玉大(現在は大阪経済法科大)の吉田康彦
 吉田康彦のこれまでの主張。
 【横田めぐみさんの失踪事件は、韓国に亡命した北の工作員が平壌で聞いたという伝聞に基づくものであり、しかもその亡命工作員が特定されておらず、韓国安企部の情報操作に躍らされたというのが実態である】
 【疑惑発覚のタイミングがあまりにも絶妙で、正体不明の亡命工作員の証言なども信ぴょう性に乏しくいい加減だ。きわめて政治的な色合いの濃い仕掛け爆弾、政治工作だと考えられる】
 【拉致疑惑は日朝間のトゲとなっているが、従来この問題は反北朝鮮キャンペーンあるいは国交正常化反対運動に利用され、行方不明者の家族たちはその人質にとられたという側面がある】

 9月17日に金正日が拉致を認めて謝罪した後、吉田は慌てて自分のHPに載せてあった発言を削除し(吉田の発言が載った他のHPで削除されているものもある。削除依頼したのだろうか?)、20日に以下の弁明文を掲載した。
 【私の許には電話、メール等で、「拉致を“否定“してきたお前は言論に責任をとれ」とか「謝罪せよ」とかの怒りと抗議が多数寄せられていますが、私はこれまで一度も拉致を“否定”したことはありません。もし拉致を否定した私の論文、言説、その他証拠をお持ちでしたら、お示しください。ただし否定的ニュアンスで発言した一部の片言双句だけを捉えて、言いがかりをつけるのは困ります。例えば横田めぐみさんに関しては、安明進という元工作員の証言が二転三転したので信憑性が低いと思っていました。】
 「もし拉致を否定した私の論文、言説、その他証拠をお持ちでしたら、お示しください」って、自分で証拠を消しておいて今さら何を言うかね(-.-#)。
 ちなみにHPは9月26日にまた更新され、上記の文章もこれまた削除された(保身に必死と見た(^_^;)。
 その後アップされた文章では、「北朝鮮に同調して否定していた日本の学者、言論人は大勢いる。社民党の国会議員もそうだった。が、私は否定はしていない。疑念表明をしただけだ」と、他の否定論者の攻撃に転じ、自分は悪くないと完全に開き直り。どうしようない。
 現在、吉田のHPは閉鎖中。とは言うものの、【産経新聞のコラム「産経抄」が、私を「北朝鮮を弁護してきた学者の代表」と、とんでもないいいがかりをつけて以来、悪質な誹謗、罵倒、罵詈雑言が殺到し、止むを得ず閉鎖しました。】と産経のせいにし、その下に言い訳を延々と載せてある。……お腹いっぱい(^◇^;)。

 その後、吉田は何事もなかったかのようにテレビに出て、主に北朝鮮の核開発問題でコメントをしている。
 11月8日にはテレ朝「朝まで生テレビ」(テーマは「拉致と核と日本の安全保障」)に出演した。
 ここで吉田は「北朝鮮が日本人拉致をしているとは思えない」という見解を出していた事実は認めたが、それについての謝罪などは全くなし。そんな吉田を司会の田原総一朗は、「情勢が変われば意見も変わる」と言って庇った。
 が、吉田は持論を変えたのでも何でもなく、相変わらず「金正日体制は良いふうに変わりつつある」「日本は北朝鮮と仲良くすべき」と強調、他の出演者のひんしゅくを買った。
 極めつけは「国交正常化すれば極東アジアの平和と繁栄が訪れる」と発言、田原が「そんな抽象的じゃなくて、具体的に日本にどんなメリットがあるの!?」と突っ込むと、「不審船も来なくなる。ノドンも飛んで来なくなる。密輸もなくなる。家族の自由往来もできる」と返答、会場の失笑を買い、さらには「ロシアも中国も韓国も北朝鮮が崩壊すると困る。だから日本も今の北朝鮮を支えていくべきだ」。……処置なし(T_T)。

■他にも戦犯はいる(リンク)
 ・「救う会」HPより「北朝鮮による犯行の可能性は認められない,あるいは低い」とする発言
 ・目を閉ざしてはいけない 拉致被害に否定的・消極的だった者達の発言