(7)便衣兵摘発の状況


『神は沈黙せず』批判 総合メニュー
『神は沈黙せず』批判(まえがき)
(1)南京論争登場
(2)否定論を理解しているか?
(3)本当に処刑されたのか?
(4)捕虜ハセヌ方針(東中野説)
(5)捕虜ハセヌ方針(南京戦史)
(6)トンデモ国際法
(7)便衣兵摘発の状況
(8)形勢不利なのはどっち?
(9)石射史料に虐殺の記述なし
(10)なぜ数が問題になるのか
(11)虚構の上に論を重ねた虐殺説
「あとがき」のようなもの


 『神は沈黙せず』山本弘著 角川書店
 P58−P64(順次抜粋)
 
 第二に、先に挙げた日記にはどこにも、殺されたのがすべて便衣兵だとは書かれていない。中島中将の日記にも、先の引用箇所の前行に「約七-八千人アリ尚続々投降シ来ル」とあり、戦意を失って投降してきた兵士の処分について述べたものであるのは間違いない。

 第三に、日本軍が南京陥落後に「便衣兵狩り」を行なったのは事実だが、どうやって一般市民と便衣兵を見分けたのだろうか。いくつかの証言によれば、便衣兵とみなされた者は、手にタコがあるのを銃を持った証拠、額が陽に焼けていないのを軍帽をかぶっていた証拠とされ、連行されたという。つまり罪のない一般市民が多数処刑されたのは確実である・・・・・・。

 形勢不利になった真田は話題をそらそうとした。議論の流れを無視し、教科書問題、従軍慰安婦問題などを論じはじめたのだ。「あくはと」はそれには応じず、そんな話題は当面の議論とは関係がない、と一蹴した。真田は「議論から逃げるのか」と相手を非難したが、逃げているのは真田の方であるのは明らかだった。
 


「殺されたのがすべて便衣兵だとは書かれていない」のは当然です。現実社会の否定論でもこれらが便衣兵だったと主張している研究者はいません。ありもしないトンデモ理論を作り出してシャドーボクシングしているようなものですね。
 
 便衣兵の摘出については、写真が残っていますのでちょっと見てみましょう。



『南京事件』P107 笠原十九司著 岩波新書より

                                          

 上の写真は5000−6000人ということですから、規模的に見て12月16日に歩兵第七連隊が行った便衣兵(私服で偽装潜伏中の中国兵)摘出の光景と考えられます。安全区で外見的特長から摘発された容疑者は、安全区の外側に集められ憲兵による取調べを受けています。
 毎日新聞のキャプションでもこの集団は「正規兵」となっていますから、摘出されたほとんどの者が客観的に兵士に見えたということでしょう。写真手前側の男が上着の胸をはだけて取調べを受けているのが分かります。軍隊から支給された下着かどうかのチェックだと思われます。
 
 兵士の多くは坊主頭だったそうです。実際にこの写真で判別できる範囲の人間も、ほとんどが坊主頭であることが確認できます。これにヘルメット焼けや、銃ダコの有無、その他の身体的特徴が重なった場合は「兵士」と考えたようです。
 南京に避難した住民の多くは貧困層で、首都防衛にあたって大規模な徴兵が行われた事などを考えると、上記写真に写っている男性が「一般市民」である確立はかなり低いと考えてよいでしょう。(南京市民で徴兵された者も、徴兵された以上は兵士であり、安全区に家族がいて無実を訴えたとしても市民としては扱われない) 

 実際に現場にいた毎日新聞の記者も「多数の一般市民」とは記しておらず、逃亡を企てた正規兵とキャプションをつけています。ということは客観的にみて便衣兵の摘出は概ね妥当に行われたと考えてよいでしょう。誤認逮捕がまったくないという証明はできませんが、一般市民が多数混ざっていたという根拠はありません。





一般市民が混ざっていたという山本さんの根拠。

あくはと君の論理
『いくつかの証言によれば、便衣兵とみなされた者は、手にタコがあるのを銃を持った証拠、額が陽に焼けていないのを軍帽をかぶっていた証拠とされ、連行されたという。つまり罪のない一般市民が多数処刑されたのは確実である・・・・・・。』 by あくはと

 以上が山本さんの記述です。
 「手にタコ」があるのを銃を持った証拠とこじつけたように読めますが、実際には、銃を扱う訓練を長期間行うと「銃ダコ」ができるので、それを調べられた結果、潜伏していた兵士が難民からより分けられたというのが正確です。史料を確認してみましょう。




あくはと理論の崩壊

『南京の真実』P358-359 ジョン・ラーベ著 講談社文庫
(ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー宛の上申書)

 けれどもいまでは、ああするより仕方がなかったのだと思っています。なぜなら、安全区との境であるあの場で市街戦になったら、中国兵はこぞって安全区に逃げこんだにちがいないからです。そうなれば安全区はもはや非武装ではなくなり、日本軍から猛烈に攻撃されたことでしょう。さらに、当然のことながら、完全に武装解除されていれば、捕虜になることはあっても、それ以上の危険はないだろうという期待もありました。

 しかしながら、またしても私は思い違いをしていたのです!
 この部隊の兵士全員、それからさらに、この日武器を捨てて安全区に逃げ込んだ数千人の兵たちも、日本軍によって難民のなかからよりわけられたのです。みな、手を出すようにいわれました。銃の台尻を握ったことのある人なら、たこができることをご存知でしょう。


 見てお分かりのように、銃ダコにより中国兵が選別されたとラーベは記しているわけです。言い換えると日本軍により難民と中国兵は正確に区別されたとラーベは記しているのです。これを踏まえて次の記述をみてみましょう。
  



一般人が混ざっていたのか?

『南京の真実』P358-359 ジョン・ラーベ著 講談社文庫
(ドイツ帰国後の公演原稿・ヒットラー宛の上申書)

 そのほか、背嚢を背負った跡が背中に残っていないか、行進による靴擦れができていないか、兵士独特の形に髪が刈られていないかなども調べられました。そういうしるしがあった者は、元兵士の疑いをかけられ、縛られ、ひっぱられ処刑されたのです。こうして何千人もの人が、機関銃あるいは手溜弾で殺されました。そこここでぞっとするような光景がくりひろげられました。そのうえ、く罪のない民間人まで同時に射殺されたのです。日本軍には、元兵士の数が少なさすぎるように思われたからです。

 おかしいですね。日本軍には中国兵を選別する能力があったのに、罪のない民間人まで連行したそうです。ラーベは民間人が連行されるのを指を加えて見ていたのでしょうか?。普通見ていたら止めますよね?。ということで12月16日の日記を見て見ましょう。




市民連行の記述なし

『南京の真実』P136 ジョン・ラーベ著 講談社文庫

十二月十六日
(略)
 たったいま聞いたところによると、武装解除した中国人兵士がまた数百人、安全区から連れ出されたという。銃殺されるのだ。そのうち五十人は安全区の警察官だった。兵士を安全区に入れたというかどで処刑されるという。

 結論からいうと、安全区から摘発された中に「一般市民」が多数含まれていたというラーべの記述にはなんの根拠もありません。第一ラーベは市民連行を目撃しておらず、そういう事があったとも記録していないのです。ラーベは2月末に南京を立ちドイツに帰国しました。帰国後に公演を行うにあたって「市民連行、市民処刑」を付け足したという構図が浮かび上がってきます。
  
 ラーベは約400人の中国軍を武装解除して安全区内に収容しました。その他にも数千人の中国兵が安全区に潜伏したことをラーベは知っていたようです。非武装であり中国軍に利用されないという前提で安全区を設定したわけですから、民間人に偽装した中国兵を収容することは(武装の有無に関わらず)重大な過ちでした。国際法における中立法規でも、中立国は交戦国による侵入を実力をもって阻止する義務がかせられています。中国兵の安全区侵入を阻止する義務があった警官が、それを黙認したとなれば中国軍に対する利益供与になります。日本軍から見ると利敵行為ですから、戦時犯罪として処刑されても文句は言えないことになります。
 いずれにしても、連行されたのは兵士と警官であると記しており、民間人が連行されたとは書かれていません。


 以上、簡単ですが史料を引用して解説しました。
 便衣兵摘出にあたって一般市民が大量に誤認逮捕(処刑)されたという「あくはと理論」は、史料をよく読んでいないことから発生する勘違いと言えます。
 







 ちなみに12月24日〜翌1月5日までの査問工作でも約2000人ほどが摘発されています。それに関連した史料を「南京戦史」から引用しておきます。

『南京戦史』P387

 査閲の方法は、第十六師団参謀長・中沢三夫氏の『極東裁判における宣誓供述書』によれば、「日支合同の委員会を構成し日支人立会の上、一人宛審問し又は検査し、委員が合議の上、敗残兵なりや否やを判定し、常民には居住証明書を交付し、 敗残兵と認定された者は之を上海派遣軍司令部に引き渡した」ということであるが、師団副官・宮本四郎氏の遺稿によると、捜査にあたった司令部の大行李長・瀬戸大尉の話として「ズボンをまくりあげさせ、短ズボンを穿いていた奴は太股に日焼けの横線がある。此奴は兵隊である。・・・・・・紛らわしいのは逃亡兵の方に入れる。それが逃亡兵でない時は、本人が言い張るばかりでなく、難民区から見に来ている男女中国人が、この男は何町の呉服屋の店員だとか、これは私の妹の子供だと泣きすがって哀願する婆さんが現れたりして、決着がつく」と記している。

 また、兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
  「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。


 現地では身体的特徴や日焼けの跡、市民であることを証言してくれる住民の有無を考慮して摘発します。その後に自治委員会の中国人と協力して軍民分離を行ったようです。誤認逮捕(処刑)が0人とは証明できませんが、史料を見る限り軍民分離は概ね適切に行われたと考えられます。
 


NEXT(8)形勢不利なのはどっち?

トップへ
トップへ
戻る
戻る