(2)ダーディン報道の検証


(1)虐殺の目撃者はいるか?
(2)ダーディン報道の検証



 ここでは、外国報道にみる「市民虐殺」について検証してみたいと思います。外国報道については、訳に問題がある場合が多いようです。外国報道については、記事の発信日と掲載日が違う場合が多いのですが、特に説明がない場合、掲載日が基準になっています。


 山本氏が例にあげた、『ニューヨーク・タイムズのダーディン記者の第一報』というのは、1937年12月18日掲載の記事と思われます。問題となりそうな記述をちょっと見てみましょう。

『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P417 青木書店
ニューヨークタイムズ 1937年12月18日

 捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う。
(略)
 民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、夫人、子供なども入っていた。  
 特に警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、中には、野蛮この上ないむごい傷をうけたものもいた。

■『日本軍、民間人も殺害』というタイトルは別の訳(日中戦争史資料・英文関係資料集)では、『一般市民にも死者』と訳されています。
 訳によって印象がかなり変わってきますね。
 ニューヨークタイムズの続報を見る限りは、大規模(数万単位の婦女子殺害)が報道されていませんから『民間人を殺害』ではなく『一般市民にも死者』と訳すほうが妥当かと思われます。

 情報源は「外国人」ということです。女子供の死体をダーディン記者が目撃したわけではありません。情報源はおそらく中国軍の将校を自宅に匿っていたドイツ人、ジョン・ラーベだと思われますが、日記の記述を見る限り、日本軍が市民を虐殺して回ったという記述はありませんし、女子供の死体の記述もありません。市民の死体があったとしても、砲爆撃による死者でしょう。





『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P417 青木書店
ニューヨークタイムズ 1937年12月18日

 上海行きの船に乗船する間際に、記者はバンドで200人の男性が処刑されるのを目撃した。殺害時間は10分であった。処刑者は壁面 を背にして並ばされ、射殺された。それからピストルを手にした大勢の日本軍は、ぐでぐでになった死体の上を無頓着に踏みつけ、ひくひく動くものがあれば弾を撃ち込んだ。
 この身の毛もよだつ仕事をしている陸軍の兵隊は、バンドに停泊している軍艦から海軍兵を呼び寄せて、この光景を見物させた。見物客の大半は、明らかにこの見せ物を大いに楽しんでいた。

 処刑を隠蔽する意識が無い、処刑の光景が外国人に見られても問題ないということは、市民の虐殺ではなく便衣兵処刑の光景と思われます。日本兵がピストルを持っているとか、10分で200名処刑とか、死体を踏みつけたとか、不審な点もいくつかありますので、記事が脚色がされている可能性もありますが、処刑については他にも史料がありますので、行われたと考えられます。
 市民や婦女子の殺害でないことはあきらかと言えるでしょう。
 




 『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P423 青木書店 
ニューヨークタイムズ 1937年12月19日

 それ弾、損害を与える

 日本軍の砲弾が新街口近くの一角に落ち、100人以上の死傷者を出した。それ弾による死者はほかにも100人はいるものと思われる。一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。安全区の非戦闘員の食料は、中国軍の瓦解により供給が完全に絶たれた。

 この砲弾が落ちたのは、南京陥落前の12月11日です。市の南部では安全区に避難していない住民が砲弾の犠牲になったろいう記事です。安全区以外に五万人が存在するという推定ですが、外国人史料によればそのほとんどが陥落直前になって安全区に流入してきたものと思われます。
 訳としては「殺害された」ではなく「犠牲になった」が実態を表している事になるでしょう。日本軍はまだ城壁の外側にいるのですから。






『南京事件資料集』アメリカ関係資料編P423 青木書店 
ニューヨークタイムズ 1938年1月9日

 両軍の死傷者多数

 南京戦における死傷者は、両軍ともにかなりの数に達したことは間違いない。ことに中国軍の被害は甚大であった。包囲攻撃における日本軍の死傷者は、おそらく総計千人を数え、中国軍は三千から五千人、もしくはそれより多いかもしれない。

 市の南部および南西部から避難できなかった大勢の市民は殺害され、総計ではおそらく戦闘員の死亡総計と同数くらいにのぼるであろう。記者は日本軍が地域を掌握してからの市南部を訪れたが、一帯は日本軍の砲爆撃で破壊され一般市民の死骸がいたるところに転がっていた。
(略)
 南京攻防戦においては、双方の軍ともに、栄光はなきに等しかった。


 市の南部というのは激戦区であり一番戦闘が激しかった区域です。砲爆撃の死者が存在するのは当然ですが、市の南部は、中国軍が強制的に市民を避難させ焼き払っています(清野作戦)。ですから放置されていたのは市民の死体ではなく、便衣兵の死体だと思われます。







検証の結果
トンデモ本の世界「R」P17 太田出版 と学会著
山本氏の主張

 小林氏は南京大虐殺についても、とてつもないデタラメを書く。
「外国人ジャーナリスト、日本の新聞記者もそこにいっぱいいたのに誰も虐殺など見ていない」というのだ。誰も見ていないだって?
 ニューヨーク・タイムズのダーディン記者の第一報を知らんのか? 陸軍嘱託カメラマンの河野公輝氏、朝日新聞の今井正剛記者、同盟通信の前田雄二記者らの証言は? 中島今朝吾中将の日記にある、大量の捕虜殺戮についての記述は? 飯沼守少将の日記に記された、日本兵の略奪や強姦事件は? 虐殺を行ったり目撃した日本兵の日記の数々は? それらのいくつかは、小林氏が巻末で引用文献として挙げている偕行社の『南京戦史』にも載っているのだが。

 
 
  まともな史料では、誰も市民の大量虐殺を記録していません(笑 
 また、便衣兵の処刑を否定している研究者もおりませんので、処刑の光景が史料に出てくるのは当然です。





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