第二章 キリスト教興隆からルネサンスまで
    女性学の間へ 

   第一節  概況

     キリスト教が社会的に力を持ち、文化的に大きな基盤となっていくと、性については
    厳しい管理が行われるようになった。特に中世においては、性行為のできる日、できない日
    までも細かく規定していた。厳格的な禁欲体制が行われていたのである。とはいえ、売春制度が
    あったので、男性のみが禁欲体制を回避する手段を持っていたといえるかも知れない。
     もう一つ、厳格に禁じられたのが、ソドミー(異常性愛)である。同性愛も当然、ここに含まれる。
    聖書の中では、例えば「レビ記」18:22、20:13や「ローマ人への手紙」1:27などで禁じられ
    ている。また「申命記」22:5では、男装・女装が禁じられている。アウグスティヌスは書簡の
    中で、女性同性愛を否定し、トマス・アクィナスは「神学大全」(第2部2、第154問第11項・第12項)
    において同性愛を禁じ、アベラールや聖アンセルムスなども同性愛を反自然的と考えた。性は
    あくまで生殖のためのものである、という考え方に基づくものであったのであろう。
     さらに、恋愛に関しては、男性は人を惹きつける要素を持つが、女性にはその要素がない、とも
    考えられていた。女性が秋波を送ったり、媚態を示したりすれば、その女性は「魔女」であると
    みなされた。女性は男性を堕落させるものとして考えられていたようである。(「魔女」に関しては
    後述)
     しかし、このような状況があったにも関わらず、12c〜13cにかけて、同性愛に対して寛容な時期が
    あった。教会が同性愛を犯罪視しなかったのである。修道院や当時の物語などの影響があった
    ようであるし、フランスの場合は12世紀ルネサンスの影響もあったようである。しかし、13c以降は
    一転、不寛容になる。その理由として、十字軍の失敗とイスラム人への誤解あるいは揶揄の結果、
    ソドミーの概念が再び登場し、強まって、広まったと考えられる。
     同性愛者への処置は裁判を通じて行われたが、女性同性愛者への裁判記録は非常に少ない。
    女性同性愛そのものが「名づけえない罪」(「ルネサンス修道女物語」p.24)であり、男性同性愛とは
    異なり、公然とその罪状を示すことはできなかったようである。それは一般の女性に女性同性愛の
    存在を知らせることとなり、暗示や誘惑に弱いと考えられていた女性への影響を考慮したものであった。
    こういう事情のため、裁判記録が少ないのであろう。
     次節では、数少ない裁判記録から、当時の女性同性愛への考え方を見る。



   第二節  女子修道院と女性同性愛者への裁判

    女子修道院は女性の処女性を保つために作られたと考えられる。しかし、それは女性が不浄の
   存在であるという考えから発生したもので、清らかさをできるだけ保とうと考えた結果でもあった
   ようである。女性が不浄であると考えた故に、女性はミサを取り仕切ることを許されず、女子道院に
   男性司祭が居住したり、男子修道院との併設が一般的だった。また、「女性」という性からの
   脱却、あるいは「霊的」に男性に近づこうとしようとして、男装する修道女もいたという。しかし、
   異性の服装をすることは「聖書」において禁じられている。霊性に対する一種の方法であったとは
   いえ、ジャンヌ・ダルクの例を出すまでもなく、異端視されたことは想像に難くない。さらに、服装は
   端的に性役割を示すものであるから、異性の服装を着ることは自然の性に反する、ということ
   でもあったであろう。
    女子修道院では、施錠できない個室があり、一晩中ランプを点していなければならなかった。
   これは修道女たちの行動を、あるいは性的行動を監視できるようにするための処置であった。
    このような状況下で、ある裁判があった。最高位が聖母修道会女子大修院長であったベネデッタ・
   カルリーニ(1590〜1661)に対する同性愛疑惑の裁判である。当時のこのような裁判記録が残って
   いることは非常に稀だという。それ故、この裁判の顛末を通じて知られる当時の女性同性愛への
   考え方は非常に重要なものである。この裁判記録を調べたJ.C.ブラウン『ルネサンス修道女
   物語』を元に以下、この裁判について簡単に見てみることにする。
    ベネデッタは1613年頃から幻視体験をするようになり、信者を多く集めていた。そして、1617年に
   自室で男性に襲われる幻視体験をする。これをきっかけに修道女を一人同室させることとなるが、
   これが事件の発端となる。
    ベネデッタの幻視能力は民衆の関心を引くこととなり、修道会もそれを利用して、活動を行った。
   しかし、他の場所で、幻視体験をしたという女性が詐欺師であった、という事件があり、また、
   ベネデッタの影響力の大きさを恐れた教会は、1619年、彼女を審問した。だが、社会的影響か、
   それとも苦しい教会の財政事情からか、ベネデッタは幻視者として認められた。そして、翌1620年
   には、大修院長の座に就いた。
    だが、1621年に起こった臨死体験の後から、彼女をとりまく状況は悪くなっていく。あまりに
   神秘的な能力や体験をする彼女に対して、逆に悪魔がとりついているのでは、という見解が
   生じた。また、小さな山村の出であるベネデッタに対する差別、厳しい規律に不満を持っていた
   修道女たちの反感なども徐々に強くなっていた。さらには、世間への影響力を増していた彼女への
   恐れも確実にあった。大修院長の任期が切れる1623年、二回目の審問が開かれた。
    審問は彼女の幻視能力やその他の神秘的な能力がまがいものであるということに対するもの
   であった。修道女たちからベネデッタが数々の奇跡を捏造したという証言が次々になされていく。
   それまで、彼女の影響力(宗教的・社会的・経済的)を恐れていた教会側が攻勢に出たのは、
   彼女への恐怖があったかもしれない。信者が減ろうとも、山村出の女性に教会を牛耳られたくない
   という思いがあったかもしれない。
    ベネデッタへの審問が続くなかで、衝撃的な告白が、彼女と同室であった修道女によってなされた。
   それは、ベネデッタが彼女に対して同性愛行為に及んだというものであった。前例(判例)が
   ほとんどないこの事態に審問に当たっていた者は相当に動揺したであろう。男性との性的関係で
   罰せられる修道女や同性愛行為で罰せられる修道士はいたが、同性愛行為に及んだ修道女の
   告発は前代未聞に等しかった。告発した修道女は、ベネデッタが自らを「天使」だと言った、と
   証言する。あるいは、イエスがベネデッタを通して現れたとも証言した。
    審問の焦点は奇跡の捏造と、ベネデッタが自らを天使やイエスになぞらえたことに対するものと
   なり、同性愛行為に関しては、修道女の貞潔誓願違犯・男女の性役割違犯ということによって、
   処理されることとなる。というもの、ベネデッタ自身が自らの同性愛行為を説明できず、また、
   審問官がこのことを公にして、世間の女性に同性愛に対する興味を抱かさせない、さらには、
   審問そのものができないという理由からであった。審問官たちはベネデッタと司祭との些細な
   関係について罰などに対して判決を下した。
    しかし、1626年から彼女が死ぬまでの1661年までにわたる投獄という非常に重い罰則を与えた。
   通常、女性が同性愛行為で裁かれる場合、追放刑やガレー船送り、あるいは160日の贖罪という
   刑を与えることが規定されていた。あるいは、ソドミーということで火あぶりの刑に処せられることと
   なっていた。何故、ベネデッタが35年にもわたる投獄を受けることになったのかという理由は、
   判決文がないために不明である。
    ベネデッタが本当に同性愛行為に及んだかどうかは、わからないが、同性愛行為を偽造し、
   それによって告発する理由が見当たらないので、誇張はあったかもしれないが、事実であった
   であろう。つまり、「天使」や「イエス」を騙るのに、同性愛行為を持ち出す必要はないのである。
    当時、女性同性愛の存在そのものが噂や小説の中での話であって、現実に起こりえること
   とはあまり思われていなかったのではないだろうか。聖書のなかで同性愛の禁止が規定されて
   いるので罰則などはあったが、男性同性愛に対するものであったかもしれない。娼婦でも
   ない限り、女性が性的行為に能動的であるのは非常に問題視された。また、世界の、社会の
   中心であり、基盤であると当時考えられていた男性抜きにしての性的行為は、逸脱以外の
   何物でもなかった。女性同性愛に対しては、このように考えられていたであろう。それ故に、
   このような女性は「悪魔」と見なされ(ベネデッタも悪魔にとりつかれていると考えられた)、
   異端審問や魔女狩りの餌食となっていったのである。次節は、女性同性愛との関連から
   「魔女狩り」について少しみることとする。



   第三節  魔女狩りと女性同性愛

  「魔女狩り」そのものをここで論じるのは、本筋ではない。「魔女狩り」の中で、女性同性愛が
  どのような位置付けにあったかを見てみることにする。
  主要な問題点はただ一つである。女性の性をどこまで問題にするか、ということである。つまり、
  男を誘惑し、堕落させる、という問題点である。この章の概説にも書いたように、教会は性生活に
  関して、厳しい規則を作り上げた。そして、魔女妄想が始まると、淫蕩な女性も目をつけられる
  こととなったのである。魔女妄想と女性の性が結びついて作り上げられたのが、「サバト」と
  考えられる。ここにおいて、悪魔と交わると考えられていた。
  問題はそこで魔女同士の交わり、あるいは「女性」の性を持った悪魔と交わるという話が
  あるかどうか、という点であろう。確実な資料が見当たらないので、なんともいえない。記録が
  もしくは記述がないからといって、ないと断言するわけにはいかない。空想上の話としては
  あったようではあるが、不明な点が多い。
  さらに、女性同性愛者が魔女と見なされたかどうか、という問題もある。魔女に仕立て上げられた
  女性は、寡婦や薬草などの知識に長けた女性が多かったようである。中には、共同体から
  はみだされた女性が巻き込まれることもあったようである。共同体からの離脱は、社会的な死を
  意味するが、これに相当した女性の中に女性同性愛者がいたことは想像に難くない。というのは、
  共同体を統治し、監視する教会の規則を破った者の一員に数えあげられうるからである。
  もっとも、魔女妄想においては、理由は何でもよかったのかもしれない。女性が憎んでいる女性を
  告発することもあったようである。そういう一種の狂気の中で、告発する材料として、同性愛者で
  あると、でっち上げられることもあったかもしれない。同性愛はいわゆる「ソドミー」として、
  見られていたので、ありえない話ではない。
  だが、魔女狩りの妄想が広まっていた16〜17cには、フランスでは美術と文学において、女性同性愛が
  賛美されている。ここのギャップの問題が残っているのである。
  (付記:資料があまりにも少なく、この節に関しては暫定的なものとさせていただきます)


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