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To M.T
From KODAMA.Ryo
-One more time, One more chance-
| 前略 お手紙ありがとう。 辺境の地で、毎日職場と家庭を往復しているだけの自分には、手に余る問いが投げかけられような気がして、いきなりズドーンと落ち込んでしまいました。 この復信でどれだけのことが返せるのか、はなはだ不安ではありますが、これ一回で終わりというわけでもないのですし、あまり気負わずに「返事」を書きます。 今日、つれあいが友人と映画を観にいくというので、二人の子どもと家で留守番をしていました。 最初は下の子を寝かせながら、上の子と楽しく遊んでいたのですが、下が乳飲み子ということもあって僕にも余裕がなかったのでしょう、そのうちに上の子の言動があまりにわがままなものに思えて、すごいいきおいで怒ってしまいました。上の子は当然大泣きでしたが、「絶対にあれは許しちゃいけない」なんて、自分で自分を納得させながら、でもなんとなく居心地の悪い思いをしていました。 ちょうどそこにつれあいが帰ってきたので、いきさつを聞いてもらいました。するとつれあいは僕の感情に共感しながらも「わたしも毎日その葛藤の繰り返しだけど、今は(下が産まれたばかりだから、上の子のわがままは)受けてやるしかないと思ってるんだ」と、割とあっさり言うのです。あまりにさらっと、しかしきっちりと 答えられてしまったので、一気に視界が開けて、「健全な子どもはこうあるべき」とか「親として当然」という<役割期待>にすっかり飲み込まれてしまっていた自分が見えてきました。 そして、「親として」なんていう鎧が脱げた途端に、自然と上の子に「さっきは怒ってごめんね」と言えていました。ついさっきまで泣きじゃくっていた息子が、満面の笑みで「いいよ」と言って、ぺたっと甘えてきたときには、「ああ、これまで もこうやって息子に許されてきたんだなあ」と、今度はこちらが泣いてしまいそうでした。 なんだか前置きが長くなってしまいましたが、MASUMOTOさんの言うとおり自分 に課せられている役割が格段に増えていますよね。今日のことでもわかるように、僕などはそれに「まみれて」しまっていて、今日のつれあいのような存在がないとそれ に気付くことすらできない状態だと自分で思います。 思えばこれまでも、僕はそのような存在に支えられてなんとかやってきました。父、母、弟、つれあい、息子たち、探検部の仲間たち、K先生、ゼミの仲間たち、学童保育の子どもらや同僚たち、養護施設の子どもらや同僚たち…。そして、MASUMOTOさんをはじめとする保護所で出会った仲間たち、とても無責任な言い方になるかもしれませんが、これからもそのような存在に 支えられながら、なんとかやっていこうと考えています。というか、そのことによってしか「他者そのものとかかわる」気付きを得られないと感じています。 そんな僕にとって、「K先生沖縄行き」の知らせや同人誌をめぐるトラブルは、 大変な出来事でした。その存在を必要とする僕にとって今できることは、どんなに 細々とでも「つながりを断たないこと」なのだろうと思います。現状では、それ自体かなりエネルギーを費やすことなのですが、こうしてMASUMOTOさんから書簡を投げて もらえることこそが、とても幸せなことだと感謝しています。 誤解を恐れず一気に書いてしまいましたが、これはMASUMOTOさんの言うところの「他者を手段としてではなく、他者それ自体としてかかわり続けること」と、大き く対決するのかもしれません。しかし、一方で僕にとってはそれが「他者そのものとかかわること」につながるという矛盾した思いもあります。つくづく身勝手だと自分でも思いながら…。そしてどこかで、その「つながり」こそが<役割期待>なのかも、という不安を抱きながら…。 ここからどう料理していいかわからなくなってしまったので、一旦お返しします。繰り返しになりますが、こうしてまたやりとりができることを本当に幸せに思います。 ありがとう。 草々 |