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恋のうた篇雑のうた篇







こ   ぼ   れ   う   た  

・四季のうた篇・

【最終更新日......2003.05.11.= 陰暦 卯月十一日】



立夏過ぎ。夏というには早いですが、気分は夏。ということで。



あかでゆく春のわかれにいにしへの人やう月といひはじめけむ
藤原実清朝臣 (千載集・夏歌)

「卯月」を「憂月」とよみかえて掛けたうたです。

過ぎてゆく春を惜しむ気持ちから、卯月は憂いの月という意味で言い始めたのだろうか、と言ってみたわけですね。

太陽暦で過ごしている私としては、卯月=四月=春=さくら、の連想が働いてしまいますが

卯月も卯の花も夏の区分のものですね。季節は今ごろ。

このうたは落花の時期のうた、桜が散ってる頃のうたなんでしょう。

すっかり葉が緑に変わってしまった後だと、新しい季節に向かうわくわく感が先行してしまって

あまり憂いを感じられないですね・・・





卯の花の垣根とのみや思はまし賎(しづ)の伏屋(ふせや)に煙立たずは
藤原敦経朝臣 (千載集・夏歌)


卯の花は垣根の花として出て来ることが多く、その白さは雪にも月の光にも喩えられています。

このうたも読んだままですね。屋根の低い、粗末な家から煙が立っていなかったら、

卯の花の垣根だけがあると見えるのかもしれない、と。

うまく言えませんがこういうシュチュエーションって大好きです。

盛大に咲き誇っている卯の花と、その影にある粗末な家。

蔦でも花でも木でもいいんですが、

勢いのいい植物と廃墟とか東屋とか勢いのない(?)建物のコントラスト。






榊採る夏の山路や遠からむゆふかけてのみまつる神かな
源兼昌 (詞花集・夏)

榊を採りにゆく夏の山道が遠いのだろうか、

いつも夕暮れになってから木綿(ゆう)をかけて祭る神であることだ・・・という感じでしょうか。

「夕」と「木綿(榊に掛ける布みたいなもの)」が掛けてあります。

旧暦四月には、有名な葵祭りもそうですが、神祭りが多いらしいです。

夏の山路、夕暮れから始まる祭り、とくると、

私の感覚では初夏どころか真夏、夏休みのイメージすら入ってきてしまいますが。






わすれめや葵を草にひき結びかり寝の野辺の露のあけぼの   
式子内親王 (新古今集・夏歌)


このうたは式子内親王が葵祭の主役(?)の斎院だった時、

お祭りの夜に斎院が一泊する神館という建物で詠んだらしいです。

草を結んで枕にする、というのは旅人が野宿する時の常套句で、

(実際うたに詠まれているものの多くは喩えであって実際野宿している例は少ないかもですが)

ここに葵が出ているのは葵祭の縁からだと思われます(実際枕に差すという話もあったようななかったような)。

なんていったらいいんでしょう、旅寝も野辺も単なる比喩であって実際は屋根のあるところに寝てたかもしれないし

何処で寝てたとか斎院がどういうことやるかとかそういうのも大事なんですけども

「わすれめや(どうして忘れることがあろうか)」と彼女に言わせたその朝の風景って

どんなものだったんだろうと思うのです。思わされるんです。それだけです。

忘れられないほどすごく綺麗な風景だったのかもしれないし、

葵祭とか斎院になったとか、そういう事情のある朝だから感慨深いのかもしれないし

いつもの暮らしとは全然違う初体験なことだらけの翌朝だったからかもしれない。

どうして忘れられないのか分からないのに「わすれめや」って気持ちだけが迫ってくるような、

私にとっては落ち着かない、不思議なうたです。





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