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06......うた詠みの苦労篇



月は入り方の、空清う澄み渡れるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、

いと立ち離れにくき草のもとなり。


鈴虫の声の限りを尽くしても長き夜あかずふる涙かな

えも乗りやらず。

いとどしく虫の音しげき浅茅生に露おきそふる雲の上人

かごとも聞こえつべくなむ、と、言はせたまふ。

(「源氏物語・桐壺」より)


上に挙げたちょっと長めの引用は、桐壺の更衣(帝の最愛の奥さんであり、源氏物語の主役・源氏の君の生母)が亡くなった

後、帝の使者が帝の手紙をたずさえて更衣の母君の邸をお悔やみに訪れる段で、手紙を渡し終え、しみじみと語り合った後

で、使者が帰るシーンです。

季節は秋、月が山の端に隠れようとする夜更け、空は澄み渡って風は涼しく、草むらでは虫の声。寂しげな風情が漂って、

しかも若い更衣の死が背景としてある場面で、あざといほどに「泣かせる」状況が整ってます。帝の使者は



「鈴虫のように声の限りを尽くして泣いても、この長い夜がなかなか明けぬように、私の涙は飽きもせずに流れ続ける

ことです」



とうたって、(嘆きのあまり)帰りの牛車に乗りこむこともできず、母君もそれを聞いて、


「ひどく虫の泣くこの粗末な邸で、虫の鳴くように悲しみの涙にくれる私に、いっそう涙を流させるあなたさまです」


このようなうらみごとも思わず申し上げてしまいます、と侍女を通して言います。

悲しみにうちひしがれる母君と、思わずもらい泣き(のように私には思えます)してしまう帝の使者の涙にくれる場面を、

歌を詠み交わすことでいっそう盛り上げているわけです。


で、この演出、私だったら作者である紫式部の意図によるものと思っちゃいますが、そうではなくて、登場人物たる母君と

帝の使者による演出
だというとらえ方もあります。

帝の使者は思わずのように歌を詠みます。返歌を期待してうたうのではなくて、この情景が、この状況があまりにぐっとくる

ので思わずうたっちゃいました、という歌ですね。

でも、歌である以上は声を出すわけで、声を出すということは相手にも聞こえているということで、聞こえている以上、聞こえて

しまった母君はそれに呼応するような歌を詠むのが礼儀である
という暗黙の了解があるというのです。

つまり、帝の使者は母君に聞こえるのを承知でうたい、なおかつ、それに対する歌が詠まれるのを待たなきゃならないので

間をもたせるために「えも乗りやらず」なポーズをとったのだ、と。

母君はその間に歌をひねりだして応え、で、この場面が完成されたというわけです。

・・・わざとらしすぎて笑えます。歌を詠み交わすまではともかく、間をもたせるために泣き真似(?)までするか。みたいな。

(使者の嘆きが全部嘘だとは言ってませんよ。「えも乗りやらず」だったのはただ単純に嘆いてるだけじゃなく、返歌を待つ

意味もあったわけ?ってことです。念のため。)

でも、ものすごい洗練っぷりです。そうやって流れるように、ここぞという時にすらっとうまい歌が詠めるのが粋、っていう感覚

は分かる気がします。

けど、タイミングよくいい歌を詠めずに苦労してる人もいそうです。センスと反射神経のない人間にはキビシイ世界です。




*参考文献*

国文学 解釈と鑑賞 別冊 『源氏物語の鑑賞と基礎知識 ゞ耀筺戞〇衒呼





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