純文学で笑え!!

 まったく東大生って奴は、いつの時代もこうなんでしょうか(笑)
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★★★★★★

■書いた日:【2000年04月10日
■題  名:第六段



              『三四郎』
             (夏目漱石)


 東京都文京区本郷七丁目、東京大学。
 今も燦然と輝くこの日本の最高学府に百年前、一人の男が入学した。その名は三四郎。
 『三四郎』こと小川三四郎は旧帝大の新入生。今の東大一年生だ。

 東大生というと世間から
 「朝から晩まで勉強ばかりして、他の事は何にも知らない人間なんじゃないの。」
 と思われがちだけど、これは間違っている。大体、成績のいい人達は、多聞に漏れず多趣味だ。何故なら彼等には、逆の『成績コンプレックス』があるから。
 「朝から晩まで勉強ばかりして、他の事は何にも知らないんじゃないの。」
 と、子供の頃から言われ続けてきたせいで、性格が少し頑固になった。好成績が故に、偏った人間になる事を極度に嫌っている。だから大抵は音楽をやったり、野球をやったりと芸に熱心だ。本当はそっちの才能はないのだけど、努力で克服している。

 そんな彼らにも努力で克服できない事がある。
 「あの、すっ、すきです。」
 なんて泥臭い事は言わないが、要するに恋愛だ。恋したり遠回りしたり余計な詮索をしたりで失敗する。だいたい東大生は、余計に考えすぎている。というのも、今までは考えれさえすれば上手くいったから。
 「私、好きな人がいるから。」
 なんてあしらわれてしまうと
 「あっ、…そう。そうなんだ。」
 と納得してしまう。彼女にも事情があるのだろうと、やけに物分りがいい。少し押してみれば落ちる事だってあるだろうに。要するに、考えすぎて純情なのだ。

 『三四郎』は、そんな東大生の話。でも明治時代のせいか、清清しい。『三四郎』の冒頭、ストーリーとは関係無い面白いエピソードがある。上京の道中、三四郎は京都で同乗した女性と同衾する事になるのだが、床が敷かれるなり三四郎は
 「私は癇性で他人の布団に寝るのが嫌だから。」
 と言い訳して眠ってしまう。
 「蚤よけの工夫を遣るから。」
 三四郎なりに気を使ったつもりだが、お陰で別れ際に
 「貴方はよほど意気地の無い人ですね。」
 とまで言われてしまう。何の意気地か知らないが、この女はあんまりだ。そして三四郎もあんまりだとも思う。その通り考えすぎの純情で、この状況で他にする事あるかよと思う場面にまで、考えて尻込んでしまう。

 実は、このエピソードは私にとって痛い。『三四郎』のこんな話を読んで、普通の読者は
 「まったく、純情だねえ。」
 とでも思うのだろう。でも私はここまで読んで何の事か判らなかった。何故って、私も三四郎だったから。
 「…これって何なんだよ。」
 と思ってしまった。だって好きな人以外とは寝ないのが当然だろ。「ましてや女性は。」と強く思っていた。それは今でもあまり変わっていないが、当時の私には、女性といえば清純性と処女性しか無かった。お陰で今まで何度ストレイシープになった事か。

 今も昔も変わらない東大生の三四郎。この歳なら余裕を持って読めるかも知れないが、三四郎が考えに切羽詰って告白するシーンなんかを読むと、まだぐっと来る。
 「美禰子、ちゃんと相手してやれよ。」
 なんて思ったりする。だって美禰子、絶対自分の魅力に気付いていて、やっていたんだぜ。

 不可解な女性に翻弄される男の純情話、『三四郎』。
 どうか女性諸君。こんな三四郎の純情を笑わないで欲しい。


                       masuki