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■書いた日:【2000年05月17日】
■題 名:第十六段
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『春琴抄』
(谷崎潤一郎)
大阪は商人の町だけど、余りなじみが無い。正直言って、関西の、あのざっくばらんとした人間関係が少し苦手だったりする。それならまだ希薄な東京のほうが過ごし良い。でも、奥底に優しさがある。
春琴抄は大阪が舞台。ある盲目の娘春琴と、その付き人佐助の話。佐助が春琴の美しい姿を記憶に留めるため、自分の目を針で突くというストーリー。それがショッキングで話に上るが、私は痛々しいのは駄目だ。
ダイハードで、ブルースウィルスが
「散乱したガラスの上を裸足で歩く。」
というのがあったけど、あれも駄目だった。見ていて鳥肌が立った。まして針で目を突くなど・・・。
そういう訳で、嗜虐性とか、拝跪性とかは無視して、私なりの切り口で行ってみようと思います。佐助の精神構造は別問題として、要は男女関係だから。純文学特有の普遍性はあるでしょう。
それでは、『純文学で笑え!!』
「春琴抄は、春琴の愛嬌でもっている。」
というのが私の感想。作家の意図するところとは違うのかも知れないけど、その一点で楽しかった。私には多分にフェミニスティックな気質があって、多少の我儘が愛嬌の範疇に入ってしまう。それが彼女と長続きしている理由かといわれれば、そうなんだけど、それが彼女を我儘にした理由といわれれば、そうかもしれない。拝跪性といわれると、少し違う。愛されて育った人は、真っ直ぐだから。
春琴は基本的に愛されて育っている。ナオミとは違う。両親と五人の兄弟から掌中の玉のように寵愛されて、可愛く愛しく育った。ただ九歳の時に眼疾で失明して、少し感性がひねくれて出た。それが芸の純粋さと連結して、周囲は大いに困っている。琴をやっているが、弟弟子としての佐助には、十も年の差があるかのような接し振り。
「佐助、わてそんなこと教えたか。」
と顔をピシャリ。十七歳の小娘がこれをやっているのだから、見ている方はたまらない。
でもこの春琴、一寸可愛いところがあるんだ。実は萌え系。
佐助と隠れてエッチしているんだけど、絶対にそれを言わないの。しかも子供まで出来て、
「誰のこどもだ。」
と聞かれる状況になっても、知らない振りをする。
「佐助かい?」
と聞かれると、
「何であんな丁稚風情に。」
と取り付くしまが無い。周囲は佐助だと思っている。というか、佐助以外に相手が考えられない。(普通の男ではついていけないから。我儘すぎて。)春琴本人も両親が、佐助だと思っているのを知っていて、
「そんなことありまへん。」
と白々しく否定している。妙な緊迫感が漂っている。きっと私は緊迫感に堪えられない。その場で笑いだす。でも、本人は生死を賭けるくらいの勝負をしている感じ。
「佐助とエッチしたなんて認めたら、私は生きていけない。」
と思っている春琴。可愛い! 萌える! でも、この時口止めされている気の弱い佐助が、今にも口を滑らしてしまいそうで可笑しい。
時は翻って、私と彼女が大学生の頃の話だ。両親に内緒で二泊三日の東北旅行に行った。その時交わされた彼女と母との会話。
「誰と行くの。」
と彼女の母。
「えっ。大学の友達だよ。」
かわす彼女。
「まさか、彼とじゃないわよね。」
「そんなことないよ。女の子とだよ。」
とこんな調子。付き合って一年くらいかな。両親は私のことを知っていたし、二・三度会っていたから、もうどんな仲かは知っていただろうけど、春琴と同じ気持ちだったのだろう。それは絶対に認めない。認めたらおしまいだと彼女は思っている。ちょっと萌えた。でも私はこの緊迫が苦手で、
「正直に言ったら。」
と勧めたが
「それは絶対に駄目。」
と真っ向否定されてしまった。
「言ってしまったらおしまいなの。お互い分かっていても、最後まで口に出しては駄目。」
そして旅行に来てくれた彼女。それから数年間、秘密を閉ざしたままだったらしい。女心とはこうなのだろう。成る程と納得はしたけれど、あの時はさすがに背中がむず痒かったなぁ。
masuki
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