ヘブンズ・フラワー・メール

天国の花通信  73号

                〒822-0002直方市頓野2284

                 原田康次 

                     &FAX 0949(26)5561

BIBLE 心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
【蔵言3:5】



毎月第三水曜日に『エステル会』という集まりを自分の教会で開かせていただいている。牧師も参加してくれて、始めは雑談や世間話だったが、先月などは聖書を開いたり、ギリシャ語辞典も登場して良い学びの場所になってきている。
参加メンバーの中には現役証人(元長老)もいる。先日巡回監督の訓練を受けたそうである。その際、なぜか彼は巡回監督から背教者についての警告を受たそうである。巡回監督は地元の人間でもないし、私たちが組識を離れたのはもう16〜7年も前のことであるのに、何とその巡回監督は、私の生活体験や風貌まで述べたという。おかげで、最近会っていない友人(共に離脱した)2人の消息まで知ることができた。何とも名誉なことである。

そんなことだから、勿論我が家にエホバの証人の訪問はない。地域の地図に「背教者の家」と印がついているはずである。ごくまれに間違えて訪問してくる証人もいるが、たいてい逃げるように雑誌を置いて帰る。証言(伝道・証し)をしない。
 二階から伝道の様子を見ることがしばしばあるが、相変わらずゾンビのような歩みで、我か家の玄関近くは通らない。道の向こう側を通っていく。自分も通ってきた道ではあるが、誰かを悪魔のように恐れ、重い心を引き摺りながら歩く彼らを見ていて、神に祈らざるを得ない。元証人にとってこれは単に同情や憐れみの気持ではない。
 元長老のためにも祈らないわけにはいかない。彼の言うこと、すること、考えることがそのまま十数年前の自分たちの姿そのものだからである。
 彼はいやになっている.あるいは付いていけないと感じている。ハルマゲドンで滅ぽされてもいいと思っている。家庭が崩壊してもしょうがないとも思っている。離脱後は 《伝道の書》にある
ように、自らの欲望のまま……、上品な言い方をするなら正直にありのままに生きたらいいと思う。
 「神の戒めに従って…」というところはあえて読み込まないようにして…。または、神に従うというのは、犯罪のようなはなはだしい悪事を行なわないことだと解釈して…。
 彼は質問する。ものみの塔が神の組織でないなら、真の組識はどこにあるのか。また彼は聞く。新世界訳が偽りの翻訳であるなら、新改訳が100%正しいかどうか調べてみたい。
 彼は物理的に組織を離れても、こうして二極思考というか、白黒二元論といったものから逃げられない。またそれをおかしいとも思っていない。
 主権論争については、全く否定の余地はないと信じている。世界がこのように問題だらけなのは、悪魔か工ホバか、主権の所在を決定するための実験だと心から信しているのだ。彼は自分は神の方に付きたいと思っている。しかしそれは組織を通してではない。組織を通してでなくとも、神はもっと寛容だと、問題を相対化することで自分を納得させる。

 世界に問題があるのは、自分を含めた人間に罪があるからなどということからは完全に視点が外れている。
 この世に不幸や禍があるのは、とうやら天上の出来事に人間が巻き込まれた結果に違いない、というくらいクールに受け止めている。組識を相対化するのと同じように、神も聖書も相対化していく。もちろん自分の罪も…。
 離脱後、悪魔がいったい何をしかけてくるのかと用心する。別にたいしたことも起こらない。組識で「悪魔が吠える獅子のように激しい攻撃を加えてくる」と教えられていたのに拍子抜けである。彼は「激しい攻撃」に注意を払うあまり、悪魔の別な手段にまったく盲目になっている。悪魔には、じっくり時間を掛けて、長いスタンスを設定して誘惑や罠を用意する方法があることなど思いもよらない。
お酒は聖書も組識も禁じていない。女性のいる店でお酒を飲んでも、それは姦淫ではない。集会に行かなくなった時間、一人の部屋で、少々刺激的な映画を観ても自分でポルノビデオを買って観ているわけではない。こうして長い時間をかけて彼はこの世に馴染んでいく。自分が自堕落になっているなどとは決して思わないスピードである。
 幾年もの時間が経って、気づいた時には悪魔の泥沼にいるという具合である。これが脱会後10年の私たちの歩みである。
 「人生は選択の連続である」。これは最近のコンピューターゲームのテレビコマーシャルのキャッチ・コピーである。まさに脱会後は選択の連続である。物分かりの良いご主人として復帰の方向へ行くのか。中立的な傍観者となるのか。親戚の法事はどうするのか。香典袋に何と書くのか。焼香はするのか。友達の結婚。.万歳は。乾杯は?。
 会社の地鎮祭、出席するかどうか。等々。数え切れない「選択」がやってくる。そこで私たちは自分がどのようなものかを現わしていく。

 最近インターネットに霊の実さんという人が、中澤師を取り上げて、「あなた本当にクリスチャン?」(自称クリスチャンシリーズ)という自論を展開しているのを読ませていただいた。証人である奥さんと仲良くしている未信者のご主人と名乗っておられるが、私にはそうは思えない。元証人である私には論理の組み立て方が良く分かるのだが、前述の元長老と同じく、中澤師がクリスチャンかどうか塔という発想が、もうすでにエホバの証人の発想である。エホバの証人は「自称クリスチャン」という言葉をよく用いる。「真の組織」や、「真の聖書」と同じように、「クリスチャンとはこういう人」というモデルがあるようかのような発想である。
 クリスチャンであり作家の曽野綾子さんが「クリスチャンとは、自分がインチキであることを知っている人のこと」と定義したことは、このメールでも紹介したことがある。はっきり言うと、私も中澤師も皆「自称クリスチャンである。霊の実さんには、ぜひJDCCが作ったような「クリスチャン指標度」という判定基準を作ってくれたら分かりやすいと思う。しかしそれとて、単に道徳倫理の点数表では困る。霊の実は「行動に現れた美徳」だけをいうものではない(ピリピ3:3)
 判定(ジャジメント)する主体が神にあることを深く認識しないと、こうした肉による判定基準が出てきてしまうことを霊の実さんは考慮に入れていない。こんな難しいことを言わなくても、普通のご主人さんなら「原田さんは洗礼を受けているらしい」とか「中澤先生は敬虔なクリスチャンらしい」といった程度の判定基準しかしない。つまり、伝道しているとか、集会を休まないとか、人の批判をしないとかいうこと、すなわち「ねばならない」というのは、ひたすら倫理道徳の言うことであって信仰から出るものとは限らないからである。

 ドゥゲン師のたとえ話ではないが、ロピンソン・クルーソーのような人でも、無人島でクリスチャンとして一生を送ることは可能だと思えるからである。
 私は元長老に二元論を提供した。「どちらにしても、あなたがものみの塔に残るか、この世に戻るかは悪魔にとって主要な問題ではありません。あなたが神の元へ行かなければ、悪魔にとってはどちらも同じことなのです。」
 組織に留まるか、辞めるか。神と聖書をどうするのか。信じるのか、しばらく蓋としておくか。それも、誰からも侵されてはならないあなたの選択である。
 ちなみに、聖書によると選択のきかないことがあるとされている。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが決まっている……」(へブル9:27)
 もちろん聖書を再調査するか、自分の信仰を再考するかしないか、それもあなたの選択である。

        NEWS&INFORMATIONS
ミニ情報
「宗教かカルトか」という本が出ています。
(竹下節子著、文春新書¥660)
著者はパリ大学等でカトリック史などを学び、フ
ランスの宗教事情やセクト事情に詳しい。
 最近話題になったフランス議会のセクト法案成
立の、宗教的・国家的事情というものや、その背
景と歴史が非常によく分かる本です。もちろん終
末論系カルトとしてものみの塔も登場します。
 またあの有名人が、あのカルトのメンバーだっ
たのか…という意外なおまけもあります。

     お祈りください

●草刈師が建材搬送の現場で事故に遭い、生死の
境にありながら、1週間後に退院になったことは
もうご存知のことと思います.肋骨の骨折や肺炎
の併発などから完全に癒され、記憶機能も完全に
取り戻すようお折りください。
●ウッド師が計画を進めてこられた「カルト研究‐
リハビリセンター」が、9月に着工、12月に完
成のめどまでこぎつけましたが、この働きのため
に捧げ、協力し、お祈りしてくださるように……。
●中澤師の書かれた「マタイによる福音書注解」
(上)が再版の連びとなりました。皆さんの教会
に献本することを期待しています。また、中巻の
執筆がスムーズに進み、出版の運びとなるようお
折りください。
●被害者全国集会の関西支部の赤羽博幸氏が「良
心の危機」と、皆さんの地元の図書館にリクエス
トして、置いていただく運動をしています。九州
のある地区では、エホバの証人関係の書物は図書
館にあってもいつも貸し出し状態なのだそうです。
インターネット情報と並んで、図書館好きのエホ
バの証人のためにご協力くださり、お祈りくださ
い。


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郵便振替 01700−1−31876
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