天国の花通信                           No.87  

       

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原 田 康 次

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  教会が燃えた。深夜に火が出て、礼拝堂だけを残して三分の二が消失した。幸い教会は無人だった。牧師は、予定していた四国のキャンプへ、強い勧めがあって一日繰り上げて発ち、船の上であった。消防の検証によると、電気配線からの漏電が原因であろうとのこと。放火の形跡はなかった。かわいそうなことに、牧師の愛犬が犠牲になったが、人身の被害は出なかった。冷静になって考えてみると、様々な主の守りがあったことが分かった。詳述しても信じてもらえないような。

 こういう事を書くと信仰とは無縁な人たちの冷笑をかいそうだ。どんな宗教でも「あなたの信心がなかったらもっとひどいことになってましたよ。」と言うからだ。人の悪い友人は「原田さんの神様は、火事が出ないようにはできないの?」と言う。

 エホバの証人なら、「主権論争」の登場かもしれない。悪魔が火を熾し、エホバから「それでも私に従うか」と試されるのである。人はご利益が期待できる場合のみ、神に従うものだと悪魔は主張しているからだ。神を第一にしていることを証明するためには、反対する夫を蹴飛ばしてでも集会に行かなくてはならないのだ。最近の王国宣教でも、大会に出席することは、「真理から離れている若者たちに、サタンの世とエホバの証人の違いを見る機会を提供することになる」と書かれている。何とも自負の強い文章である。仮にもし、教会の牧師が「私たちの良い行状で、普通の人とクリスチャンの違いを見せ付けてあげましょう。」などという説教をしたとしたら、私は即座に席を立つだろう。流行らない言葉だが、《破廉恥》というのはこういうことだ。自分たちの行状を誇る人たちを私はクリスチャンとは思わない。クリスチャンが誇れるのは十字架と自分の弱さだけである。(Uコリント12:9)

 エホバの証人の間ではご利益信仰を避けようとするあまり、自分の必要について祈り求めることは利己的なことだという空気がある。エホバの証人だった友人に、自分の悩みを打ち明けると「お前の悩みなんか、原爆に遭った人と比べたら‥」「アフリカで飢えてる人に比べたら‥」と口癖のように言われたことがあった。確かに、戦後主の憐れみによって、世界で二番目に裕福になったわが国で、どこにも食べるものがないという状況はない。この国に生まれたことを感謝すべきかもしれない。

 しかし、年間3万人もの人が自殺するわが国にも、救われなくてはならない状況は存在している。ある人にとってそれは健康の問題であり、ある人には経済的なものかもしれない。

いやもっと精神的な、魂の混迷からの救いであるかもしれない。他の人と比べて悩みの大小を云々するのはナンセンスであろう。

 

 私たちの教会は人数が少ないので、礼拝のときに「祈りのリクエスト」の時間がある。挙手してもらい、祈ってほしいことがあれば言ってもらう。エホバの証人が突然この礼拝に来たらおそらく嘲笑するだろう。また、クリスチャンがそれほど問題を抱えていることにも驚くかもしれない。

 教会に交わり始めたばかりの頃、出かける牧師を見送りながら、「スピードには気をつけてください」と言うと、「お祈りください。捕まらないように。」という返事が返ってきた、というのは今だに語り草になっている。かの中澤牧師でさえ、満員の新幹線の中で「席が空きますように‥」と祈ると、目の前の人が立って降りていったという話しを披露してくれたことがある。

 本当におかしくて笑ってしまった。なぜなら彼が座れたということは、おそらく誰かが立っていなくてはならないからである。エホバの証人にとって、これほど利己的なお祈りもないだろう。

 私はあるとき牧師に、「自分のニーズばかり神様にお願いするのは、ご利益主義が過ぎるでしょうか」と聞いたことがある。この返事もまたエホバの証人の長老からは聞けないものであった。「ご利益でいいんですよ」。       

 

まことに私たち夫婦の信仰生活は、神様からのご利益で成り立っていると言っても過言ではない。こんなご利益のある神様は他にいない。

 つい先頃の話だが、我が家の経済はピンチに陥っていた。翌々日に控えている集会へ行く費用もない。その他の問題もいくつか重なっていたので、妻と末っ子を呼んでお祈りをすることにした。最初にそれぞれの問題を述べてもらい、それぞれが祈った。経済的な問題になったとき、私はいくつかの条件をつけた。その一つは、この窮状を主以外の他の人に訴えないこと。つまり人に助けを求めないことにすることを約束させた。次に、借金などをして自分で自分を助けようとしないことも付け加えた。そうでなければ、この窮状を救ってくれるのが主であることを確認しにくいからである。信じて祈りはしたが、本当に驚いた。

 次の日に義姉から私たちのニーズを満たす金額が送られてきたのである。何かの記念日でもなく、結婚式も誕生日も入学、卒業もないときである。もちろん姉は私たちが祈る前に発送していたのであり、私たちはそれを知る由もなかったのである。

 実はこんな経験は一度や二度ではない。教会で証しをしても、特段誰も驚かない。

偶然というものに信仰を持っている人には申し訳ないが、偶然というのはこうも度々起きるのかとお尋ねしたいくらいである。

 今述べた体験は、実は私の信仰から出たものではない。生涯に渡り信仰によって、1万人以上の孤児の世話をした、ジョージ・ミューラー(*)の信仰に倣ったものである。彼は「この経験が決して私のみに限られた特権と考えないでほしい。神の子となっただれもが経験できるものである」と語っている。

 多くの宗教はこう言う。「神様はあなたを救ってくださいます。しかし、私たちの方も少しは努力しなくてはね。」こうして救いの達成のために、献金や精励、修行や善行の必要を説く。

エホバの証人の信仰はその最たるものであるが、真の福音は人間的な自助を全く否定する。エホバの証人の好きな「行いによる信仰」も、ただただ恵みの上に成り立っているものであり、私たちの信仰による業を「神に認めてもらう」というものではないのだ。

 

 先日放映された「男はつらいよ」では、少年の命を救った寅さんのことを、御前様は「仏様が寅の体を借りてなさったのだ」と言い、「中途半端な坊主の私より、仏様は愚かな寅のことをよっぽどお好きかもしれん」と言う。聖書の神様も、行いを誇る律法学者やパリサイ人より、愚かで心の貧しい人がお好きなようだ。

 

ノイローゼ気味のお嫁さんに、証人である義母は「『受けるより与えるほうが幸福である』(使徒 20:35)物事がうまくいかないときほど気持ちが内向的になりやすいので、そのような時に他の人に少しの親切を示し、与える精神を持つ事は、積極的で明るい気持ちになるのに大変役立つようです。」というメッセージを書いてよこしたという。

 「妻は夫に従いなさい」という聖句は、夫が妻に投げるものではなく、妻が自分のこととして、自分にあてはめるべきものなのである。それに「受けるより与えるほうが‥」という言葉は、次の言葉にかかっている。「幸福である」と言っているのであって、それが正しいとか、優ったことだとか言っているわけではない。たとえば飢餓で苦しんでいる人たちに私たちが食料を与えられれば、それは私たちにとって幸せなことだと言っているのである。

 エホバの証人のように拡大解釈して「与えない人は駄目な人だ」というのは全くナンセンスな聖書の読み方であろう。このお嫁さんには、「みことばを投げつける」証人にではなく、ただ義母のために、主に祈り求める幼子のような信仰を持つクリスチャンになってほしいものである。

 自分のニーズを祈り求めるクリスチャンの信仰は エホバの証人にとっては「なれなれしい、敬意に欠けた」信仰と映るかもしれない。そう思うとすれば、その証人にとって神は「おとうさん!」と呼びかける親しい信頼関係にはないということである。そうであれば、証人たちの軽蔑する「ご利益」もありえない。

 エホバの証人のような神学的な学びをしていないクリスチャンでも、次のことだけは体験的に識っている。神様が私たちを愛していてくださること。神様は裏切ることがないこと。父のように慕ってほしいと思われていること。ご自分に祈り求め、頼ってほしいと思っておられるということをである。

ジョージ・ミューラー:1805〜98。二十歳までは過度の飲酒や盗みなどの放蕩生活をしていたが、信仰復興運動によって回心し、ブレズレン派の牧師になる。決まった報酬を受け取らず、信仰と祈りによってすべて自由献金で生活しながら、64年間に1万人を超える孤児たちを養った。(『ジョージ・ミューラーの祈りの秘訣』いのちのことば社参照)

★News & Information

有志を募って国際大会の会場付近で、トラクト配布及びプラカードによるアプローチをします。

横浜会場 10/16日 小机駅 AM11:00集合

       10/17日 小机駅 AM8:00集合

埼玉会場 10/23日 京浜東北線 埼玉新都心駅 AM11:00集合

       10/24日 京浜東北線 埼玉新都心駅 AM8:00集合

 4日ともウッド先生が同行され国際大会の会場付近で、トラクト配布及びプラカードによるアプローチをします。

又、痛んだ葦の会は、11/17(月)10:30〜

テーマは「脱会後の信仰生活パート3」

    〜どのように聖書を読めば良いか。

〜です。

 

■中澤啓介師の「マタイの福音書注解」(下)が三年半の歳月を経て発表されました。

A5版770P定価¥4,800(今申し込まれれば¥4,000の特価です。)

恵友書房:Tel 042−743−5674  Fax 042−749−8680

★エステル会へお出かけください!

毎月第三水曜日午後1時

(ご相談は、日時を問わずいつでも応じます)

        直方クリスチャンセンター

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▲集会案内

 日に日に秋の気配が深まる今日この頃ですが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。

 ご案内のとおり、エホバの証人救出支援の会では、第26回セミナーを開催することになりました。

 120年も続くものみの塔との闘いは、出口の見えないトンネルにいるようなものと感じられるかもしれません。しかし、あの北朝鮮による拉致被害者の家族会も、国やマスコミにも相手にされない闇の時間があったのです。私たちも忍耐強くこの問題と取り組み、被害を受けているエホバの証人とその家族のための受け皿とならなくてはいけないと思います。

 ものみの塔という組織に対抗していくためには、私たちの関心が一過性のものでは何も変わりません。拉致被害者の家族のように、一致して継続的に活動していかなくてはならないと思います。

 聖書には、キリストがわずか2匹の魚と5つのパンを弟子たちに預け、それが5000人の人に行き渡ったという話が出てきます。私たち一人一人は小さく無力な露の一滴でも、やがてそれは大河の流れとなる、ということを教えられたものだと思います。どうか自分にできることは何もないと考えず、あなたも大河の一滴になってください。

 皆さんの万難を排してのご参加をお待ちしています。

 今回は「全国被害者集会」の九州大会として開催いたします。

また、今回は参加者によるシンポジューム形式で行いたいと思っております。

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○ ものみの塔     エホバの証人

●全国被害者集会

  

日 時 2003年 10月 25日(土)                             

       午前 10時 30分より

   場 所 福 岡 市 民 会 館                 

    参加費 会 員 ¥500 

        一 般 ¥1000        

 

◆奥様を脱会へ導いたご主人の体験談

▼輸血拒否死亡者追悼式

      

■お問い合わせ・お申し込み

 エホバの証人救出支援の会

 桝 和博 090-1314-3257

 Eメール masu-k@crocus.ocn.ne.jp

★アドバイザー

生武のぞみ

「脱会後のリハビリ」

(直方クリスチャンセンター牧師)

    

●ヘブンズフラワーメールは、元証人やそのご家族に、聖書の真理や、真の神様、救い主イエス・キリストの恵みを知り、幸福な人生を送っていただきたいという願いをもって発行している私的エッセイです。
  郵便振替   01700−1−31876                                              
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