
| 僕の故郷の話です。 街から少し外れたところに城山という小さな丘があり、その丘に登る鬱蒼とした道の山肌には、洞窟と呼ぶにはあまりにもちゃちな、コの字の横穴がいくつも開いてありました。どこに続くわけでもない、入ったらすぐに隣の穴に出てしまう横穴は、子供心にもなぜ掘られたのか不思議でした。実はもともとこの丘全体が古墳というか、お墓として利用されていたもので、横穴は古代の墓穴だったのです。 昔この丘に城を築くための工事中、当時は石で蓋のされていた横穴すべてから人骨がゴソッと出てきて、それらの骨は別の場所に埋葬しなおされたという話です。でも子どもの頃の僕はなにも知らず、この横穴で隠れん坊などの無邪気な遊びを繰り返していたのでした。じっさい、穴は全然、墓穴らしくなかったから。 と言うのも、この横穴は、前の戦争中、防空壕としても利用され、その際に、入り口も中も削られてかなり広く明るくなっていたのです。中の空間を広げるために削ったのでしょうが、これで墓穴の彩色はすべて失われてしまい、そこは何か無色透明な、ただのトンネルみたいになってしまっていたのでした。 小学生だった僕はその城山の下にあった公園で、毎日、毎日、遊びました。いつも一緒にいたのは、サンちゃん、チンちゃん、セイちゃん、コウちゃん、ブーちゃん。日によっては人数が増えたり減ったり。たまには縄跳びの得意な女の子のモモちゃんも混じることもあり、そんなときは、ちょっとだけ、僕らの遊び時間が華やいだものでした。 ある夏の日でした。 いつものように僕らは公園に集まり、そしてその日は城山の探検に行くことにしたのです。今日は全部の洞窟を制覇してやろう、と。子どもにとって、どれほどちゃちでも、あの横穴は洞窟以外のなにものでもありませんでした。 おもちゃの懐中電灯が二つありました。 大人の使う懐中電灯なら、洞窟の入り口から奥の壁にまで、まっすぐに光が届いていたのでしょうが、子どもの小さいおもちゃは足元しか照らすことが出来ません。珍しくフル・メンバーの七人がそろったその日、隊長のブーちゃんが先頭で一個、中程で女の子のモモちゃんがもう一個、それぞれ懐中電灯で足元を照らしていました。 小さい洞窟です。最後の一人が穴から入るころには、先頭はもう出口近くまで来ています。そんなちゃちな洞窟でも、それでも奥に入ってしまえば一瞬はほとんど暗闇の世界で、この世ならぬ感じがしたものです。 洞窟が全部で幾つあるのか数えることもなく、丘の道を登りながら、最後の穴を僕らはくぐり終えました。 そして、ふと気づいたのでした。 ――サンちゃんがいない。 「サンちゃーん」 僕らは叫びながら丘を駆け下り、公園まで戻りました。 もちろん、公園にもいません。 となれば、洞窟に隠れているに違いない。 僕らはもう一度、ひとつひとつの洞窟をくぐりサンちゃんに呼びかけながら丘を登って行ったのです。そして最後の洞窟にもサンちゃんが居ないことがわかり、誰かが、 「チンちゃんもいないよ」 けれどそれだけじゃありません。 「セイちゃんもいない」 「コウちゃんも」 「ブーちゃんも」 僕らは顔を見合わせ、そして奇妙なことに気づいたのです。 ちゃんと七人いる。 しかも、そこにいるのはみなよく知っている友達ばかりで、誰がどう入れ替わったのか、さっぱりわからないのです。 男六人、女一人の七人の、数だけはそろっていたのでした。 モモちゃんと入れ替わったのは、よく知っていた女の子でした。でも、その子のことはよく知っていたのに、名前も、歳も知らないのでした。顔にも覚えがなく、ただ、まえからよく知っていて、今日も最初から一緒に遊んでいたという記憶だけがあるのです。他の男の子も同じです。よく知っているのに名前も知らず、ただ知っているという記憶だけがあるのでした。 そしてふと気づきました。 僕自身が何者なのか、名前すら知らないと言うことに。 ここにいる七人で遊んでいたことは確かなのに、洞窟をくぐり、丘に登るうち、何かが変わってしまったのです。ここにいる七人じゃない七人が遊んでいたはずが、いつの間にか、ここにいる七人になってしまった。 僕らは恐怖に泣きながら、それぞれの家に駆けていきたかった。でも家がどこなのか、いやそもそも、僕らに家があったのかさえ、わからなくなってしまっていたのです。 とりあえず丘を降りよう、とした僕らは、洞窟がすべて岩でふさがれていることに気づきました。丘の様子も違っていました。 丘の道に立ちつくしていた僕らはすぐに工事のお役人たちに見つかり、番所へと引き立てられて行きました。 「子どもが七人、狐にばかされたか?」 僕らの話すことがあまりにも支離滅裂で、また要領を得ないので、お役人たちは困っているようでした。 一人がまた聞いてきました。 「お前たちは確かに穴に入ったのじゃな」 僕らは口々に、 「洞窟に入った。みんなで入った」 「それで、出てきたら、朋輩が消えていたのじゃな」 「居なくなったの、みんな」 「誰が消えたのか、一人ずつ名を言うて見い」 僕らはみんなの名前も忘れてしまっていました。 「七人で入ったのじゃったな」 「うん」 「今ここに何人いる」 「七人」 「誰が居なくなったんじゃ」 「みんな」 お役人は困り果てたような顔をして、 「穴の中は暗くなかったか」 「暗かった、けど」 僕らは何かで足元を照らしていたはずでした。何かこう、それほど明るくはないけど、あると安心するような、何というのか、あれです、あれ…… 「火を持って入ったのか?」 「ちがう」 「じゃあ真っ暗か」 「ちがう」 あまりにも無駄な問答に、お役人はまた仲間のところに戻り、つぶやきました。 「祟りか……」 そして和尚さんや小僧さんに混じって数日を過ごすうち、別に僕らが誰であってもかまわないし、そもそも僕らにとって、僕らが誰であるのかなんて、何の意味があるんだろうとさえ思えてきたのです。 「城山はもともと、上代の豪族の墓だと言われておる」 和尚さんが言いました。 「岩で閉じられておる穴は、みな、墓穴で、豪族の首領の代替わりごとに掘られたとの言い伝えもある。お前らはその穴に入り、出てきたと言うが……」 「憶えておりません」 僕らはもう、穴に入ったのかどうかさえ、あやふやでした。 「築城を始めた途端にこのような……瑞兆か凶兆か」 ある日、和尚は呼ばれて築城の現場へと行きました。横穴をふさぐ岩を取り除いたところ、中には朽ちた木棺と人骨があったというのです。お役人たちは和尚に経をあげさせて、新しく作った塚に骨を埋葬しなおそうとしたのでした。 ところが、和尚は経を上げることができませんでした。和尚が横穴の前に立った途端、穴の奥から飛び出てきた矛に、ひと突きにされてしまったのです。続いて横穴全てからゾロゾロと出てきた兵たちに、そこにいたお役人たちは皆殺しにされてしまいまいました。太平に慣れたお侍では、上代の大乱に慣れた兵にかなうわけがなかったのでしょう。 「兵が、来るわ」 僕らと一緒にお寺に預けられていた女の子は言いました。 「兵?」 「マツロの、イトの、ヤマトの兵よ。たくさん、たくさんよ」 僕らはキョトンとした顔を見合わせました。 けれど、表からは、確かに何か不気味な大軍の足音が聞こえてきていました。 「どこかに隠れなきゃ、私、ヒミコにされてしまう」 せっぱ詰まった様子に、 「じゃあ本尊の裏に」 女の子とふたりで隠れたとき、兵たちの足音が寺の中に入ってきました。 「モモソヒメ!」 「トトビモモソヒメ!」 兵たちは口々に叫び、ついにお堂にまであがってきたのでした。 ふと横の女の子を見ると、モモちゃんでした。モモちゃんは僕を見てにっこりと笑い、 「大丈夫よ。あとで迎えに来てね、きっとよ。待ってるからね」 そう言って、堂々たる足取りで兵たちの前に歩み出て行きました。 兵の一人が尋ねました。 「トトビモモソヒメにて、ありやぁ」 「そは吾ぞ」 それを聞くと、兵たちは二本の長い竹をお堂の床に並べました。 モモちゃんは良く通る高い声で歌い始めました。 おさかの おおむろやに ひとさわに きいりおり ひとさわに いおりとも みつみつし くめのこが くぶつつい いしつついもち うちてしやまん みつみつし くめのこが くぶつつい いしつついもち いまうたばよろし …… 兵たちはモモちゃんの歌に手と足で拍子を取りながら、そのうちの二人が床に置いた二本の竹を交互に持ち上げたり、床に叩きつけたりを繰り返し、そしてモモちゃんは、そこに踊るようにして近づくと、二本の竹をスイッとまたいだのでした。モモちゃんは生き物のように横へ縦へと動く竹をとても上手に避けながら、ある時は踊りのように、あるときは縄跳びのように、跳ね続け、飛び続け、良く通る高い声で歌い続けました。モモちゃんに唱和する兵たちの声、また拍子を取って床に打ち付けられる矛の柄の音が一つになって、お堂の中は割れるような轟音に満ちました。 …… たたなめて いさなのやまの このまよも いいきまもらい たたかえば われはやえぬ しまつとり うかいがとも いますけにこね …… 延々と続く歌がやっと終わると、兵の一人が、うやうやしく、丸い鏡と矛をモモちゃんに渡しました。モモちゃんはひもの付いた鏡を首にかけ、矛を高々と突き上げて、 「いざ子ども、吾はヒミコぞ!」 兵たちはお堂が揺らぐほどの雄叫びで答えました。そしてモモちゃんは兵をひきいて悠々と、寺から歩み出て行きました。 静かになって僕もお堂から出て行くと、一緒に預けられていた男の子五人が駆け寄ってきました。よく見れば、僕ら以外、寺には、あちらに、こちらに、死体が転がっているだけでした。僕らは和尚さんを捜して城山まで走りました。 城山にも殺されたお役人やお侍の死体が数え切れないほどに転がっており、その中に僕らは和尚さんを見つけて駆け寄りました。虫の息だった和尚さんは、兵たちが墓穴から出てきて、そしてモモちゃんに率いられて墓穴に戻ったことを簡単に話し、僕たちに向かって呪文のような文句を唱えました。 おんかぁかぁかぁびさんまぇぃそわかっ! そして僕らは、公園で泣いているところをお巡りさんたちに発見されたのでした。 モモちゃんだけが消えていました。 僕らは連れて行かれたテントで、お巡りさんたちに、何が起こったのか、正直に、きちんと、極めて正確に、筋道立てて話しました。けれどお巡りさんたちは首をかしげてため息をつくばかりで、ほとんど信じてはいない様子でした。 「じゃあ、モモちゃんは兵に連れて行かれたんだね?」 「ちがうよ、兵を連れて行ったんだよ。モモちゃんはね、ヒミコになったの」 僕は見よう見まねで、モモちゃんが飛び跳ねている様子と、モモちゃんが歌った歌を再現したのです。 「いざ子ども、吾はヒミコぞ!」 なのに、話にならぬ、と言った様子で、 「じゃあずっと、城山のすぐ下のお寺にいたんだね」 「うん大超寺って言ってた」 「確かに城山の下に昔は大超寺があったらしいけど、でも、大超寺は何百年も前に別の場所に移って、城山の下には小さな地蔵様が残ってるだけだよ」 「でもお寺があったよ。大超寺って」 お巡りさんたちは何か話し合ったあと、とりあえず家に帰そうということになったようで、僕らはお父さんお母さんに引き渡されました。 次の朝、お父さんの知り合いで、遠山さんという画家が、僕の話を聞きたいとやってきました。 「横穴の中にみんなで入ったんだね」 「うん、そう」 僕はまた、遠山さんに、僕らに何が起こったのか、正直に、きちんと、極めて正確に、筋道立てて話しました。 遠山さんは首をかしげることもなく、本当に信じてくれている様子でした。 「モモちゃんはヒミコになったんだね」 「そう」 僕はもう一度、遠山さんと、そしてお父さんお母さんの前で、モモちゃんの飛び跳ねている様子を再現しました。 遠山さんは、 「兵たちはね、モモちゃんのことを『トトビモモソヒメ』って、言わなかったかな?」 そうでした! まさにそう呼んでいました。僕は、 「言った! そう言って呼んだ! トトビモモとか、そういうの」 「間違いない」 遠山さんはお父さんお母さんの方を見てニッコリと笑いました。でも、お父さんお母さんはどう反応していいかわからない困り切った笑顔を作ったようでした。 「城山はヒミコの墓だろうって、僕はずっと昔から思ってた。『日本書紀』に出てくるヤマトトトビモモソヒメこそがヒミコなんだってね。いいかい、トトビとは鳥のように飛ぶこと、モモソとは百回ってことで、鳥のようにたくさんたくさん飛び跳ねる姫ってことだ。飛び跳ねるようなダンスをしてトランス状態になるのは東アジアの巫女では珍しいことじゃない。バンブーダンスも、きっともとは巫女がトランスにはいるための踊りだったんだ。やっぱりヒミコは人名じゃなかったんだ! これはワ族が連合を作るときの象徴的な巫女の職名なんだ。来てくれ」 僕は腕を引っ張られ、 「この子、借りるよ」 そのまま城山に連れて行かれました。 「君たちが横穴に入ったのはおとといの何時頃だったかな」 「お昼前」 「やっぱり……」 横穴の前に立つと、遠山さんは大人の懐中電灯で奥を照らしました。 僕はびっくりして声を上げそうになりました。 そこには赤や青や白で、三角の模様がびっしりと描かれていたのです。 「これは見てなかったんだね」 「誰が描いたの?」 「僕だよ。僕がおとといの朝に一晩かけて描き上げた。昔の史料をもとにね。やっぱり、この模様は異世界への通路だったんだ」 僕は何か不吉な感じを受けました。 「モモちゃんは、もう帰ってこないの?」 「この模様を描き上げたあとで、実は僕はね、まるでこの世にいないような、奇妙な気分になったんだ」 遠山さんは僕に答えず一人で話し続けました。 「それで、一カ所だけ、魔除けのつもりで余分なものを描き足した」 遠山さんがライトの光を当てた箇所には、お地蔵さんが手を合わせる画がありました。 「でもこれを描き足したのは昼すぎだったから、君たちが消えたあとだったんだね。ちょっと遅かったんだ」 「モモちゃんは……」 「いいかい、これから僕が言うことを良く聞くんだ」 そう言って遠山さんは僕の前にしゃがみ込むと、僕の両肩を両手でグイッと掴み、僕の顔をじっと見て、涙声で、 「僕はこれからこの穴に入って、モモちゃんを助けに行く。そのために、あの地蔵様の画をこのペンキで消して、もとの装飾を復活させる。そのあとでこの穴の反対側へと出て行く。多分、僕は二度とこの世界には帰ってこれないと思う……でも、そうなっても、君は逃げちゃいけないよ。僕は懐中電灯を置いていくから、冷静に、このペンキで、もう一度あの地蔵様の画を描き足すんだ。出来るだけ早く。その間、息もあまりしない方がいい、いいね。そして、間違っちゃいけない。向こうじゃなく、こちらへと出てくるんだ」 遠山さんは横穴へと入り、しばらくすると気配がしなくなり、僕が入ってみると壁を照らす懐中電灯だけが地面に置かれ、誰もそこにはいませんでした。 僕は遠山さんに言われたとおり、息を止め、へたくそな地蔵様の画を描き、すぐに外へと駆け戻りました。 するとなにかピンと来るものがあり、僕は大超寺へと走りました。今ではお地蔵様の小さなお堂があるだけなのに、僕には全てがわかっていたのです。 お堂の中の座布団の上では、モモちゃんが膝を抱いて心地よさそうに眠っていたのでした。まるでお地蔵様のように。 遠山さんは洞窟の中でペンキの溶剤に中毒して倒れているところを発見されました。病院で目が覚めても、魏の鏡がどうとか、ヒミコがどうとか、モモちゃんを救い出すまでの、その世界で活躍したらしい自分のこととかを、ギラつく遠い目で喋りつづけていたそうです。もちろん、誰もまともには聞きませんでした。 そして僕らもみんな、洞窟に満ちたペンキの有機溶剤のガスで記憶が変になったんだろうと言われています。 でも僕だけは知っています。お地蔵様がモモちゃんの身代わりになったんだってことを。だって、みんな出てきたのに、お堂のお地蔵様だけが消えたままだもの。 僕の故郷の話でした。(了) |