三次会のスナックまで若い連中につきあわされ、少々閉口しているところに告白ゲームだと。一人づつ最初のセックスについて告白しろってか。ジャンケンで勝ったものが最初の告白人を指名して、あとは告白人が指名、告白そして指名、これを繰り返す。で、ジャンケンで勝ったのが部下の木下明美、俺が指名を受けた。みんな俺だけは避けたかったろうに、こいつは遠慮がない。
「俺か? 俺の初体験なんて聞いたってしょうがないよ」
「ううん。聞きたいんです、課長の初体験」
「この歳で童貞だったらどうする?」
 五十ちかいのに独身だからな。
「ホモってオチは無しっスよ」
 隣の課の若いヤツだ。
「しょうがないな。でも、前置きがかなり長くなるぞ」
「かまいません」
 木下明美が少々マジな顔で言った。
「みんなは学生運動って知ってるか?」
 一同頭を横に振った。だろうな。
「俺は大学は出てるが、ほとんど授業は受けてないんだ。ただし学校には詰めてた。バリケードを作ってね、その中に」
「なんか、映画で観たことあります、それ」
 名前も知らない女の子が言った。
「まあ、映画だときれいに作ってるんだろうが、実際は野郎ばかりでね、きたねぇんだ。風呂にも入れずにいるから臭いしな」
「バリケードの中でやった、とか?」
 木下が突っ込む。
「そんなに先を急ぐなよ。前置きは長くなるって言っただろ……」


 バリケードは一つじゃなかった。というのも、学生運動は当時いくつものセクトに分裂してて、それぞれの主張を絶対に譲らないからな、その思想的な分裂がバリケードのなわばりの線引きとして現れていたってわけだ。理学部はP派、文学部はQ派って感じだ。
 このセクト闘争ってのは熾烈でね、他の大学じゃ、死人も出てた。だから俺たちは、警察とか機動隊とかより、他の派の襲撃を恐れてたね。俺は臆病だったから夜はほとんどバリケードから出なかった。昼間にはデモとかに参加するけどいちばん安全なところでウロチョロしてるだけ。言うことは革命だとかゲバルトだとか過激なんだけどな。ま、卑怯もんさ。
 それで、俺たちのバリケードの中は男ばっかりだったんだけど、隣の文学部の、Q派のバリケードには女がいたんだ。一人だけ。でも、たった一人でも女がいると雰囲気が違うんだな、なんとなく男たちがサッパリとあか抜けてるんだよ。当時の大学自体、女は数えるほどしかいなかったし、とにかくひと目でいいからバリケードの中の女とやらを見てみたかった。
「やめとけ」
 当時の親友だった遠山ってヤツが言った。
「ありゃバケモンだ」
「ブスなのか?」
「とんでもない。人間離れした美人だよ」
「だったら……」
「陰ではメドゥーサって呼ばれてる。あのギリシャ神話のな」
「ひと目見たら石になるのか?」
「なる」
「アレが、の間違いじゃないのか?」
「俺は冗談は言ってない。見ろよ、Q派の男たちを。すっかり精気を抜かれてしまってるだろ。あれはメドゥーサに魂を食われてしまったからさ」

3 
「課長はそのメドゥーサを見たんですか?」
 木下明美が俺の目をのぞき込むように言った。
「見たよ」
「美人?」
「ゾッとするほどのね」
「女優で言えば?」
 名も知らぬ若いヤツが言った。
「いや、こういう言い方では信じてもらえんだろうが、誰にも似てないんだ。一言で言えば、抽象的な美人なんだな。あんな女はあの女ひとりで、たぶん世界中どこにもいない」
「そのメドゥーサが、課長の最初の……」
「さあ、どうだろうな。それはこれからのお楽しみってとこだ。でもあれが俺にとっての最初どころか、たぶん、最後の女だ」
 ちょっと雰囲気が凍った。
「そんなによかったんスか?」
 さっきの若いヤツ。
 俺は水割りを舐めてから、
「セックスって、いいものなのか?」
 ちょっとした笑いが起こった。みんな若いのだ。セックスの恐ろしさなどまだ知るまい。と言っても、俺があの女とやったのはこいつらの誰よりも若かったころだったな。
「その人とたくさん、したんですか?」
 木下が怪訝そうに言った。
「いや、一度だけだよ。それでじゅうぶんだ」


 遠山はよく俺をストリップに誘った。バリケードの中だけじゃだめだ、生き生きとした大衆の姿を見ておくんだ、なんて言ってな。ストリップが女性差別じゃないか、なんて意識はなかったね。そこにいるオッサンらと連帯してるような気分さ。でも飽きてくるんだな、オバサンの裸に。自分の母親よりも年上のオバサンのストリップだぜ、欲情するわけがない。といっても、遠山はじゅうぶん満足してるみたいだったから、俺が淡泊だったってだけかも知れん。
「おい、今晩、連帯しにいこう」
 これが遠山のストリップへのお誘いだった。
「もういい、飽きた」
「連帯に飽きるも糞もないだろ」
「金ももったいないし」
「そうか。じゃ、俺がおごるから、ちょっと変わったところに行かないか」
「変わったとこ?」
「ああ」
「なんだよ、それ」
「…SMクラブ…俺もまだ行ったことはないけど、ストリップの支配人が紹介してくれた会員制のクラブなんだ…すごいらしいぜ」
 その夜、確かにすごかった。そしてなにより、
「女が若いな」
 遠山が言った。
「うん」
 本当に若かった。年寄りの裸を見慣れた目にはそれだけでも新鮮だった。
 サド役、マゾ役、どちらも仮面を被ってたんだが、革の下着だけの体だし、隠し切れん若さがあったよ、そこには。
 客はと言えば身成のいい中年過ぎの男ばっかり。若い女連れも数組いたな。ストリップとはまるで客層が違う。
「ブルジョアの店だ」
 少し興奮して来た俺は照れ隠しに遠山に言った。
「ああ、だが、ブルジョアの退廃を見ておくのもいいだろう」
 遠山は俺を見もせず放心した表情で言った。
 足指舐め、鞭打ち、蝋燭、とショーは続き、司会者は、
「ご開帳!」
 サド役の女はマゾ役の女の仮面を取った。
「これが今日のPIPI姫です!」
 司会者の紹介に拍手が起こった。長い髪が陰になってよく見えないものの、マゾ役の女が相当の美人だということはわかった。
 美人だな、とでも言おうと遠山の方を見ると、まさに石になっていた。
 そしてつぶやいた。
「あれは……」
「なんだよ」
「あいつは……」
「だから、なんだよ」
「メドゥーサ……」



「どんなショーだったんです?」
 俺が意図的に避けようとした話題へと、木下明美が切り込んだ。
「ちょっとな、女と飲みながら言うような内容じゃない」
「でも、しらふじゃ、なお駄目っしょ」
 隣の課の若いヤツ。
「まあな。じゃ、フランス語でPIPIって何かわかるか? だれか」
 だれもわからない。
「小便だ」
「うわっ! 聞きたくないな、それ」
 名も知らぬ若い女の子。
「私は聞きたい」
 木下の目はむしろ輝いている。
「じゃ、ショーの内容はそのうち、木下くんにだけ話すよ」
 俺は話を続けた。


 ショーを観て、遠山の何かが崩れた。目は遠くにあって、帰り道で何を聞いても答えなかった。本当に石になってしまったようだった。
 でも俺は一応聞いたよ。
「バリケードに戻るか?」
「いや、今日は家に帰る」
 それが遠山を観た最後だった。


「え〜」
 木下明美が声を上げた。
「ショックで大学辞めたとか、ですか?」
「違うよ。死んだんだ」
「病気とか?」
「いや、殺されたんだ。犯人はまだ捕まってないが」
 また雰囲気が凍った。
「ごめん、話がなんか、妙な方向に行ってるな……」
「いや、いいっスよ」
 隣の課の若いヤツ。
「サスペンスもいいじゃないっスか」
「すまんが、サスペンスなんかじゃないよ。そんなもんじゃない」


 遠山は俺よりも、もっと、さらに、いい加減なやつだったから、何日もバリケードにやってこないこともめずらしくなかったんだ。そこにいなくても誰も心配なんかしてなかった。だから、全身めった打ちにされて少なくとも8カ所骨折、頭にはバールが打ち込まれて先ほど息絶えたって言われても、ほんと、耳を疑うだけで、なんで遠山がって、な。もっと大物ならともかく、あんな下っ端の、ストリップ狂いの男をなんでゲバるんだよって感じだな。病院で対面したときも、俺は涙も出なかった。警察に出頭するように言われたけど、任意だから拒否したよ。そういう時代だったんだ。
 それにしても、バールを脳天に打ち込んでトドメを刺すのはメドゥーサのいたQ派のやり口なんだ。俺はあの夜のショーと遠山の死とを結びつけて、恐ろしさに震えたよ。メドゥーサの正体を知られたQ派に消されたに違いないってね。
 ただ、震えてばかりもいられなかった。学長交渉が決裂して、今日明日にも機動隊が学内に入るって話だった。君たちには信じられんだろうが、機動隊と殴り合うことが俺たちの革命運動だったんだ。殴り合えば殴り合うほど革命は近づくんだってな。もちろん俺は直接殴り合ったことはないよ。でもあの夜は、ついにその日が来るんだって、俺はメドゥーサのことも遠山のことも忘れて、バリケードの中で、徹夜で、革命後の理想社会について仲間たちと議論してたよ。
 朝九時、ちょうど九時だったな。機動隊の突入が始まった。
「死守!」するはずの入り口のバリケードなんかもろいもんさ。四、五人引っ立てられて終わり。あとは死にものぐるいに逃げるだけさ。俺? 俺は突入されたとほぼ同時にもう逃げてたよ。前から探しておいた逃げ道をね。二階の窓から雨樋につかまり降りて、すたこらさっさ、とね。
 ところが、地面に降りて、俺はそのまま石になった。
 メドゥーサ……
 俺を待ち伏せするかのように、そこに立ってたんだ。あの夜と同じ、大理石のような青白い顔で。


「それで、やったんですね」
 気の早い木下明美だ。
「おいおい、なんでそうなる」
「だって、そうじゃないとこれまでのお話が……」
「確かにやった。ただしメドゥーサとじゃない」

10
 メドゥーサは俺の手を引いて走った。石のように冷たい手がさらに冷たく汗ばんできた。
 手を引かれるがまま、裏口を駆け抜けた。
 俺たちは無言のまま同じ電車に乗り、怪しげな駅で降り、怪しげな宿に飛び込んだ。もうそうするしかないと決まっていたんだ。きっと何億年も昔から。
 年中陰になってるような、昼間でも暗い部屋だった。そこをさらにカーテンで暗くした。時計も見えない暗闇だった。その中で俺たちは時間も忘れてひたすらやった。
 俺は初めてだったが、向こうは違った。
 手慣れていた。
 俺の全てを、俺以上に知っていた。
 俺は舐められ、吸われ、噛まれ、ひりつくような快楽の中で、しかも果てることさえ許されず、地獄のような極楽と、極楽のような地獄を彷徨い続けた。
 そして最後、俺を一滴残らず吸い取って満足すると、あいつはカビ臭い息を俺に吐きかけた。
 食われる!
 俺は直感的に思った。
 これはメドゥーサじゃない! 
 手探りで灯りをつけた。
 俺の上にまたがっていたのは、骨と皮だけのくせに腹だけをボッコリ膨らませた地獄の餓鬼そのものだった。
 灯りが点くと、そいつはかすれた叫び声をあげながら、ノソノソとどこかへ逃げていった。

11
「誰だったんですか」
 また木下明美、顔は蒼白になっている。
「わからない。顔は見てないんだ」
「メドゥーサは?」
「消えた。バリケードは解除されたし、あのSMクラブにも行ってみたけど、もう無くなってた」
「私、聞いたことがある」
 ずっと黙って聞いていた受付の女の子が初めて口を開いた。
「男の人はいつも幻影を抱いてるんだって。現実の女を抱いていても、本当に抱いているのは幻影なの。それは政治だったり、野望だったり。でも、目を開けてみる幻影は醜い現実でしかなくて、だから男は目を閉じて幻影を抱き続けるの。でも幻影を抱き続けた男はそのうち現実の女に食われてしまう」
 明るい顔に戻った木下が、
「じゃ、課長、次を指名して」
 そう言って笑った。
(『妖女伝』第一章「メドゥーサ」終わり)

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