透析導入前


2003.9.23更新


私がこの病気と知り合ったのは、中学2年生の春。
恒例の尿検査でした。
小学校からの尿検査と全く同じ検査方法。
皆さんもご存じかと思いますが、お弁当用”醤油入れ”の ような小さいボトルにおしっこを入れて持って行く検査でした。
検査の結果が出るまで1ヶ月くらいあったでしょうか?
ある日、クラス全員分の尿検査の結果が帰ってきました。
クラスの中でも2〜3人は再検査の人が出てきます。 その年は私もはじめて再検査に引っかかってしまいました。再検査になると、尿を入れる容器が ”醤油ボトル”から”ソースボトル”へと大きく変わるのを皆さんはご存じですか? 周りの子からは『前の日に100%のジュースを飲んだんじゃない?』とか 『生理中?』などいろいろ言われ、恥ずかしい思いをしながら”ソースボトル”を 家に持ち帰り、後日提出するのです。
そして再検査の結果が出ました。
『病院へ行って精密検査をして下さい。』との結果でした。
この日から私の病気との闘いが始まったのです。
中学から透析導入に至るまで、いろいろな事がありました。
嫌な思いをいっぱいして、いっぱい泣いて、いっぱい考えて、いっぱい悩んで、 いっぱい親にあたって、私以上に親の方が辛かったと思います。




      【この頃悩んでいたこと】(中学から透析導入に至るまで・・・)

@毎年尿検査の度、再検査になり周りの目を気にしていた。
Aテニス部に所属していたのだが、体を理由に試合に出させてもらえなかった事もあった。。
 (まぁ、下手くそだったこともあったのですが・・・)
B3〜6ヶ月毎に病院へ行かなくてはいけなかった事。
 (周りの子は遊びに行ったりいろいろ楽しい思いをしているのに、
  なぜ自分ばかりが、約半日をかけて病院へ行かなくてならないのか?)
C友達に自分の病気の事を話せない事。
Dどうしていいかわからず親にいっぱい当たってしまい、『これではいけない!』と
 わかっているのに、どうにもならない自分にイライラした事。
E専門学校を卒業して就いた仕事が体力仕事だった為、体がついていかず、退職。
 今後、何をしたらいいのか?自分の居場所がわからなくなった。
Fまだ23才なのに、どうして自分がこんなに辛い思いをしなければならないのか?
 と思うと辛かった。


などなど、中学から23才までの間、もっともっといろいろ悩んでいたと思いますが、 透析導入から8年経った今思い返すと7つしか思い出せません。 とにかく、”なぜ自分ばかりが・・・”と言う思いが一番強かったように思います。
でも辛い事ばかりではなかったです。
この頃も、今も、私の心の支えになってくれているのが、(家族はもちろんですが、)
私が高校3年生になる平成元年に、我が家にやってきてくれた愛犬『たろう』に出会えた事です。 私が辛い時、悲しい時、悩んでいる時、いつもいつも私の側にいてくれる、 私の大切な大切なパートナー。たろうの存在がなければ、私は今以上に 暗い性格になり、引きこもってしまっていたと思います。 たろうに感謝です。そしてこれからもずーっと一緒です。ありがとうね。タロの助☆
そして、いつも私のことを1番に考え、一緒に悩み、正面からぶつかって来てくれる父、母、兄、にも大感謝しています。 これからもこんな娘をどうぞよろしくお願いします。




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