「全然OK」は全然OKか

2003/3/2


 先日、同じ職場のK君に、「最近『全然OK』とか『全然平気』とかいう言い方をするが、『全然』ということばは、『全然おいしくない』とか『全然ダメ』とか否定の意味で使うのが正しいのではないか?」ときかれました。

 私は国語辞典のサイトを作っていますが、別に「日本語」に詳しいというわけではないので、即答できませんでした。


 帰ってから、さっそく新明解を調べてみました。


ぜんぜん【全然】(副)
 その事柄を全面的に否定する意を表わす。全く。「全然〔=まるで〕なっていない」〔俗に、否定表現を伴わず、「非常に」の意にも用いられる。例、「全然《=てんで》おもしろい」〕 (第5版)



 これは第5版ですが、語釈・用例とも、当初からほとんど変わっていません。肯定用法については「俗に、否定表現を伴わず、「非常に」の意にも用いられる。」と書かれています。



 よく、「辞書に書いてあるから正しい」といった言い方がされることがあります。しかし、ことばというものは、時代がたつにつれ変化していくものです。最初は一部の人の「誤用」であっても、大勢の人が使うようになると「俗用」となり、ついには市民権を得て「常識」になるということは特に珍しいことではありません。


 例えば、「とても」という言葉。もとは「とてもできない」とか「とても間にあわない」といった「とても○○ない」という否定表現でしか使わない言葉でした。ところが明治時代末ごろに「とても安い」とか「とても寒い」といった肯定形で使われるようになりました。

 芥川龍之介は、その随筆(おそらく『澄江堂雑記』だったと思いますが)に、「とても」が肯定形に使われていることに非常に抵抗感がある旨のことを書いています。でも、今では誰も「とても安い」という言い方に違和感を感じる人はいないでしょう。


 さて、「全然」のような用法が定まっていない言葉をどう扱うかといった問題は、国語辞典にとって非常に大きな問題です。

 このことについて、『三省堂国語辞典』の編集主幹だった見坊豪紀は、『三省堂国語辞典』第三版の序文に次のように書いています。

 辞書はかがみ≠ナある ― これは、著者の変わらぬ信条であります。

 辞書は、ことばを写す鏡≠ナあります。 同時に、

 辞書は、ことばを正す鑑≠ナあります。

 鏡≠ニ鑑≠フ両面のどちらに重きを置くか、どう取り合せるか、それは辞書の性格によってさまざまでありましょう。


 有名な「辞書かがみ論」です。なお、『三省堂国語辞典』自身は、「時代のことばと連動する性格を持つ小型国語辞典としては、ことばの変化した部分については鏡≠ニしてすばやく写し出すべきだと考えます。鑑≠ニしてどう扱うかは、写し出したものを処理する段階で判断すべき問題でありましょう。」として、「ことばを写す鏡=vの立場に重きをおくことを明言しています。


 参考までに、『三省堂国語辞典』で「全然」を引いてみましょう。


三省堂国語辞典(第5版)
ぜんぜん[全然](副)
@〔あとに打ち消しや「ちがう・別だ」などのことばが続いて〕まったく。まるで。「知らない」 A
〔俗〕とても。「大きい」



 一応〔俗〕として、「俗語」であることが書かれてはいますが、それほど全然の肯定表現については気にしていないようで、「全然大きい」が用例にあげられています。


 これに対し、辞書を「ことばを正す鑑=vと考える国語辞書の代表選手ともいうべき『岩波国語辞典』はどうでしょうか。


岩波国語辞典(第6版)
ぜんぜん【全然】(副)
(ア)《後に打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って》まるっきり。「―読めない」「―だめだ」 (イ)すっかり。全面的に。「心は―それに集中していた」「―同感だ」 ⇒肯定に使ったこの用法にも実例が多い。ただし「非常に」「断然」の意に使うのは俗用。「―平気だ」は「―気にしない」「―構わない」との混交か。 



 さすがの『岩国』も「全然」の肯定表現が間違っているとまでは書いていません。そして、用例として、「心は全然それに集中していた」「全然同感だ」「全然平気だ」を載せています。『岩国』でさえ認めているので、「全然」の肯定表現は、ほぼ市民権を得ているといえるでしょう。


 さて、せっかく『三国』と『岩国』を見たので、ついでに出典付き用例が特徴の『新潮現代国語辞典』も見ておきましょう。


新潮現代国語辞典
ぜんぜん【全然】(副)
(一)打消を強める語。まるで。「―色気のない平気な顔では〔草枕〕」
(ニ)まったく。完全に。「一体生徒が―悪るいです〔坊つ〕」「妻を迎へて一家団欒の楽を得ようとして、―失敗した博士も、此城丈は落されまいと〔半日〕」「こうやって演壇に立つのは、―諸君のために立つのである、唯諸君のために立つのである、と救世軍のようなことを言ったって〔漱石・大阪講演〕」「―監督者の口吻(コウフン)である〔続悪魔〕」



 なんと、「全然」の肯定表現は、明治時代には夏目漱石も使っていた伝統的で「正しい」表現だったのです! 「全然」の後に否定表現がこなければならないという方が、最近の人が言い出した新しい「常識」だったのです。


 もっとも『岩国』によれば、肯定表現にも2種類あって、「非常に」「断然」の意に使うのは俗用だそうですが、「全然OK」に関していえば、これは「すっかりOK」「全面的にOK」という意味ともとれるので、伝統的な用法に沿った使い方であるともいえましょう。


 「全然OK」という言い方は、全然OKです。







【追記】(2004/1/26)

杉浦茂という戦前から昭和30年代にかけて活躍したギャグマンガ家がいました。
代表作『猿飛佐助』『少年地雷也』などは当時の子供に絶大な人気があったそうです。

この人が昭和31年、32年ごろ書いた『少年西遊記』というマンガに次のような場面があります。


    杉浦茂『少年西遊記T』(河出文庫、2003)P127より

「にくだんごはいかがでしたか?」と聞かれた孫悟空が「ぜんぜんおいしかったよ」と答えています。
この時代には「全然」の肯定表現は全然違和感のない普通の用法だったのです。


石山茂利夫『今様こくご辞書』(読売新聞社、1998)によれば、
日本国語大辞典を編纂した松井栄一が辞書作りのために用例を採集した際、
「全然」を肯定表現で使用している例が少なからずあったとのことです。
夏目漱石のほかに石川啄木、森鴎外、芥川龍之介らも「全然」を肯定表現で使っています。
また、山本周五郎の『青べか物語』に「三人とも全然まるはだかであった。」という文章があるそうですが、
これは昭和35年に書かれた文章であるとのこと。

杉浦茂のマンガも昭和30年代前半に書かれていますので、
少なくとも昭和30年前半までは「全然」の肯定表現は全然OKだったのです。

いったいいつ誰が「全然という言葉は否定表現を伴う」などと言い出したのでしょうか?

実は私も最近まで「全然」は必ず否定表現を伴うと信じ込んでいました。学校でそう教えられたからです。
おそらく昭和40年代〜昭和50年代ごろの国語教育の世界で何かが起こったものと思われます。
言葉というものは長い時間をかけて自然に変化していくのが通常でしょうが、人工的に変化させられることもあるのです。

「正しい日本語とは何か」という問題は、意外と難しい問題です。




【追記2】(2004/2/12)

 「全然」の肯定表現について、こんな用例を見つけました。

いみ【意味】
全然を肯定的な―〔=用法〕で使うことは以前からあった」(第5版)


 第5版から追加された用例ですが、「全然」の語釈の中ではなく、こんなところにこんなことを書いているなんて、いったい誰が気付くでしょうか。




 

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