
蛍狩り
ゆっくりと夕日が山に沈もうとしていた。
夜の到来を待ちわびるように、侘びしげに蛙が哭く。
沈む夕日を追いかけるように、西の空に下弦の月が浮かんでいる。
俺は縁側に腰を降ろし広がる水田を見つめた。
まだ、青い稲は鋭い葉を真っ直ぐに天に延ばしていた。
風が吹く。
一斉に青い稲がうねる。鈍い緑の波が遙か向こうの山裾まで広がっていった。
ゆらゆらと太陽が山の向こうに消えて行く。
たそかれどき。
「誰ですか、彼方は」
風が問う。
答えはない。
蛍狩りの夜がはじまる。
俺は浴衣に手を通す
両肩にずっしりと浴衣の重みを感じる。だが、それも僅かな時間に過ぎなかった。敏感に体温を感じた微細機械が、鉛を中心に据えた極細の金属繊維を俺の体に合わせて伸縮させてゆく。
数秒後には、紗とまごうほどの軽さとなった。
縁側に団扇が一枚置かれている。
俺の唯一の守り神だ。
柄を持つとひんやりとした金属の冷たさが伝わってくる。
扇の付け根の部分にだらりと下がった黒いコードを、浴衣の袖に接続する。
励起して扇が細かく振動する。
俺は軽く団扇を仰ぐ。
目の前の景色がぐにゃりとゆがむ。
「おいおい、はじまる前から屋敷を消さないでくれよ」
ゆがんだ景色の中に、男が立っていた。
紺の浴衣を着ていた。
二重格子が染め抜かれている。
自然観察員だ。
「分かっていると思うが、君が狩れる蛍は二体だけだ。違反すれば次回から蛍狩りへの参加は出来なくなる、いいね」
返事をするかわりに、俺は観察員の足下へ団扇をひとふりした。
「失礼」
惨めに尻餅をついた観察員を一瞥すると、俺は素早く草履を履いて、畦に向かって滑り出した。職人が一年かけて編み込んだ草履は、俺の体の一部のようにしっくりと馴染んでいる。目の前に用水が流れている。軽くつま先に体重を移すと、俺の意思を読みとるかのように、草履がふわりと浮き上がる。
体重を移動させ、やや斜めに着地する。
慣性すらも吸収するように、ぴたりとあぜ道に制止した。
上出来だ。
今年はきっちり二体仕留められそうだ。
あぜ道には、数名の参加者が集まっていた。
「のぶ爺の草鞋、だな」
野良着を着て、黒い長靴を履いた男が、俺を見ていた。
やや腰が曲がっている。
頬かむりした手ぬぐいの間から覗く髪の毛に、白いものが混じっていた。
深い皺がはしる日に焼けた顔は、穏やかな表情を造っている。けれど、その好々爺の表情の中で、眼光だけが射すような光を帯びていた。
その視線が、俺の足下に向けられている。
のぶ爺の草鞋。
その言葉に、集まった参加者にどよめきが奔る。
当たり前だ。
のぶ爺。
かつて、十人出かけて九人は帰らないと云う荒行四国百八カ所巡りにおいて、ついに一度も鼻緒が切れることがなかったと云われる伝説の草履「依り代」を綯った天才藁職人である。
「なんだか、今年の狩りは面白くなりそうですね」
痩身の男が嗤った。
ジーンズにチョッキを着ている。
手に捕虫網を持っていた。
コレクター。
蛍の死体を売買する連中だ。
俺はそいつを無視して、闇の広がる水田を見つめた。空気がじわりと濃度を増す。この平原を埋め尽くす稲の間に、奴らは潜んでいるのだ。
蛙の声が増している。それは四方から物理的な圧力を持って俺達を圧倒する。その断続的な低周波を破るように、時折、甲高い虫の声が耳を貫く。
人の生み出すノイズが消えたとき、世界がどれ程様々な音に囲まれているのか初めて知ることが出来る。途切れることのない都市の雑踏の中で眠る者は、ひとたび辺境の夜の静謐の中に置かれたとき、その静かな小川の音にその微睡みを妨げられるのだ。
風の走る音が聞こえた。
奴らが来る。
下弦の月の幽かな光だけが水田を照らす。
星が漆黒の虚空に散らばっている。
「それじゃあ、これから蛍狩りを始めます。みなさん、怪我の無いように、気をつけて下さいね」
間の抜けた観察員の声が水田に響く。
そして、狩りが始まった。
さわさわとゆれる稲穂の感触を草鞋越しに感じながら、俺は水田の上を疾走する。左に二人、右に一人、やはり草鞋で疾走する参加者の影が見える。
まだ、光は見えない。
俺は、いったん畦に立ち止まる。
その横を、派手な装備の一連がすり抜ける。目に赤外線スコープをつける者。光学迷彩服を着ていて、僅かな空気の揺らぎしか見えない者。アクティブサスペンションを装備した渓流足袋で水面を滑る者。それぞれが最新のアウトドアグッズを持っている。オートキャンプの連中だ。
こっちを振り返り、何か揶揄するように叫んでいる奴もいた。
「どうしました。様子見ですか」
皮肉な声が聞こえた。コレクターだ。
俺は答えない。
「何か、あるのですね」
小狡そうにコレクターは聞くともなく呟いた。俺は、ちらりと横を見る。陰気な男だが、少なくとも腕は立つ。
見れば、先程の野良着の爺さんも、畦に腰掛けていた。
「そろそろかな」
爺さんが呟く。
閃光。
そして、悲鳴。
断末魔のようなオートキャンパー達の悲鳴が途絶えた頃に、俺達は閃光の光源あたりにたどり着く。
「ルシフェリン・ボムだな」
「視神経から脳髄まで焼かれてますね。再生までに一年はかかりそうだ」
冷たくコレクターは、まだくすぶり続ける4、5体の焼死体を一瞥する。所詮、アウトドアグッズなど、管理された自然公園で使うおもちゃに過ぎない。
俺は、黙って救護信号を打ち上げた。
「さて、どうしますかね。今年の蛍はかなりの手練れだ」
「好きにするさ。俺は死体愛好家と行動する気はないんでね」
俺は吐き捨てるようにコレクターに云うと、ふたたび先をめざす。コレクターはちょっと肩をすくめ、しかし、俺の後について来る。爺さんの姿は見えない。けれど、すぐ近くに潜んでいるはずだ。
そして、蛍も。
肥溜めの中に、男が溶けかかっていた。無毒化し肥料にするためには数百年かかると云われる廃棄物を溜める肥溜めに落ちたが最後、その臭いは遺伝情報にまで染み込む。再生されても、暫くはこの臭いはぬけまい。
同じやられ方でも、こんな目にだけ遭いたくない。悪臭のため、周囲の人間から、人差し指と中指をクロスした魔除けのサイン「えんがちょ」をされ続ける自分を思い描いて俺は少しぞっとする。
今年の蛍はえげつない事をする。
俺の集中力が僅かにゆるんだその瞬間。
目の前が真っ白になる。
「まずい」
俺は視神経を断ち切った。
間一髪、閃光は脳髄までは到達しなかった。これなら、十数秒で視力は回復する。
俺は額に神経を集中する。皮膚を通して微かに周囲の陰影が見える。上手いことに、蛍どもはもはや隠れる必要もないと、威嚇するように青白い光を尻や顔、指先など思い思いの場所に光らせている。
数は六体。
ヒューマノイドが3体に、四足歩行が二体、後の一つは、肢や触手がごちゃごちゃと生えているらしい。
俺は、団扇の出力を上げる。微かな振動は、明確な低音に変わる。
四つ足が、俺に飛びかかる。
俺は団扇を振りながら、水田の中に逃げ込んだ。
ぐにゃりと、空間が歪む。
歪んだ空間に、仄白い光が四散する。
直撃だ。空間の揺れをもろに喰らって、四つ足の一匹が完全に消滅したのだ。
もう一匹は?
いた。
肥溜めの横に叩きつけられて前足がひしゃげているが、その身をふたたび起こそうとしている。
いいぞ。ここで二体潰してしまっては、後はひたすら防御にまわるしかないからだ。蛍狩りにおいてこのルールだけは、絶対に守られる。さもなければ、今度は観察員にこっちが狩られる羽目になるのだ。
稲の間に身を潜め、俺は辺りを伺う。視力も大分回復している。
コレクターはどこだ。
いた。
立ち上がろうともがく四つ足の近くに、倒れ伏している。
使えねえ奴。どんな無能な人間でも、お一人様二個限りのバーゲンセールなら、頭数さえいればちゃんと役立つというのに。
ふいに、背筋に冷たいものが駆け抜けた。
真下だ。
のけぞる俺の真下から、鋭い針が突き出される。その尖った切っ先が膝頭をかすめて俺の頭上まで伸びていった。毒針だ。瞬間に膝から下の感覚が無くなる。バランスを崩した俺の上に、人型の蛍がのし掛かる。
喰われたら、最悪、再生不可能になる。たとえ、保険として残してきた髪の毛から再生されたとしても、その「俺」はこの狩りの記憶すら持たない永遠の敗北者となるのだ。
蛍の牙が目の前に迫る。人の顔で蛍が嗤う。
その人の顔が一瞬、無表情になった。
眉間から、黒いものが突き出した。と、思うまもなく、その黒光りする金属が、蛍を真っ二つに切り裂いた。
「蛍も人も、狩るその瞬間は隙が出来るものだよ」
全身を泥にまみれながら、爺さんが立っていた。手に大ぶりの草刈り鎌を持っている。
「つむがりの鎌か」
爺さん、怖い獲物を隠し持っていたもんだ。名鎌「都牟刈」、グルカ族のククリの原型とも伝えられる一撃必殺の鎌だ。こんな鎌を持っているのは、農家でもごく限られた人間だ。
「だが、百姓衆の頭が何でまた」
俺は爺さんに聞いた。かつてこの国の基本貨幣が米だった頃、その米相場を影で支える者達がいた。時に減反の為、一つの村を消滅させ、時に荒涼たる原野を一夜にして水田に変える彼らは、しかし、ついに歴史の表舞台に立つこともなく、伝説と伝承の中に消えていった。その歴史の暗部を受け継ぐ者、それが百姓衆である。その頭が今俺の目の前にいるのだ。
「お前さんと同じだよ」
俺は、油断無く辺りを見回しながらも、ちょっと怪訝な顔をした。
「たまには、風情を楽しみたいのさ」
皺だらけの顔をにやりと歪ませるなり、俺の方に向かって都牟刈を奔らせる。
俺は、素早く横に飛び退きざま、草鞋を思い切り踏み込む。俺の体は宙高く跳ね上がる。まだ左足には痺れが残っている。
空中で体をひねり、水田を見下ろす。
俺のいた場所に、胴を袈裟切りに断ち切られた蛍がいた。
「やれやれ、もう二つ目だ」
とぼけたように爺さんが云う。
俺は肥溜めのある畦に着地した。
四つ足はそこにいなかった。そして、コレクターも。
ふいに、すさまじい殺気が正面からぶつかってきた。人型だ。速い。そして、必殺の気合いが物理的な圧力となって全身を殴打する。全身が仄白い光に包まれている。
俺は、青眼に団扇を構える。
視野が光で覆われる。
ふいに、真横から液体が飛んできた。
蛍と俺の気合いに圧されて、液体が四散し、霧になる。
苦い。
ふいに、蛍から殺気が消えた。
見る間に動きが緩慢になって行く。
あっけなく倒れる蛍の横に、細長い人影があった。
「なぜ、邪魔をした」
俺は殺気をそのままその男に向ける。
「嫌だなあ。助けたんじゃないですか。それに、あなたの武器では、貴重な人型をバラバラにしてしまう」
コレクターだった。「にがい水」を使ったのだ。だが、蛍も「にがい水」は熟知している。余程の好機がない限り、それを蛍に浴びせることは出来ない。その好機を、俺を対峙させることで作りだしたのだ。
「怖い顔ですね。でも、わたしにも二体狩る権利はあるのですよ。そして、それはわたしの戦利品だ」
薄笑いを浮かべながらも、コレクターは油断なく捕虫網を握っている。腰の小さな箱から僅かに光が漏れている。先程の四つ足だろうか、圧縮されて入っているらしい。
隙がない。
蛍の死体を団扇で消滅させようとした俺は、その手を止める。蛍を消滅させた瞬間、奴の持つ捕虫網のネットが俺を包み込むだろう。
参加者同士の争いは固く禁じられている。だが、獲物を奪われたコレクターは、時にその禁忌を犯してまで、己の宝を壊した相手に復讐するのだ。そして、狩った獲物の処理についての規定がない以上、俺の方から直接奴に手を出す訳にはいかなかった。
途切れることのない緊張感の中、ゆっくりとコレクターは蛍の死体に手をかけた。
そして、その肘から先が音もなく地面に転がった。
うめき声一つ上げず、コレクターは「にがい水」を周囲にまき散らす。同時に、左手に捕虫網を持ち直すと、それを広げて自分の周囲を覆う。だが、あっさりとその網が断ち切られる。
ずるりとコレクターの上半身が地面に投げ出された。
どこにいる。
音も気配もない。
なんとなく。
そう、俺はなんとなく地面に体を投げ出す。
そのすぐ上を、何かが疾り抜ける。
髪の毛の先がすっぱりと断ち切られる。
その後で、殺気と戦慄が俺を襲う。
最後の蛍だ。
強い。
今までの奴とは比べものにならない程、桁外れに強い。
知らぬ間に、俺は笑っていた。
「光が、見えないのう」
背後で、声がした。そして、次の瞬間水が激しく蒸発した。その蒸気を一瞬青白い直線が横切った。
レーザーだ。
蛍はその全身の光を集中し高出力のレーザー束に変え攻撃してきたのだ。
まずい。
俺は初めて恐怖を感じる。
だが、躊躇している暇はない。
俺は、その光源めがけて団扇を振り下ろす。空間が歪む。その中を俺は一気に走り抜ける。レーザーは、歪んだ空間に沿って、俺の周囲に逸れている、はずである。だが、この澄んだ空気の中では、それも確かめる術はない。
俺は、出力を最大にしたまま団扇のコードを引き抜いた。
放電。
浴衣を包む数億の微細発電器が、落雷に匹敵する高圧電流を生み出した。
指向性を失った電子の群は、俺の体を蒸発させるぎりぎりで、新しい道を見いだした。光の道。レーザーに沿って。
稲妻が闇に疾る。
雷鳴が水田に轟いた。
俺は、くすぶり続ける蛍の横に着地する。ずしりと浴衣が肩にのし掛かる。今の放電で制御がやられたらしい。
でかい蛍だ。もう数百年は生きていたのだろう。節くれ立って絡まる四肢や胴体には無数の傷がある。
ふいに頭上から光が射した。
反射的に後ずさりする。重い。制御を失った浴衣は単なる鉛の鎧だ。
見上げると、巨大な三つの複眼が、こちらを見つめていた。
数億ボルトの電流を喰らってなお、奴はまだ生きていたのだ。
こちらには、もう武器はない。
ここまでか。
「はい、みなさん。時間です」
間の抜けた観察員の声が水田に響いた。
蛍は、俺を一瞥すると、ずるりとその巨体を水の中に潜り込ませる。
そうか、あれが来たのだな。
本物が来たのだ。
本物が来た以上、在り有べからざる蛍達は姿を消すしかないのだ。
俺は、巨大な偽りの蛍が水田の彼方へ消えて行くのを眺めていた。
呆然と立ちつくす俺に近づく者がいた。
「はい、ご苦労様」
おねえさん、だった。
手にお盆を持っている。三角に切られた西瓜がお盆に並んでいた。
彼女たちが何者なのか、誰も知らない。
狩りの終わりに、どこからともなくやって来て、果物や飲み物を振る舞い労をねぎらうのである。
俺は、西瓜を一切れ手に取ると、その場にへたり込んだ。
「残念だったな、若いの」
爺さんが西瓜を食いながら、俺を見下ろしていた。
「仕方ないさ。それより、助かったよ。あんたの声がしなけりゃ、俺もあいつと同じになってた」
回収されるコレクターをちらりと見やった。コレクターの上半身が皮肉な笑いを浮かべて救急車に運ばれていく。手にはしっかりと圧縮された人型の蛍が握られていた。
「しぶとい奴だ」
俺は苦笑いした。
「だが、所詮、奴にゃ、見ることはできん」
爺さんが、顎をしゃくった。
「ああ」
俺も水田の向こうに目を向ける。
戦いを生き残った者だけが見れる風景がそこにあった。

光があった。
ひとつ
ふたつ
小さな仄白い光が、かがやいて、また、すうっと消える。

西瓜をかじる。
冷たい甘さが口いっぱいに広がった。
初夏の夜風が頬に心地よい。
近づいてきた光の点を軽く団扇で追う。
す。
流星のように、光の点が闇に流れる。
なんという微かなかがやき。
何という柔らかな光。
星が、その遙かな光をそっと草の葉の上に置き忘れたように、ゆっくりと点滅をくり返す。
静謐のなか、けれど、あふれる命のしわぶきにつつまれて、小さな蛍が飛んでいた。

「夏、だな」
「おお、夏だとも」
俺と爺さんは顔を見合わせて笑った。
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