愛読者の応援メッセージと楽生の独り言

「夢、遥かなる世紀(時)を越えて・・・」
1月20日(土)に大阪厚生年金会館芸術ホールでラジオ大阪&アミューズメントメディア総合学院共催の「夢、遥かなる世紀(とき)を越えて・・・」を見てきました。
学院で声優を目指す二十前後の若者が、そのレッスンの成果を大舞台で発表しました。物語のストーリーも演出もすばらしいもので、2年生の精一杯の演技を、1年生の若々しいダンスとコーラスが盛り立てました。
学院は2年制で、学生たちは将来の声優を夢みています。声だけの声優ではありますが、演劇の基礎であるダンス・歌・演技がレッスンの中心です。高校を出たばかりの若者を、わずか1〜2年でここまで育てた学院も立派だが、厳しいレッスンについてきた19歳、20歳の子にも拍手をおくりたい。
今、世間を騒がす少年達であるが、目標・目的を持たない悲しさではないだろうか。長男が学院でお世話になって1年になろうとしている。朝4時に起きて早朝アルバイトをしてから、学院で毎日レッスンに励んでいる。親の欲目ではありますが、立派になってくれたと思う。将来、声優になれても、なれなくても、今の彼には後悔はないと思っている。
2001年01月21日 09時29分00秒

小説楽生日記「あの山越えれば」
今年は川柳活動5周年を記念して、小説に挑戦します。12回シリーズで一年間連載します。
ストーリの概略です。大阪天王寺に「通天閣川柳会」という、10人足らずの同人で運営する小さな川柳結社がありました。1995年12月川柳界に衝撃が走りました。川柳総合雑誌「月刊オール川柳」が発刊されたのです。その出版社は「斎藤俊輔編集事務所」(後の葉文館出版社)といい、通天閣川柳会事務局とは目と鼻の先にありました。
同人で若大将と呼ばれている「加山鰹」は、同じく同人で歌姫の「真田丸義子」とふたりで、寺田町のフェイス月華殿で行われた鶴橋川柳会50周年記念大会に出席しました。ここで将来大親友となる小天狗「上ノ山楽生」と運命的な出会いをしました。
ここから小説「あの山越えれば」が始まります。通天閣川柳会の三羽烏、鰹・義子・楽生は全国の川柳大会を武者修業して、各地で良き友を得ては大活躍をします。また、いじめ有り、淡い恋有り、激烈な川柳論争有りの痛快川柳活劇を展開します。
第1回「人気川柳作家への道」2月1日発売をぜひお楽しみにして下さい。
2001年01月19日 14時10分32秒

高野山
12月3日(日)に真言密教の根本道場「高野山」にお参りした。途中のドライブインでビールとおでんを食べた。これが思いもかけず美味しかった。ほろ酔い気分で中ノ橋駐車場に着いた。
お土産店の専属ガイドの案内で、大師入定の地「奥の院」へ参拝した。おばさんガイドの説明は名調子で、有り難くも厳かな気分にさせてくれた。「金剛峯寺」では温かいお茶と落雁を頂き、すばらしい書院や石庭を鑑賞した。
「大師教会」で神秘的な儀式「受戒式」に参加した。蝋燭の少しの明かりだけでほとんど真っ暗な本堂で、12月の山中の冷たい空気と堅く冷ややかな畳が、参加者を無我の境地にさせた。僕は正座した足が痺れて、途中で胡座をかかせてもらった。そんな我慢足らずの僕にも、帰りには有り難い「菩薩戒牒」をくれた。
悟りを開くなど僕には到底できないことだけど、40歳を過ぎてから無性に寺に行きたくなったのです。歩くことなど大嫌いだったのに、今ではウォーキングが楽しくて趣味になっている。人間の気持ちはどんどん変わるものだと最近思っています。それでは、皆さんの健康と成功をお祈りしておきます。南無大師遍照金剛。
2000年12月17日 18時10分12秒

大阪文化祭川柳大会
11月25日(土)に大阪文化祭川柳大会に行ってきた。大阪で活動している川柳結社(番傘、川柳塔、瓦版、天守閣、グループ明暗)が一同に会しての大会である。
本来なら結社の名誉をかけてもおかしくない大会であるはずなのに、参加者は衛生都市の市民川柳大会よりも少ない130名弱、結社の主力作家の欠席も目立っている。
当日は7月の川柳展望大会以来の再会である今道偲映さんも期待を持って参加していた。しかし、活気も斬新さもない大会に、彼も失望したようであった。
各結社は自分所の大会には力を入れるが、寄せ集めの大会は他人任せである。これは、川柳よりも結社が大事だと思っているからである。こんなことをしていると、新しい若い人は集まらず、ますます高齢化が進み衰退していくだろう。来年からは大阪の各結社の火花の散るような作品の激突を見たいものである。
2000年12月03日 22時26分10秒

川柳瓦版500号記念親睦会
11月12日(日)に大阪長堀橋アークホテルで、川柳瓦版500号記念親睦会が開催されて、各地から54名の出席があった。
川柳瓦版の会は、読売新聞関西版の時事川柳投句者の集まりである。昭和34年に当時選者であった、番傘主幹の岸本水府さんによって始められた。現在の会長柏原幻四郎さんは4代目である。
12時から始まった会は、川柳は一切なしで、3時間親睦に費やされた。岩井三窓さんの現代の若者を大阪風に表現したエッセイ朗読、人前ではめったに話さない、笑わない幻四郎さんのデュエット「麦畑」、新聞でしかお名前の知らない投句者の自己紹介等々、実に楽しいひとときであった。
2000年11月22日 04時32分39秒

舟木一夫オンステージ2000
10月28日泉佐野市の泉の森ホールに「舟木一夫オンステージ2000」を見に行った。南海泉佐野駅からは徒歩で20分程かかるが、人工の滝などを配した庭園を持つ立派な建物であった。番傘わかくさ川柳会の板倉あおいさんが舟木一夫の大ファンで、本日の公演も14時と18時の入場券を持っていたが、所用で14時の公演に間に合わないので僕にくれたものであった。
会場は1,2階の1370席が満席で、9割以上が50歳以上の「おばちゃん」であった。「学園広場」から始まった舟木の熱唱は、トークが少なく30数曲に及んだ。学園歌の極め付け「高校三年生」、映画主題歌で大ヒットした「絶唱」、そして、おばちゃん達が立ち上がり頭の上で手拍子をして大いに盛り上がった青春歌謡曲の数々であった。
舟木が17歳で「高校三年生」でデビューした時、僕は10歳の小学4年生であった。兄が丁度高校三年生で、この歌を口ずさんでいたのを覚えている。父は前年脳溢血で倒れ右半身不随になり、懸命のリハビリの最中であった。大黒柱の父の闘病生活は、一家の収入が途絶えた一番の危機でもあった。しかし、子供心に僕も兄も将来に不安を抱きながら、以外と元気であった。舟木が公演中に何度も言った「流行歌」が、当時の人々にいろいろな勇気や生きる希望を与えていたせいかもしれない。
1回目公演が終わり16時に大ホールを出ると、あおいさんがレストランで席を取って待っていてくれた。僕は早速生ビールを飲み、感動のステージの様子を話した。あおいさんが「舟木さん、プレゼントたくさんもらっていた?」と聞いたので、舞台中プレゼントだらけだったよと答えると、2回目公演を見るあおいさんもプレゼントを点検し始めた。すでに前に楽生がいることなど忘れて、「舟木さん」のことで頭がいっぱいのようであった。あおいさんから券をもらわなければ、絶対に見ることなど考えなかった、「舟木さん」の感動を分けてもらった一日であった。
2000年11月12日 09時50分05秒

一年振りの再会
10月22日に吹田市民川柳大会に行った。一年振りに再会する人がいた。24歳のヤンママ川柳作家の尾形かなこさんだ。中田たつおさんと阪急吹田駅で降りると、すぐに会場のメイシアターが聳えて建っていた。前の広場では折から金魚の品評会が行われ、見事なランチュウがたくさん泳いでいた。
3階のレセプションホールに行くと、受付にかなこさんが座っていて、すぐに僕を見つけて立ち上がってくれた。昨年のこの大会で初対面をして以来の再会にもかかわらず、まるで旧知の間柄のように打ち解けて話すことができた。
会場で本日の選者でもある川柳塔編集長の西出楓楽さんとも久し振りの再会をした。楓楽さんがよく行かれる海外旅行の話をして、亡くなられたご主人の遺言「私が死んだら、好きな海外旅行に行きなさい」を知った。143名の出席で3句入選した。
懇親宴では芦屋番傘編集人の浅雛美智子さんと「ふたりの大阪」をデュエットした。前では番傘の看板作家森中恵美子さんとたつおさんがきごちないチークダンスをしていた。楓楽さんは番傘の看板芸人杉岡東丘さんのリードでルンバを踊っている。ふあうすとの土田欣之さんは酒で鍛えた渋い声で、仲良しの川柳塔の池森子さんとデュエットしていた。実に楽しい一日だった。
2000年11月12日 07時43分59秒

哲学の道と喫茶「若王子」
10月14日(土)に京都東山の哲学の道を歩いた。銀閣寺と若王子神社の間を流れる疎水べりの2Km程の美しい静かな小道だ。昔、哲学者・西田幾太郎先生が歩いていたことからついた名前である。
若王子神社下には、俳優栗塚旭の自宅兼喫茶店の「若王子」がある。28年前にファンとの集いの場として開いたものである。昭和40年代にNET(現テレビ朝日)系のゴールデンタイムを7年間飾ったテレビ時代劇「用心棒シリーズ」の主役であった。
午後二時半に到着したが、栗塚は買物で外出中であった。土曜日の午後ということで入れ替わり立ち代わり客が入ってくる。一時間ねばっていると、買物から栗塚が帰ってきた。僕は大声で「先生こんにちは!」と言ったので、栗塚も回りの客もみんな僕の方を見た。
栗塚と30分程話しをすることができた。彼はテレビでのニヒルな野良犬とは違い、物腰の柔らかい優しい人である。店内には栗塚がテレビや舞台で使った衣装が山のように積まれている。11月からはテレビ時代劇「怒れ九馬」にも出演しているので、せひ見て欲しいとのことだった。最後にサインをもらい、ツーショットの写真を撮らせてもらって、「若王子」を後にした。
2000年10月15日 22時27分12秒

名古屋番傘川柳会創立70年大会
10月1日(日)名古屋国際会議場で、名古屋番傘川柳会創立70年大会が開催された。僕は3年前にめいばん誌400号記念大会に来て以来の名古屋であった。
大阪近鉄ナンバ駅から堺番傘川柳会の方々と一緒に名古屋行き特急に乗った。すぐに缶ビールを開けてリラックスした。番傘の人達は仲間意識が強く、お互いの大会に必ず行き来する。
投句を済ませ昼食のカレーを食べていると、番傘誌で何度か写真を見たことのある、福島県の真弓明子さんを発見した。彼女の句は、番傘では異彩を放つ叙情句である。僕は思い切って憧れの明子さんに声をかけた。初めての明子さんは実に気さくで、落語が大好きとのこと。ちゃかり楽生日記31号を渡して、例によって老後の楽しみのためにツーショットで写真を撮らせてもらった。
そして、番傘の看板作家の一人庄司登美子さんと、同じファンである「俺は用心棒」のビデオと雑誌を交換した。また、板倉あおいさんからは役者高田浩吉&美和との親交写真を見せてもらい、僕も漫才台本を書いていた当時の大阪角座のプログラム等を見せた。280人出席の盛会であった大会で1句しか抜けなかったけど、楽しくて有意義な一日であった。
2000年10月08日 22時46分21秒

大阪府勤労者ジョギング大会
9月30日(土)大阪長居陸上競技場で大阪府勤労者ジョギング大会が開催された。僕は男子10Kmの部にエントリーしていた。
僕はウォーカーで毎日歩いているが、決してジョガーではない。なぜ走るのかと言うと、ジョガーから「歩くのはスポーツじゃない」と言われたので、ウォーカーの根性を見せたかったからである。
当日は、ジョガーで社労士の友人尾松啓祐君が付き合いで走ってくれた。彼とは社労士であった故八代益男先生の紹介で知り合った。八代益男作「お笑い年金相談」の漫才を、川柳天守閣600号記念大会で演じた仲でもある。
いよいよスタート、トラックを3周した後、2850Mの公園周回コースを3周した。前半は抑えて最後の1周を必死になって走った。毎日ウォーキングしているので足は元気なのだが、スピードが速い分呼吸が苦しい。それでも自分なりにラストスパートもできて完走した。成績は完走者224人中178番で、タイムは54分45秒であった。若いジョガーに混じって満足できる内容であった。ちなみに、友人ジョガー尾松啓祐君は、40番で41分23秒であった。さあ、明日からはまた歩くぞ!
2000年10月08日 21時56分59秒

四天王寺
9月21日のお大師さんの日に、大阪夕陽ヶ丘の天王寺さんへ行ってきました。いつも通りの大変な数の参拝者と露天でした。もちろんお参りに行くのですが、いろんな露天をのぞいて歩くのも楽しみです。案内書によると、参道に出ている露店の数は600だそうです。
おばちゃん相手の店が多いです。ズロース屋、きのこ屋、かたせんべい屋、骨董品屋、植木屋、甘酒屋、イカ焼き屋、唐辛子屋等々数え切れない程の露天を覗いていると、あっいう間に時間が過ぎていきます。
今日は少し暑かったので、よく冷えたところてんを黒蜜で食べました。それから四季を通じて定番の、僕の大好きな焼き大福を二つ食べて大満足でした。四天王寺は聖徳太子の創建ですので、宗派に関係なく多くの人がお参りします。弘法大師像も親鸞聖人像も同じ境内に立っています。大阪のおばちゃんが一番たくさん集まる所です。
2000年09月30日 05時21分56秒

堺市民芸術祭川柳大会
9月10日(日)に堺市民芸術祭川柳大会が栂文化会館で行われた。出席者は過去最高の175名であった。これも中田たつおさんが一人で3000枚のビラを配ったお陰である。堺番傘の大会なら500名は集まるのだが、市民川柳大会となると市内各柳社の共催でありながら200名までで精一杯である。やはり主宰者の力の入れ方の差であろう。
楽生のご近所で川柳塔本社理事長の河内天笑氏が、「川柳よもやま話」と題して、弟子44名に付けた雅号の由来について話した。内39名が女性で、川柳をする時は本名よりも雅号が良いと勧めている。「海上はるか」「星野きらら」「喜多美波」・・・本名の姓を生かした雅号である。そう言えば番傘本社同人にも「夢野原子力」という人がいる。
岐阜の岩田明子さんも名古屋番傘創立70年大会(10/1)のPRに来てくれた。楽生が川柳を始めて2年目からのお付き合いで、実に気さくで気持ちのいい女性である。三次会のカラオケでは、藤井寺の辻葉さんが瓦版の会を代表して歌とダンスでプロ並みの技量を見せてくれた。また、川柳二七会(落語家多数参加)会員でカルチャー教室主宰の杉岡東丘氏は、楽生日記を教材に使ってくれているとのことであった。そして、今日の郵便で富山県の太田虚舟さんから、楽生日記を毎月送れとお便りを頂いた。楽生ファミリーは、これからもますます仲間を増やしていきます。
2000年09月12日 20時47分23秒

彦八まつり
今年も9/2・3の両日、上方落語協会主催の「彦八まつり」が、大阪谷町九丁目の生国魂神社で行われた。上方落語の祖「彦八」を奉り、落語家が模擬店を出して自らたこ焼き、お好み焼き、焼き鳥等を焼いたり、隠し芸の歌、楽器演奏、書道、茶道等々を見せてくれる。そして、気軽に道で立ち話をしてくれる。
また、野外ステージでは「素人演芸バトル」が行われている。漫才、コント、腹話術、ジャズダンス、民謡等々、大阪人の芸達者振りを見せてくれる。ここで、素人演芸大賞を取ると、本物の寄席の舞台で前座として出演できる副賞がつく。楽生も3年前に「年金漫談」で出演したが、大賞は逃した。2年前には「お笑い年金相談」で漫才をエントリーしていたか゜、大雨のため中止になった。それ以来、お笑いの舞台から遠ざかっている楽生であるが、いつかまた復活したいものである。
2000年09月05日 14時23分23秒

第32回社会保険労務士試験
8月27日(日)に第32回社会保険労務士試験が全国で実施された。楽生は大阪の桃山学院大学の会場で試験監督官の手伝いをした。今年は過去最高の5万人の申込みがあり、大阪は1割の5千人であった。
楽生も18年前に受けた試験であるが、今とは隔世の感がある。一つ目は女性の大幅増加、二つ目は若い世代の増加、三つ目は合格率の厳しさである。楽生の頃は、人事総務畑の経験豊富な男性が多かった。今は実務経験がほとんどない若い女性が受験者に多い。試験も難しくなり、合格率は7%前後である。毎年この難関を通った、優秀な若い女性が仲間に多数加わることは、社会保険労務士会の楽しみでもあり脅威でもある。
今注目の国家試験、社会保険労務士をあなたも目差しませんか。そして、楽生と仕事で競いませんか。厳しい世界ですが、遣り甲斐のある喜ばれる仕事ですよ。
2000年08月30日 04時12分52秒

大阪府勤労者ジョギング大会
僕は3年前からスポーツとしてウォーキングをしている。ところが2年前にジョギングをしている人から、「ウォーキングってスポーツなの」と言われて頭にきた。ウォーキングも一日に40〜50Km歩くと大変なスポーツである。
それで、2年前の大阪府勤労者ジョギング大会5Kmの部にぶっつけ本番で出た。記録は27分39秒だったが、完走できたことでウォーカーとしての面目もたったし、走ることにも自信ができた。昨年は、堺シティマラソンとアウトドアーズファミリーマラソンの10Kmの部に2回出て、58分27秒と54分35秒だった。
僕の練習方法は歩くことである。1本10Kmを何度も歩く。そして、大会前に少しだけ走る練習をする。それで十分に10Km位なら走れる。今年は9/30(土)に大阪府勤労者ジョギング大会10Kmの部に出場する。目標は50分に限りなく近い自己記録の更新である。
それから、前回の「必ず痩せます」に一つだけ書き忘れたことがある。それは、歩く前に緑茶を十分に飲んでおくことである。緑茶に含まれる「カテキン」は脂肪の燃焼を促進する効果が大である。また、カロリーはゼロである。歩く前に飲むことがポイントである。
2000年08月22日 14時14分37秒

続・必ず痩せます
具体的に痩せるウォーキング方法を説明します。ウォーキングで痩せるためには、最低3ヵ月以上続けなければなりません。4ヵ月目から毎月1〜2Kgづつ痩せていき、標準体重に近づいてくると痩せなくなります。つまり、それ以上痩せる必要がないからです。これでわかるように、ウォーキング痩身法は食事制限なしに、無理なく少しづつ痩せていき、なおかつ健康的な強い身体をつくります。
1.連続で30分以上歩くこと
2.毎日歩くこと(最低週3回以上でも可)
3.速度は5Km/時以上を目指すこと
4.歩くコースは歩行者専用が望ましい
5.目標を持って、スポーツと自覚すること
*だらだら歩きは百害あって一利なし、目標を持って歩けばあなたは生まれ変わる。
2000年08月18日 21時17分13秒

必ず痩せます
楽生27歳・身長170センチ・体重57キロだったのです。ところが3年前、楽生45歳・身長170センチ・体重72キロになりました。つまり、18年間体重が増え続け一度も痩せることがなかったのです。その間、テニス、卓球、ジョギング、ダンス等で運動をしましたが、逆にお腹が空いてよく食べるので肥りました。
ところが3年前からウォーキングを始めると、なんとなんと18年振りに痩せてきたのです。決して病気ではありません、食事制限もしていません。現在、体重65キロです。痩せるためには、脂肪を燃焼させなければなりません。汗をいくらかいて一時的に体重が減っても、後で水分をとるので結果的に痩せません。
運動によって脂肪の燃焼が始まるのは、運動開始後20分してからです。ですから20分以内の運動では絶対痩せません。スポーツ選手以外の一般人が、毎日20分以上運動を続けられるスポーツは、ウォーキング以外にありません。大切なことは、遊び半分じゃなくて、ウォーキングをスポーツとして真剣にやることです。そうすれば、あなたは必ず痩せます。因みに、楽生はウォーキングだけの練習で、昨年シティマラソンで10Kmを2回完走しました。
2000年08月16日 14時18分50秒

楽生日記第30号発行
明日(8/15)付けで、楽生日記第30号を発行します。今回は記念特大号で、本文2ページとカラー写真1ページの計3ページという豪華版です。
内容は、第4回川柳展望全国大会を中心に、前夜祭の「くいだおれツアー」、後観光の「世界民族芸能祭」の模様を書いています。我ながら良い出来と感心しています。
毎回送りたい人上位30名様(無料)に送付しています。下位15名はその都度入れ替わります。基準はお便りが途切れると自動的に送付を中止しています。それから新規申込者のために2〜3部は余計に印刷しています。お申込みはメールでお名前、ご住所をご連絡下さい。
2000年08月14日 07時58分34秒

茶臼山舞台
昨晩、大阪天王寺の「茶臼山舞台」に行ってきました。女性落語家「桂あやめ」が主宰するミニホールで、昨日も30人が入り満員御礼でした。
テーマは「17歳」で、あやめさんが17歳の時の素人参加番組出演時のビデオ、創作落語「17歳」、神戸少年Aの両親が執筆した「この子を生んで」を取材した週刊文春記者の森下香枝さんとのトークでした。
特に最後のトークショーは圧巻でした。新聞やテレビでは知り得ない衝撃的な内容でした。それから「生あやめ」さんは、テレビや写真で見るよりずっと美人でした。二時間1500円は値打ちがありました。
2000年08月13日 07時50分09秒

精鋭が集まる小柳社
3年前に番傘を辞めてから、関西の柳社をいろいろ回った。そんな中で感じたことは、同人
10人前後の小柳社に精鋭が集まっていることだ。
例えば、川柳天守閣には久保田元紀、高橋定男、板野美子がいる。グループ明暗には前田芙巳代、高橋古啓がいる。点鐘の会には墨作二郎、本田洋子がいる。
精鋭がいる句会には、他柳社の精鋭が集まってくる。筒井祥文、徳永政二、峯裕見子、海堀酔月、池森子等々である。近い内に「楽生日記」で、関西の精鋭が集まる句会を紹介したいと思っている。
2000年08月11日 20時55分56秒

原井典子さんのこと
第二回展望賞に原井典子さんが輝いた。
第4回川柳展望全国大会にも来られていた。昨年もそうだったが、今年も10メートル程離れて彼女を見ていた。実に近寄り難い人だ。触れば線香のようにすぐ折れそうで、それでいて芯には強い針金が入っていそうだ。
同郷の太田虚舟さんに聞くと「川柳えんぴつ社」にいたころは、全然目立たない平凡な人だったそうである。展望という場所を与えられ、夢草さんという理解者を得た彼女は、金築雨学さんに言わせると「天才」だそうである。
彼女は言った「夢草先生、私より先に死なないで下さい」、夢草さん、品行方正に生きて下さい。
2000年08月09日 11時48分38秒

川柳瓦版8月号
葉文館そごうの欠けらで救えたに 柏原 幻四郎
元与党元元野党今与党 竹下 勲二朗
伊豆じゃない伊豆七島は東京都 辻 葉
長い管見ると消毒したくなり 清水 祐子
人間の世から逃げたいペダル踏む 井上 一筒
少年法から十七歳を除外する 上野 楽生
2000年08月08日 14時21分14秒

君といつまでも
銀河鉄道に乗ってきた君
寒い日にはシリウスのように輝く君

おさかなさんと遊ぶ人魚の君
竜宮城に住んでいた君

僕の手足になってくれる君
僕と同じものを感じてくれる君

美しいものいっしょにみようね君
いつまでもいっしょにいようね君
2000年08月07日 21時26分18秒

お土産一覧表
8/4(金)
今回の展望大会でお会いした柳友から、たくさんお土産を頂いたので一覧表にした。
加藤鰹氏(静岡)
1.お酒 :菅名岳一升、サワフレンド8本
2.海鮮類:かまぼこ2本、はんぺん3パック
わさび漬け、生白うお
3.菓子類:うなぎパイ、産地元詰茶
わさび菓子、するがぱんずら
高橋繭子氏(宮城):牛たんカレー
酒井路也氏(石川):ごり佃煮くるみ煮
吉道航太郎氏(貝塚市):ファンシーデザート
みなさんたくさんのお土産ありがとうございました。
2000年08月04日 04時29分07秒

通勤電車勉強法
8/3(木)
社会保険労務士試験が、今年から国から移管されて社労士協会ですることになった。今年の試験は8/27(日)で、僕も試験監督官で動員されることになった。
二十代の頃はよく勉強した。学生時代は勉強しなかったのに、社会人になってから必要にせまられてした。勉強法は通勤電車の中で参考書をひたすら読むことである。毎日必ずある時間だから、さぼることがない。片道1時間で集中力も持続できる。この方法で、宅建主任、衛生管理者、行政書士、そして社労士と合格することができた。みなさんも一度試されてはどうですか。
2000年08月03日 04時35分30秒

「尾形かなこ」さんのこと
8/2(水)
大阪に23才のヤンママで川柳作家の「尾形かなこ」さんという人がいます。地元大阪でもあまり知られていません。昨年、吹田市川柳大会で新人賞を取った以外、これといった柳歴はない。歳が若いこともあるが、僕も含めて何人かの川柳家が多いに期待している星である。
川柳とは関係ないのだが、時々もらう手紙が傑作なのである。いつもかわいい便箋に鉛筆書きで、イラスト入りでくれる。娘の幼稚園のこと、プールでの体重のこと、自転車を盗まれたこと、厚底サンダルでこけたこと、ご主人との内戦のこと等々、項目を見ただけでも面白そうでしょう。本人の承諾がとれたら、一度楽生日記で紹介したいと思っています。それ読んだら「かなこ」ファンが全国にできると思います。
2000年08月02日 04時31分27秒

仕事やだなぁー
8/1
とうとう8月になった。今日からまた仕事だ。
やだなぁー。ぜんぜん気が乗らない。こんな時は、慣れた仕事なので、心の目をつぶって惰性でする。そうすると2〜3日したら、だんだん気ものってくる。そうするか。
昨日から、鰹さんから頂いたおみやげを少しづつ食べている。昨晩は黒ハンペンを、わさび醤油で食べた。おいしかったよー。
2000年08月01日 04時15分41秒

世界民族芸能祭
7/31(月)
展望大会に来ていた石川県の酒井路也さん、浦真さん、紺矢肇さん、太田虚舟さんの4人と、
堺市で開催中の「世界民族芸能祭」に行った。
ベトナムの水上人形劇、ベルギーのねこ祭パレード、チェコの民謡等を見ました。お昼はめずらしいタイのラーメン等を食べました。みなさん十分楽しんで、北陸へ帰っていかれました。
来月8/20発行予定の「楽生日記第30号」は、7/29〜31までの「食い倒れツアー」「展望大会」「世界民族芸能祭」です。お楽しみに。まだ楽生日記をお読みでない方は、メールでお名前、ご住所を連絡下さい。毎月無料でお送りします。
2000年07月31日 18時26分45秒

第4回川柳展望全国大会
7/30(日)
楽生と鰹さんは、チサンホテル新大阪へ繭子さんを迎えに行き、3人で阪急梅田駅から電車に乗って蛍池駅で降りた。
驚いたことに、柳歴1ヶ月の偲映さんが来ていた。そこで、偲映さんの車に乗せてもらって、4人で会場のホテルへ行った。
会場に着くとすぐに、天根夢草さん、和泉香さん、赤松ますみさんに挨拶した。その後、ぞくぞくと主席者が会場に入ってきてた。
なかはられいこさん、笹田かなえさん、洵茶碗さん、津田暹さん、佐藤岳俊さん、酒井路也さん、紺矢肇さん、太田虚舟さんらと挨拶した。
大会は150名の出席で、鰹さんは6句入選、繭子さんは7句入選の好成績であった。
懇親宴では、楽生の海底人「骨まで愛して」、鰹さんの猿人「河内おとこ節」が大受けした。
掲示板で知り合った全国の多くの友人と、大会を通じて会うことがてきた。本当に楽しい一日であった。
2000年07月31日 09時26分32秒

食い倒れツアー
7/29
楽生、かっぴー、ひわちゃん、繭たんの4人で食い倒れツアーをしました。
2000年07月31日 08時50分29秒

新楽生日記
楽生日記第28号が「犬塚こうすけ氏の生前葬の巻」が好評であった。
こうすけさんからも早速ハガキがきて
「ワーイ、ヤッタネ。メチャ嬉しくなっちゃったねえ。生前葬をすれば長生きできるそうな。これで百歳まで生き延びられる期待がさらに高まりましたぞ。」
また「鰹さんも悔しいくらいの好男子で句も上手くて。チクショーっていいたい印象でおました」
第29号でこうすけさんの感想文を掲載します。きっとまたおもろいこといっぱい書いてきますよ。
7/30の展望大会まで一ヶ月を切りました。
かっぴーとすごす7/29〜30の予定表を作成中です。大阪案内&懇親宴の作戦を練っている。
2000年07月02日 05時13分53秒

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