ニック・リーソン
 『マネートレーダー 銀行崩壊』
●ニック・リーソン(戸田裕之訳)
 『マネートレーダー 銀行崩壊』
 (新潮文庫、2000))★★★★

 世界でもっとも古い歴史をもつマーチャント・バンク、英国のベアリングズ銀行は、創立233年目で歴史を閉じた。たった一人の若者のせいで。1995年のことである。若者はニック・リーソン、本書の著者である。
 ニックは、ロンドンで左官の子として生まれた。18歳で中途退学し、1985年、女王陛下の銀行、クーツ・アンド・カンパニーで働きはじめた。仕事の単調さに倦み、1987年、アメリカでも屈指の投資銀行、モルガン・スタンレーに移った。さらに、1989年にはベアリングズ銀行へ移る。
 インドネシアで負債1億ポンドのほとんどを減らす功績をあげて1991年にロンドンへ戻ると、先物・オプションの事務管理の専門家と目されていた。1992年3月、ジャカルタで知り合ったリサと結婚し、その直後、新設のベアリングズ・フューチャーズ・シンガポールの責任者として赴任した。
 1992年夏から、極東の証券取引の重心が大阪からシンガポールへ移りだした。ニックは夜半すぎまで残業する日々が続いた。
 どんな取引システムでもミスが起こりえる。過誤は、コンピュータにエラー・アカウントを設けてロンドンへ送っていたが、ロンドンは事務処理の煩瑣を嫌い、シンガポール専用のエラー・アカウントを設定せよと指示してきた。ニックは、その番号を88888と名づけた。
 同年7月17日、採用したばかりのキム・ウォンが2万ポンドを失うミスをおかした。即座に東京またはロンドンの上司へ報告しておけば、通常の事務処理が可能だった。しかし、ニックは報告しないで、損失を88888へほうりこんだ。本来キムのミスであったものが、ニックの問題に転じた。
 市場の変動により、2万ポンドの損失は6万ポンドにふくらんだ。1992年の暮れには、88888に30件のエラーが累積していた。
 部下のジョージ・ソウが離婚し、集中力を失った。1993年1月、ジョージはキムと同じミスをおかし、15万ポンドの損失を招いた。ミスがロンドンにばれたら、ジョージはただちに馘首され、ニックも今の仕事を続けることができなくなる。トレーダーたちのチームを指揮するボスの立場をニックは失いたくなかった。大型の顧客をつかんだばかりでもあった。またしても、88888が利用された。
 ニックは、相場上昇に賭け、勝った。これまでの損失を埋め、儲けがでた。
 この時点で88888を閉鎖するべきであった。しかし、大型の顧客からの無理な注文に応じたため、またもや損失を抱えこんだ。相場の変動が損失額を増大させた。ニックは、感覚が麻痺しはじめた。市場が向かう方向を見通すことができなくなり、自分の秘密のポジションに照らして市場がどっちへ向かってほしいかを希望するだけになっていった。
 このあとは、雪だるま式に損失がふくらむばかりだった。最終的には、6.5億ポンド(一説によれば8.3億ポンド)に達した。ベアリングズ銀行の自己資本5.4億ポンドを軽く上まわる額である。破産も当然であった。
 ここまで野放図に損失がふくらんだ原因は、ベアリングズ銀行が管理上の単純な原則を守らなかったためである。すなわち、取引の現場(フロント)と後方事務部隊(バック)のそれぞれに別々の責任者を置いて相互牽制させるという原則を。上司も監査役も、ニックが報告する架空の利益、しかも莫大な利益に目がくらんで、矛盾を追求すればすぐさま明らかになったはずの事実を究明しなかった。
 ニックは書く。「私はたぶん世界でたった一人の、バランス・シートの両側を操作できる人間だった」と。
 その異常さが気にならなくなっていた・・・・と続けるが、じつは大いに気になっていたに違いない。爪かみで指先はボロボロになり、やたらと甘いものを食べるから急速に太っていった。バランスを欠いた精神が身体に反映したのである。妻リサに対する愛が繰り返し語られるが、その愛妻のほうではニックの異常行動に気づいていなかったらしい。
 破滅寸前に逃亡したニックは、フランクフルトで逮捕され、シンガポールで懲役6年半の判決を受けた。
 本書は、金融取引の現場とその花形、トレーダーを活写して興味深いノンフィクションである。読み物として面白いだけではなくて、組織上の欠陥が組織をつぶす一例として、銀行に限らず、組織の運営にたずさわるすべての人に大きな教訓を与える。と同時に、組織の中で働く個々の人にも教訓を与える。すなわち、小さな失敗を糊塗すると傷はだんだんと広がって手に余るようになる、と。あるいは、野心は正確に情勢判断する目を曇らせるのだ、と。
 ちなみに、本書は『私がベアリングズ銀行をつぶした』(新潮社、1997)の文庫化である。

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