メルゲンになるのは楽ぢやない

(たぶん、なーない人の作家、Г.Гарибова.の『Эхо далёких времён』の作品。)


 おれは古ぼけたヘラジカの毛皮(けがは)でおほはれた板敷きの寝台にすわり、おれのばあちやんのダイ・エネを見てゐる。ばあちやんは低いかまどの前、夏用の台所、の真ん中の小さな腰かけにすわり、ゆつくり煙管(きせる)をくゆらしてゐる。なんだか、ばあちやんがいつたい何才なのか知りたくなつた。
 「ダイ・エネばあちやん。ばあちやんの歳はいくつなん。」
 「お前はそんなこと知らなくたつていいんだよ。まつたく必要(ひつえう)ないよ。」
 「聞いちやいけないの、ばあちやん。」
おれはばあちやんのそばに行つて、
 「どうしていけないのさ?」
とたづねた。
 「いけないことはいけないのさ。だめだよ。年寄りの歳を数へちやだめ。年寄りはもうすぐ死ぬんだから。年寄りをどうして悲しませるんだい。お前はあたしが死ねばいいと思つてるの。」
 おれはあつけにとられてばあちやんを眺めた。皺(しわ)だらけのばあちやんは人のよささうな目でおれを見つめてゐた。
 「どうしてそんなこと言ふの、ばあちやん。長生きしなよ。ばあちやんがゐなくちやいやだよ。何てこと言ひ出すの。死ぬだなんて...。
   死ぬつてどういうこと。ダイ・エネばあちやんが死ぬと、棺桶(くわんをけ)に入れて、そして、穴を掘つて。ばあちやんはもうおれたちの所へもどつてこない。さうなの、ばあちやん。ぜつつつたあい、絶対もどつてこないの。」

 「あの世(ぶーにーの国)からはだれも二度ともどつてこないんだよ。あたしももどつてこないよ。」
 ばあちやんはおれの頭をなでて、軽くたたいた。

― 「外へ出て駆けつて来な。早くでつかくなれば父ちやんの手伝ひが出来るよ。父ちやん一人ぢやたいへんだ。家の仕事はいつぱいあるんだよ。」
 おれは外に走り出て、考へた。
― 「村はづれまで駆けてつてもどつて来たらどうなるんだろう。少しはでつかくなつたか、あとでばあちやんに聞いてみよう。
 おれはそんなことを考へながら道を駆け出した。

 おれたちの家は村はづれから二軒目だつたし、村には通(とほ)りが一つしかなかつた。おれはたちまち村はづれに着き、戻りながら、「足よ、足、くたびれるな。足よ、足、動かなくなるな。」と小さな声(こゑ)でくりかへした。これは、何も悪いことが起こらないやうにしたいときに唱えるのだよ、とダイ・エネばあちやんが教へてくれた呪文(じゆもん)だ。
 突然、大きなむく犬のビヤクタが、ガエラぢいさんの家の玄関(げんくわん)の階段から駆け出してきて、大声(おほごゑ)で吠えながらおれの後を追つてきた。おれはびつくりしてあわてて逃げたので、ばあちやんに教(をそ)はった言葉を一瞬忘れてしまつた。おれは走りながら絶えず後ろを振りかへつた。絶えず振りかへりながらすばやく走つたけれど、むく犬はおれより速かつた。不意におれのだぶだぶずぼんが後ろに引つ張られ、びりびりと裂けて、下にずり落ちた。おれはわつと叫んで、もがき、ズボンをつかんだまま土の上(うへ)にたふれてしまった。すぐに跳び起きたけど、その後どうやつて木戸に走りこんだのか覚えてゐない。
 涙をぬぐつて正気に戻ると、はだしでぱたぱた土間を歩き、夏用の台所へ行つた。
 ばあちやんがおれを見て、ああつ、と叫んだ。
 「どうしたんだい、アカ。顔が真つ青だよ。」
 「駆けてたら、ガエラぢいさんちのビヤクタがおれを追ひかけてきて、後ろからズボンに噛み付いたんだ。」
 「怪我しなかつたかい。」
 ダイ・エネばあちあんは素早くおれを点検した。
 「馬鹿犬だよ。子どもに跳びかかるなんて。
 もう、あそこで走つちやだめだよ。噛み殺されちやうからね。
 新しいズボンが台無しだ。脱ぎな。繕つてあげるから。」
 ばあちやんが縫つている間、おれは隣に座つて、人間が犬から逃げられないなんてまづいなあ、と考へてゐた。
 「ねえ、ばあちやん。昔話に出てくるメルゲンは足が速いの。」
 「話の中ぢやあ、走つて獣に追ひついたつてなつてゐるよ。」
 「メルゲンならガエラぢいさんちのビヤクタから逃げられるの。」
 「メルゲンたちは犬がゐても逃げないよ。ビヤクタの方が自分で一目散に逃げちやうよ。」

 「でもメルゲンはビヤクタに追ひつけるの。」
 「追ひついて、引き裂いてしまへるだらうよ。メルゲンは走ると腋の下から翼が生えて来るんだよ。」
 おれは自分のわきの下をちよつと触つてみたけど、翼は生えてゐなかつた。
 そこで突然、どうしておれが村の真ん中を走つたのか思ひ出した。
 「ばあちやん、おれ、でつかくなつた。」
 ばあちやんはちよつとずるさうな眼つきをしておれを見、微笑んだ。
 「でつかくなつたよ、アカ。ほんのちよつとだけどね。」
 「ちよつとつて、どのくらい。」
 「これ位でつかくなつたよ。」
とばあちやんは、二本の指をほんの少し開いて見せた。
 「ばあちやん。一日中、夕方まで駆けてたら、おれはどの位になるの。」
 「そんなにいつぱい走つちやあいけないよ。すぐにやせて、病気になつちやうよ。よく考へて、必要なだけ駆けなくちやあね。」
 「ばあちやん。」
 おれは腹が立つた。
 「走れば走るほどでつかくなると言つといて、たくさん駆けちやだめ、病気になるからだなんて。走つていいのか悪いのかわからないよ。」
 「そんなにがつかりしないで、アカ。桶を持つて川へ行つて、水を汲んで来ておくれ。お茶を沸かして、スープも作らう。
 「出来ないよ。重いんだもん。」
とおれはだだをこね始めた。
 「ぢやあ、少しでいいから汲んできておくれ。お茶にはそれで足りるから。その後、もう一回、スープ用のを。」
 「あーあ、もう一回、もう一回。」
 おれはばあちやんの真似をした。
 「やりたくない。仕事で息もつけないよ。」
 「あらまあ。」
とばあちやんがびつくりした。
 「こりやまた、メルゲンぢやなくて、とんだろくでなしが出来あかつたね。」
 「メルゲン。メルゲン。うんざりだよ。メルゲンになんてなりたくないよ。メルゲンは昔話に出てくるだけで、みんな作り話だもん。」 「しつかり大きくならないで、もう年寄りになつちやつたねえ。わかつたよ。おぢいさん、ほら、煙草をやるから、すはつて、一服しなさい。お前は全くの年寄りだ。あたしがお前の孫だ。あたしが川に水を汲みに行くよ。」
 ばあちやんはおれの手に無造作に煙草を渡し、桶を持つて、戸の向かうに姿を消した。おれはどうしたらいいのかわからなかつた。煙草を手の中で回し、ちよつとにほひを嗅いだ。自家製煙草の強い嫌なにほひが鼻につんと来た。すぐに気持ちが悪くなつた。
 「ばあちやんはどうしてこんなものを吸ふんだらう。こんなものを。おれは絶対、煙草なんか吸はないぞ。本当に。」
 おれは煙管を腰掛の上に置いた。
 「どうしておれがお爺さんなんだ。年寄りはばあちやんぢやないか。おれは爺さんなんかぢやない。おれが爺さんだつて。はつはつはつ!」
 ばあちやんが桶を持つて入つてきた。
 「ばあちやん、おれは爺さんなんかぢやないよ。ばあちやんが年寄りなんだ。誰だつてわかつてるさ。おれは年寄りぢやない。」
 「こりや、驚いた。なんて頭がいいんだらう。でも、もうすぐお昼なのがわからなかつたのかい。お昼を稼がなけりやならないんだよ。」
 「まだ間に合ふよ。でつかくなつたら、もつと稼ぐよ。でも今は食はせてもらはなきや。当つたり前さ。」
 「この子は何ていふ口をきくんだらう。」
 とダイエネばあちやんは腹を立てた。少しも考えることなくすぐにばあちやんはおれの耳をつかみ、痛くなるほどひねつた。
 「痛い、いたい!」
 俺は泣いた。 
 「痛い!」
と、ばあちやんは、おれの耳を指でしつかりつまんだまま、おれの真似をした。
 「この耳にそんな言葉が二度と入り込まないやうに!。この口が悪口を繰り返さないやうに!」
と言つて、もう一方の手でおれの口を軽く叩いた。
 その場で一回りくるつと回されたけど、耳が離れたので、ばあちやんの手が届かないやうに屈み、さつと逃げた。戸を通り抜けたので、台所の方へ振り返り叫んだ。
 「ばあちやんの歳がいくつだか数へちやうぞ。さうすれば、ばあちやんによくない事が起こるぞ。だ。」
 その後おれは川へ水浴びに行き、そこでしばらく男の子や女の子とわいわいやつてゐた。
 思ふ存分水浴びして家へ帰った。隣のホヂヨロ爺さんが、庭で古びた網を繕つてゐたので、聞いてみた。
 「ぢいちやん!子供はどうして爺ちやんの歳やおれんちのばあちやんの歳を聞いちや駄目なの。なぜ悪いことなの。」
 「悪いといふわけではないだらうが、よく考へてみな。お前が長生きして、いろいろなものを見て、みんなにもいつぱい楽しいことをしてやり、自分も楽しかつたら、死にたくはないだらう。もつとやりたいことがあつても時間がない。そこで口惜しくなる。そんな時、歳を聞かれたらあまり答へたくない。お前のばあちやんは相当な歳だ。ばあちやんは俺より年寄りだ。」
 「ぢやあ、爺ちやんはいくつなん。」
 「お前は、自分の歳を知つてゐるのか。」
 「おれは七つだい。九月には学校に上がるんだ。」
 「それぢやあ、お前の歳に十を掛けてみな。さうすれば爺ちやんの歳がわかる。」
 おれは暗算を始めた。
 『七足す七は、それにもう一つ七、その後にもう一つ、、、。すげえ数になる。でつけえ。』
 野菜畑のすぐ向かうに生えている古い樅の木のてつぺんを眺めて、目で測つた。
 『たぶん。あそこまで。確かにさうだ。』

 

 

― ゆつくり続く ―

北方少数民族