教祖

教祖になれる人は、非凡な才能があるか口が上手いかのどっちかだ。
巷に出回っている半分以上が後者だと思う。
早い話が頭の回転が速くて説得力があれば誰でも教祖になれるのだ。

 例えば、死んだらどうなるとか言っても一度死んだことでもない限りわかるわけがない。
でも、説得力があれば話は別だ。もともと誰にもわからない問題は納得させてしまえば、それが真実になる。
あとはどう納得させるか、また、いかに早く回答できるかということになる。
これさえマスターしてしまえば、すぐにOO教なんて出来てしまう。
それが悪いと言っているわけじゃない。そこに集まってきた信者が教祖の話を聞いて迷いがなくなり、不安から開放されるなら、
(教祖=医者、信者=患者)と言うことになり、それはそれでいい。なんというか立派なビジネスだ。
「やすらぎを売る企業」てなかんじだ。

 だが、理解しがたいこともある!
数年前になるが、近所の駅できれいなお姉さんが近寄ってきて、
「1分だけ時間を下さい。」と言われた。私はひどく動揺したが、
逆ナンパか?などと不埒な発想が頭をよぎったこともあり、
すなおに1分だけ目を瞑ってみることにした。
するときれいなお姉さんは、頭の方に手をかざし何か喋ったかと思うと、
「血がきれいになりました」と言った。
「え・・・?」そんなはずは無い。
それで血がきれいになるんだったら、人口透析なんていらない。(血をきれいにする腎臓の働きがわるい人が受ける治療)
「そんなばかな!あんただまされてるよ」と、言いたかったが小心者の私は
「あ〜、どうも」と、間の抜けた御礼を言ってその場を去ってしまった。

 その後、無差別に声をかけまくるお姉さんたちは、町の誰もが知るようになり、
私も何回か同じように声をかけられたが、全て断った。
何と言っても恥ずかしい。街中で頭に手をかざされている姿は、間抜け以外の何者でもなかった。
「私は、断りきれなくて、今頭に手をかざされてます。そう、小心者なんですー。」
と、一分間のあいだ周りの人間に知らしめているようなものだ。

 この方達は、一時期街のあちこちで見かけたが最近はめっきりみない。
彼女達が、なんの目的で、あんな事をやっているのか解らないが、一つだけ解ることは、この宗教の教祖は、すごい説得力があるということだ。
だってあんな恥ずかしいことを普通にやってしまうなんて、教祖にすごい力があったとしか考えられない。



この文章は、私個人の考え方であり、宗教団体を批判するものではありません。