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マルコによる福音書
マルコによるふくいんしょ Gospel according to Mark


1.プロローグ

新約聖書の第2書。4つの福音書中、最古のものと考えられている。「マタイによる福音書」「ルカによる福音書」とともに、共観福音書の一書にかぞえられる。

2.著者

 マルコをこの福音書の著者とするもっとも古い根拠は、3世紀にカエサレアのエウセビオスがまとめた教会史の記述であり、そこにはパピアスという著述家の言葉が引用されている。パピアスはある「長老」が「マルコによる福音書」についてのべた見解にふれ、「その長老はこういった。『マルコはペトロの通訳となり、その言葉を忠実に書きとめたが、順序だててまとめたのではなく、ペトロが主のものとしておぼえていた言葉や行為を書きしるした』」という。

パピアスによれば、長老のいうマルコは、バルナバのいとこのヨハネ・マルコにほぼまちがいなく、「使徒言行録」(たとえば同書15章37〜39節)やパウロのいくつかの手紙(「コロサイの信徒への手紙」4章10節、「テモテへの手紙二」4章11節、「フィレモンへの手紙」24章)、「ペトロの手紙一」5章13節などにその名がしるされているという。この説については批判的な研究もあるが、当否ともに証明できていない。ただし、かなり疑わしい説と思われる。

初期のキリスト教は、4福音書をそれぞれ十二使徒のだれかとむすびつけてとらえようとした。伝承どおり、この福音書がたしかにマルコという名の人物によって書かれたとすれば、パピアスが言及した長老はこの伝承を最大限に検討し、マルコをヨハネ・マルコと同一視することによって使徒ペトロと関連させたことになる。したがって、多くの学者は、この福音書が少なくともマルコという名の初期のキリスト教徒によって執筆されたと考えている。マルコはかなり多くの伝承にもとづいて、厳格に体系化された説得力のある訓話をまとめている。

3.成立の時期および場所

「マルコによる福音書」の13章はエルサレムの破滅を、まもなくおこること、あるいはおこったばかりのこととしている。したがって、本書が書かれたのは、70年の直前か直後、その時期から、さほどはなれていないことはほぼ確実である。

2世紀の神学者、アレクサンドリアのクレメンスは、この福音書がローマで書かれたと考えたが、この見解はおそらく著者がペトロの言葉を書きしるしたという仮定にもとづいている。しかし、「マルコ」の記述そのものを手掛りとして、多くの学者はガリラヤあるいはシリアで書かれた可能性があると考えてきた。

4.内容

この福音書は、成人したイエスが洗礼者ヨハネから洗礼をうけたことにはじまり、磔刑と、天使がイエスの復活を知らせるまでをえがいている。最初の場面はユダヤで、洗礼をうけたイエスは荒れ野でサタンから誘惑をうける。次に物語の舞台はガリラヤへうつる(1章14節)。本書の大部分はイスラエル北部のさまざまな場所を舞台とするが、とくにガリラヤ湖の近辺が多い。イエスは湖のほとりで神の国についてかたり、病人をいやしたのち、ユダヤへむけて南へと移動する。

11章11節からこの福音書の終わりにかけては、エルサレムやその近辺が舞台となる。エルサレムはイエスが逮捕され、磔刑に処され、墓に葬られた場所である。イエスとともにエルサレムへのぼってきた女性の何人かが、イエスの体をきよめようと墓へいくと、墓は空っぽだった。ひとりの天使がいて、この出来事を弟子たちにつたえるよう命じたが、彼女たちは、だれにもいわなかった。おそろしかったからである。

このように、「マルコによる福音書」はユダヤではじまってユダヤでおわるが、その間におこった出来事の大半はガリラヤでのことである。ガリラヤの重要性は、イエスの復活に関連してのべられた2度の預言からもよくわかる。イエスは復活したあとにガリラヤへいき、そこで弟子たちはイエスにあうだろうとくりかえし預言されているのである(14章28節、16章7節)。

5.構成

 最初期の教会は、口頭伝承というかたちでイエスの受難について基本的なことをつたえており、それをユダヤ、とくにエルサレムでおこった一連の出来事として説明していたと思われる。教会はさらに、イエスの教え、たとえば4章にしるされている、いくつかのたとえ話などやイエスの行動についてもまとめていたようだ。それらの教えや行いのうち、いくつかは、ガリラヤという場所に関連づけられている(たとえば4、5、6章にしるされている奇跡の話など)。

「マルコによる福音書」のもっとも注目すべき文学的業績は、これらガリラヤでのイエスの言葉や行いを一つにまとめ、イエスの受難に関するエルサレムの伝承をひろくとりいれていることである。さらに、語り口が読み物としてとても効果的で、生き生きとしている。冒頭から緊張感にあふれ、イエスがサタンと衝突する場面が簡潔にえがかれ、洗礼者ヨハネの逮捕がイエスの宣教開始に預言的な影をおとすさまがしるされている。

緊張はしだいに高まり(たとえば2章6〜7節、3章2節、6章、22章など)、神殿におけるイエスの大胆なふるまいに人々が公然と反発しはじめ(11章18節)、イエスもユダヤ人の権威者を言葉で攻撃するようになると(12章1〜12節、38〜40節)頂点に達する。反発していた権威者たちは、やがてイエスを殺害する計画をたてるようになり(14章1〜2節)、ついにイエスは逮捕されて裁判にかけられ、十字架上にはりつけにされた。

一連の受難物語でイエスに反発したのは人間だったが、ここでも全宇宙的な争いがみごとに対比されている。イエスが処刑されたときに地上が暗くなったことと、復活の朝に太陽がのぼったことが、対照的にえがかれているのである。

このようにマルコは、ガリラヤの伝承を体系化するうえで、イエスの受難をつたえるエルサレムの伝承にならって、めりはりのある劇的な構成を中心にまとめようとしたらしい。いいかえれば、ガリラヤの伝承を素材として、劇的な対立という主題をまとめている。その結果、イエスの行いと教えはそれぞれ短い場面としてえがかれ、数多くの対立がエルサレムにおける最高潮の出来事を予感させている。

このようにしてえがかれたドラマは、基本的に黙示文学であり、イエスの物語は神の国とサタンの国の二元的な宇宙の戦いとしてしめされる。イエスの物語は、イエスが神の子としてサタンの領域に侵入し、人間をサタンの手から解放しようするところからはじまる。サタンとの戦いの最終的な結果は、イエスの復活によって明かされる。イエスは自分がメシアであることを最初はかくしていたが、復活後は、はっきりとしめしたのである(9章9節)。

6.福音書の結び

 この福音書の結びとして、2つの文書がのこされている。ギリシャ語の写本のほとんどは「長い結び」で、16章20節でおわる。しかし、16章8節まででおわるものも少数ながらある。一般的な見解によれば、「短い結び」のほうが古い時代のものとされている。マルコは16章8節でおわらせるつもりだったが、2世紀のある律法学者が、それでは唐突かつ納得できない終わり方だと考え、「ルカによる福音書」にもとづいて結末を書きくわえたという。

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