『ドアの向こうのカルト』からの序文



■はじめに―三五年前の八ミリビデオ

  「聖書を学ぶのは家族にとって良いことだ」と母親がエホバの証人と聖書の勉強を始めたのがきっかけで、そこから私の家族の壮絶な二五年間のカルト生活がスタートした。エホバの証人には細かい儀式や規則がなく「自由な民である」という主張とは裏腹に、実際にはさまざまな抑圧的な決まりごとがあった。誕生日、クリスマス、正月など全ての行事はご法度。学校では体育の武道の授業から運動会の騎馬戦まで禁止。国歌のみならず校歌を歌うのも禁止。タバコはもちろんダメで、さらに乾杯の行為そのものまで禁止された。

 当時は週に三回の集会があり、たとえ小さな子供であっても二時間おとなしく座っていることを強要された。それができなければ、虐待に近いムチが加えられる。親の命令は神の命令であるから、背くと容赦なく叩かれる。さらに、娯楽はサタンの誘惑の道具であるとして、母親は私が持っているロックのカセットテープを全て捨てていった。寺や教会が写っている写真にも悪霊が憑くと言って、そのような写真を一枚一枚アルバムから抜き出しては捨てた。

  婚前交渉はおろか、思春期のデートも禁止である。エロ本は当然見てはならないし、男子であればオナニー禁止という異常な規則が敷かれる。当然、結婚相手は信者同士でなくてはならない。仕事仲間であっても信者外の人とは友達になることも注意の対象となる。なぜなら信者以外の人はサタンに惑わされており、信者の信仰を腐敗させるからだ。こんな調子だから、教団には女性信者の方が圧倒的に多いため 、多くの女性信者が独身を余儀なくされる。信者外の「世の人」と結婚することは由々しき罪であるからだ。

  若い人であれば、世俗の仕事よりも伝道に打ち込むように指導される。それで教団と親ぐるみで大学に行くなという圧力がかかる。私も母親からいつも新聞配達のようなパートをやるように圧力をかけられてきた。お金儲けはサタンの誘惑であると協会は注意を促す。自分の信仰を守るためなら、イエスと同じように自分の命を犠牲にしろと教える。だから輸血を受けるぐらいなら死んだ方がマシであると信じている。例えそれが自分の子供であってもだ。

  この世は全てサタンの配下にあると協会は教えている。世の終わりであるハルマゲドンは今にでもやってくる、と信者は信じている。だからエホバの証人の子供は、教団と親のいいつけを守らないと神によって滅ぼされると洗脳される。そして一度洗脳されたら、信者は洗脳の自覚がないまま自分の感情を抑圧して生きていくことになる。そのため教団の中には、うつ病、慢性疲労症候群、原因不明の病気に悩まされる信者が多い。

  私はこの世界の中で、九歳から二五年間生きてきた。自力で洗脳を解いた時は、一種の絶望を感じた。なぜなら親族全員がエホバの証人であり、親子であれ村八分にされるのは目に見えていたからだ。生涯を通じて私にはエホバの証人の友達しかいなかった。そして信仰を翻した今、自分はその仲間から「サタンの人」というレッテルを貼られて排除されることになる。電話の向こうで泣き叫ぶ母親、頭がおかしくなったと私から離れる弟夫婦と妹夫婦。もちろん私の妻と彼女の実家も信者だ。これらはわずか六年前のことである。

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 ここ二、三年間、自分が六年前まで属していた教団での人生を細かく振り返ることがはなかった。毎月、ロスアンジェルス、日本、シンガポールを飛びまわる生活に追われていたからだ。七年前にヤフーを辞めてからのファッション業界の仕事はおもしろかった。その間に色々なことがあった。自分が関わった東京ガールズコレクションやキットソンというアパレルブランドも全国的にブレイクした。そしてシンガポールでのファッションショーも大きな注目を集めた。事業戦略とマーケティングのコンサルとしても数々のセミナーでも話をさせてもらった。そして数々のクライアント様ともお付き合いをさせてもらってきた。そしてここにきてその役割も終えたのでロスアンジェルスに戻った。そして過去を回顧する時間が少しばかりできた。そしてふと思う。

「自分の二五年間のカルト教団生活は本当にあったのだろうか? 何かの夢を見ていたのだろうか?」

自分の仕事はエキサイティングであったし、多くの楽しい同僚や友人にも囲まれてきた。しかし五年より前の過去の私を知っている友人はほとんどいない。それは単純に、今の人脈が過去五年以内にできたものだからだ。私は今から五年前に、それまで知っていたほぼ全ての友人と知人を失った。だから今私と仲がいい仲間は全てここ数年以内に再構築してきた友人たちだ。二年前に『給料で会社を選ぶな!』(中経出版)を出させて頂いた時に、大勢の仲間が出版パーティーにきてくれた。その時彼らを見ていて「三年でここまできたか」と思った。そしてうちの両親も弟もかけつけてきてくれた。母親もニコニコとうれしそうだった。今でこそ平和な佐藤家の日常がある。しかし五年前までは佐藤家は戦慄な混乱の真っ只中にいた。

 四月に入り部屋を整理していたら、四歳の時の八ミリビデオを変換したDVDがでてきた。以前に弟が送ってくれたものだった。パソコンに入れて再生してみるとロンドン時代のものだ。音声はなく、いかにもレトロといった粗いフィルムの映像。ロンドンの公園に私がいて弟がいる。無邪気に笑っている。そして私の母親が楽しそうに子供たちを視線で追い、父親も微笑んでいる。何気ない日常の一コマで、四分ぐらいの長さだった。そこに写っている幸せそうな家族を見ていた時に、突然ドッと涙が溢れ出した。自分でもこの涙には驚いた。何の感情も持つ前に反射反応的に涙が出てきたからだ。この映像の中に写っている幸せそうな家族四人は、その後に長くつづくカルト教団生活をまだ予期していない…。

  最近またオウム事件の報道が盛んになってきた。ここで皆さんは、オウム真理教に代表されるようなカルト教団の信者について疑問がでてくるはずだ。
 オウムの信者は本当にハルマゲドンを信じていたのだろうか? 
 オウムに限らずカルトの教祖は確信犯なのだろうか? 
 世の中のメディアからバッシングを受けても、なぜ信者たちは教団をやめようとしないのか? 
 財産まで捨てて出家して集団生活をしているのは本当に幸せなのだろうか?
 一体どういう環境だとそのような極端な洗脳状態に陥るのだろうか? 

 「なぜカルト信者はここまでとっぴなことを信じこめるのか?」 

 ベストセラーとなった村上春樹の「1Q84」はエホバの証人を題材に含めている。この本を読んで自分が一番釈然としなかった部分がある。物語の中では主人公たちがなぜそこまでカルト的な教義にハマっているのかは説明されていない。ただ、「強く信じているからである」で片付けられている。なぜそこまで強く信じるように到ったかは説明されていない。ましてやそれを信じている間、本人がどのような境地にあるかは全く描写されてもいない。しかしそれもそうだろう。著者は宗教に関して色々と調査したが信者となっていたわけではない。こればっかりは洗脳された信者の側になってみないと分からない。そして自分はそっちの側だったので分かる。

  最初は自分がカルト教団に属しているとは夢にも思ったいなかった。九五年のオウム事件の報道があった時も「カルトは大変だな」と思ったぐらいだ。証人たちは聖書の預言にある偽キリストがでてきたといって騒いでいた。
 「私たちは真の宗教だけど、世の人からオウムと一緒にされなければいいね」
 「サタンも人間を惑わすのに必死ね」
 「ハルマゲドンが近いとこういう危険なカルト教団が増えますね」
 「みんな、あんなに出家して。ニュース見てやめようと思わないのかしら」
 「私たちはエホバと組織に守られているからよかった」
証人たちは神の真の組織に属しており、真理を持っていると信じて疑わなかった。そしてサタンの罠であるカルト教団から身を守ってくれている組織に感謝した。

 私はエホバの証人として二十五年間生活をしてきた。子供の時からアメリカと日本の沢山の会衆を渡り歩いてきた。知り合いは証人たちしかいなかった。もちろん親族もほとんどが証人たちであった。そしてニューヨークにあるブルックリン本部で約四年間奉仕をしていた。教団の幹部ともいつも時間を過ごし、教団は神の組織であるという確信を強めた。

 教団の若者たちは、大学にいかないで布教活動に打ち込むように指導された。新たに入信した家庭持ちの男性の中にも、仕事をやめて組織の活動に入れ込む信者が数多くいた。私たちは輸血をするぐらいなら死んだ方がマシだと確信していた。そして世の中は全てサタンによって支配されているので、一切関わらないように洗脳されてきた。音楽も映画も本も全てサタンによる誘惑の罠であった。そして私たちは誕生日やクリスマスを祝う一般の人々を哀れみの目を持って卑下していた。サタンに惑わされている滅ぼされるべき運命にある人々。私たちは教団に入っていない人たちが非常にかわいそうでならなかった。 

  だから私には熱狂的な宗教信者の心情が手に取るように分かる。自分自身も毎週布教活動でドアからドアへ足を運んでいた。世の終わりが明日にでも来るかのような決意を持って生きていた。悪魔の世界なので政府からいつ迫害されてもおかしくない。信者たちは教団が弾圧された時を想定して、逮捕はおろか殉教も覚悟していた。それと同時に、自分たちは世界の中で唯一幸せな人たちの集団であると信じていた。だから周りの人たちを一人でも多く教団に導くのが神から与えられた使命であった。何しろ世の終わりは近づいているのだから。ハルマゲドンから一人でも多くの人を救わなくてはならない。このために多くの信者が自分の感情を殺し、夢を犠牲にし、教団のだけにために身を粉にしてきた。しかしそれでも自分たちは一番幸せな集団であるという充実感を持っていた。

 私が正式に教団を去ったのは今(現在二〇一二年六月)からちょうど五年前のことである。今となっては、親族の大半は私と共に教団から足を洗い、関係を完全に断ち切っている。長い宗教人生だったが、今では遠い昔のように思える。「あれは現実だったのか?」としばしば思う。今でも道で信者を見かけると「まだやっている人がいるんだな」と思ってしまう。今でこそ遠い別の世界に思われるが、二五年間のカルト教団生活はあまりにも長かった。悪夢のようでも、心地よい夢のようでもあった。いずれにせよ私の親族も第二の人生を再構築していることには変わりない。洗脳を解いて自分を正常な起動に戻すには、脱退届けを出す以上のことが関係する。それは浦島太郎が砂浜に戻ってきて、多くの時間を失ったことに気付いたときの心境に近い。

  最近、オウム事件の後片付け報道で、再びカルト教団に世間の注目が向けられている。私の周りの友人たちも普段はカルト教団と接点はないが、私の体験談にものすごく興味を持つ。よその世界の出来事と思いつつも、どことなく気になるらしい。実際問題、カルト問題はあなたが思っているよりずっと身近なところに存在する。あなたの近所かもしれないし、職場かもしれないし、身内から来るかもしれない…。最初のきっかけはちょっとした小さなことだ。だがその影響は人生に非常に大きなインパクトを与えることになる。

  この本では自分の宗教での生い立ちを話していく。同時に、教団とその信者の実像に関しても内側から書いていく。また、宗教の洗脳はどのようなプロセスで始まり進行するのかも話す。人はどのように理論的に、感情的に、カルトの教義の深みにハマっていくのか。そして、もちろん読者の皆さんが同じアリ地獄にはまらないように、具体的な対策も記しておく。カルト教団という言葉は奥が深く、この言葉を検証するだけで世界中の社会現象、政治観、ビジネス観まで見えてくる。なぜアメリカと中東の戦争は終ることがないのか。なぜ平和を教えているはずの宗教信者が自爆テロを繰り返すのか。カルトを理解すると今まで不可解だった謎が見えてくる。しかし世界全体を理解する前に、まずは個人の話から。ここから私の話である。


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