バビロンからの多大な影響


唯一まことの神から与えられた独特な本と言われる聖書も、実は「バビロン」の概念から多大な影響を受けていました。ここで言う「バビロン」とは、地理上のバビロンでもありますし、エホバの証人が言う「偽りの宗教」という意味でもあります(引用している資料はすべて、著者が高校の時に使っていた全く普通の教科書や参考書です)。

ハンムラビ法典からの影響

 バビロン第一王朝の第6代目・ハンムラビ王は、シュメール法を継承・集大成した成文法を作りました。これはハンムラビ法典と呼ばれています。この法典は、1902年にペルシャの古都スサで、楔形文字で石碑に刻まれた原物として発見されました。

 ハンムラビ法典は紀元前18世紀という大昔に作られたにも関わらず、民法、刑法、商法、訴訟法など282条からなる非常に高度な、しかも完全な形で残る最古の法令です。その刑法は、「目には目を、歯には歯を」という復讐法の原則に立っています。このフレーズ、どこかで読んだ覚えはないですか?

 そうです、出エジプト記21章24,25節の、「目には目、歯には歯、手には手、足には足、焼き印には焼き印、傷には傷、殴打には殴打を与えなければならない」です。

 さらに奴隷の場合は自由民と同等に扱われないという点も共通していて、両者には「奴隷の目をつぶした場合」という特定な状況に関する規定があります。ハンムラビ法典の場合は「その価の半分を支払う」(199条)で済み、モーセの律法の場合は「償いのため、これを自由にされた者として去らせる」(出エジプト21:26)という、どちらも軽い罰になっています。

 また欠陥住宅を建てた場合の刑罰も両者にあり、ハンムラビ法典では家を建ててそれが倒壊したならその建築者は死刑にすべきとあります。律法でも手抜きをして欄干のないの家を建てたゆえに死者が出た場合、建築者には血の罪が問われました(申命22:8)。

 さらに、元は同身分の奴隷は数年後には自由にしなければならないというシステムも似通っています。ハンムラビ法典には「借金のために妻子を売り奉公に出す場合は、この妻子は買取人すなわち主人の家で3年間だけ働き、4年目には解放されて自由を与えられる」(117条)とありますが、律法でもこれと全く同じような規定「あなたの兄弟であるヘブライ人の男またはヘブライ人の女があなたのもとに売られた場合、その者が6年間使えたならば、7年目にはこれを自由にされた者としてあなたのもとから送り出すべきである」がありました(申命15:12)。

 また双方の法律が「神から授けられたもの」と主張している点も共通しています。ハンムラビ法典は太陽神から、モーセの律法はご存知エホバ神から授けられたことになっています。

 あなたはこの似通った2つの法律が何の関連もないものと思われますか?ハンムラビ法典は紀元前18世紀の原文がそのまま石碑の形で発見されました。一方聖書には原本が存在せず、実際に書かれたとされる時期よりはるかに後の時代の、人の手で何重にも繰り返し書き写されてきた写本の形でしか残っていません。

 ものみの塔協会は「旧約聖書の最初の5つの書はモーセによるもの」というユダヤ・キリスト教の伝統に習って、出エジプト記は前16Cのモーセ本人によって書かれたと教えています。しかし、モーセ五書は一人の著者によって書かれたにしては不自然な矛盾や言語学的相違があることから、もともとは複数の書物の寄せ集めと考えるのが現代聖書学の常識になっています。また申命記のある表現からして、少なくともその部分の作者はモーセではありえないことなどが明らかになっています(詳しくは別サイト「聖書の間違い」聖書は書き換えられたかを参照して下さい)。

 モーセ五書はバビロン補囚帰還後かなり遅く、ペルシャの属国となっていたイスラエルの祭司たちが、自らの民族性を守るため、伝承として伝わってきた4つの資料(J,E,D,P資料)を、(権威づけのため)モーセが書いた律法としてまとめたものと考えられています。

 いずれせよ、ハンムラビ法典は前18Cという圧倒的な古さを持つものですので、先のハンムラビ法典が後の聖書に影響を与えたと考えるのが妥当です。

 

 「(ハンムラビ法典)はイスラエル人に継承された(「旧約聖書」の『出エジプト記』に記載)。」-山川出版社「世界史用語集」P5


 「(ハンムラビ法典は)シュメール以来の法律を集大成したもので、「目には目を」の復讐法と、身分により刑罰に差があることなどが特色である。復讐法の思想は、のちヘブライ人に影響を与えた。」
-三省堂「世界史」P12
ゾロアスター教からの影響

 ご存知のように聖書には、天使(み使い)と悪魔、最終戦争(ハルマゲドン)、 最後の審判、パラダイスといった概念が存在します。実はこれらすべては古代ペルシャの宗教・ゾロアスター教の中に存在していたものでした。ゾロアスター教には以下のような信仰があります。

 

  • 善を光、悪を闇になぞらえる
  • この世は光明神アフラ=マズダvs暗黒神アンラ・マンユの闘争の場である
  • 終末には善vs悪の大戦争があり、結局は善が勝つ
  • 最後の審判で神の恵みを受けた者は楽園におもむくことができる
  • 善悪の選択は各人の選択

 光対闇、最終戦争、最後の審判、楽園…聖書の概念とそっくりだと思われませんか?ヨハネ1章5節には「光は闇の中で輝いているが、闇はこれに打ち勝っていない」という印象的な聖句がありますが、これは善を光、悪を闇になぞらえるゾロアスターの教えとそっくりです。またゾロアスター教は火を神聖視するために「拝火教」とも呼ばれています。聖書に火を神聖視する直接的な教えはないと思いますが、エホバと火とはかなりの関連性があり、ソドムとゴモラを滅ぼしたのも、紅海でイスラエル人を導いたのも、ソロモンの神殿の捧げ物を燃やしたのも、すべて火でした。ヘブライ12:29には「わたしたちの神は焼き尽くす火でもあるのです」とあります。

 モーセなどは前7Cのゾロアスターよりもずっと古い人なのに、なぜゾロアスター教が聖書の宗教に影響を与えたと言われているのでしょう?

 前にもふれたように、聖書が書かれ始めたのは、ものみの塔が教えているよりもはるかに後の事でした。旧約聖書の基になる資料が書かれ始めたのはようやくダビデの頃からで、モーセ五書が今の形になったのはバビロン補囚後のペルシャ支配の時とされています。ですからユダヤ教が確立したのもバビロン補囚が契機とされています。

 

「バビロン捕囚 Exile 前586〜前538 新バビロニアによるユダヤ住民のバビロンへの強制移住事件。異国の地でヤーヴェの信仰を守り、発展させたユダヤ人は、ペルシアの手で解放され帰国した。この体験は、ユダヤ教成立の契機となるとともに、ユダヤ教に両河地方の伝説・神話などを取り入れる因となった。帰国後、イェルサレムに神殿を再興した。」-山川出版社「世界史用語集」P8


 「ユダヤ教 Judaism バビロン捕囚から帰国後に成立したユダヤ人の宗教。ゾロアスター教の最後の審判や天使、悪魔の思想の影響を受ける。」-山川出版社「世界史用語集」P8


 この当時、イスラエル人はペルシャの属国でしたので、ペルシャの宗教ゾロアスター教の影響を受けるのもうなずけます。

 

 「ペルシア人の信仰したゾロアスター教は、世界を善の創造者である光明神と、悪の創造者である暗黒神(アーリマン)との対立とみなし、結局は前者が勝利すると説く倫理性の強い宗教で、光明神アフラ=マズダの恵みを受けた者は最後の審判によって楽園におもむくことができるとし、ユダヤ教にも影響を与えた。」-三省堂「世界史」P16

 

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