秘められた「エノク書」


 みなさんは聖書の中で、洪水前の時代にエノクという義人がいたことをよく知っていると思います。しかしながら、彼が実際にどのような人生を送ったのかについてはほとんど知らないはずです。エノクについて当の創世記では、その5章18〜24節にほんのわずかに触れられている程度だからです*。そこからは、

1. ヤレドが父であったこと、
2. 65歳でメトセラの父になったこと、
3. 300年の間神と共に歩み、その間息子や娘たちの父になったこと、
4. 365歳の時に「神に取られた」こと

しか分かりません。*(実際には創世記4章17、18節にもエノクは出てきます。ここではエノクの父はカイン、息子はイラドとなっており、こうした食い違いはもともと創世記を構成していた資料の違いによるものと考えられています。)

 しかし少し不思議な点があります。それはエノクが「死んだ」とではなく、「いなくなった」とか「神が取られた」と書かれている点です。

「こうしてエノクはまことの神と共に歩みつづけ、そののちいなくなった。神が彼を取られたからである。」(創世記5:24)

 エノクの父についてその最後は「ヤレドの日数は全部で962年となり、こうして彼は死んだ」、エノクの長男については「メトセラの日数は全部で969年となり、こうして彼は死んだ」と書かれていることから、いかにエノクの最後が特異であったかが分かります。

 さて、エノクは最後にどうなったのでしょう。「いなくなった」「神が取られた」という表現について、キリスト前の義人については天的命を認めない協会は、単にこれは邪悪な世での難儀の多い人生を、神が早めに終わらせてあげたという意味だと説明していました。現代で言うところの安楽死でしょうか。

 しかしヘブライ11章5節には、「信仰によって、エノクは死を見ないように移され、神が彼を移されたので、彼はどこにも見いだされなくなりました。彼は、移される前に、神を十分に喜ばせたと証しされたのです。」とあります。どこに移されたのですか?「死を見ないように移された」のですから、行き先はシェオルやハデスではないでしょう。むしろ「神に取られた」とあるのですから、神の方、つまり天に行ったと読むのが自然ではないでしょうか。

 この自然な読み方とぴったりつじつまの合うのが「エノク書」です。この書はエノクが「神に取られた」後の驚嘆すべき人生を伝える書物だからです。この書は「セプトゥアギンタ訳」や「ウルガタ訳」に含まれていないため「偽典」とされているものの、初期クリスチャンの間ではこれも聖書の一部とされ、「ユダの手紙」に直接引用されていたり(別サイト「聖書の間違い」「『ユダの手紙』の著者の無知」をご覧下さい)、死海文書発見時には正典と一緒に出てきたりしたので(The Qumran Library : Scrolls -Scrolls From The Dead Sea-をご覧ください)、根拠もなく無視すべきものではないでしょう。

エノク書のお話

 エノクは実は生きたまま天に挙げられ、神の書記官としての役割を与えられていたのでした。

 興味深い点としてエノクは天で、堕落したみ使いたちと接触します。考えてみれば、時期的にエノクはちょうど、み使いたちが人間の女と交わってネフィリムを生んだ頃の人物でした。

 「義の書記なるエノクよ、行ってあの天の『見張りの者(グリゴリ)』らに言え。彼らは高い天を離れ、聖なる永遠の住まいを捨てて、女と交わって身を汚し、地上の子らのすることにならって妻をめとったのだ。さあ、彼らに告げるのだ。『お前たちは地上に恐ろしい災いをもたらした。お前たちには平安も罪の許しも与えられない。…いつまで嘆願しても、憐れみと平安を得ることはできないであろう』と。」(エノク12:3)

  「グリゴリ」とは200人からなるみ使いの一団で、神への背反となることを承知の上で、一部では反対意見を出ながらも、その全てが人間の女たちと交わりました。エノクはグリゴリの長アザゼルに言います。

  「アザゼルよ、お前は平安を得ることが出来ない。お前を縛ってしまえという厳しい判決が下されたのだ。お前には赦免も休息も与えられない。お前が不義を教え、人々に不信と不義と罪の仕業を示したからだ」(エノク13:1)

 グリゴリたちは恐怖におののき、エノクに赦免を得るための嘆願書を書いて、神の前で読んでもらおうとします。「その時以来彼らは主に向かって直接語ることはもとより、彼らが訴追された罪を恥じるあまり眼を天にあげることすらできなくなっていたから」です(エノク13:3)。

 エノクは嘆願書を書いて、神に向かって読んであげますが、神の答えはNOでした。エノクは、「レバノンとセネセルの中間のアビレネ」に集まって泣いているグリゴリらに、神の宣告を告げます。

 「主が人を造り、知恵の言葉を悟る力を与えられたように、わたしも天の子ら、見張りの者を訓戒する力をお与えになった。わたしはお前たちの嘆願を書きとめたが、わたしがまぼろしを見たところによると、お前たちの嘆願は永久に聞き届けられないと思われる。それどころかお前たちに対する判決はすでに下された。確かにお前たちの嘆願は聞き届けられない。今から後永遠にお前たちは天に昇ることを禁じられ、この世の続く限りお前たちを地上の鎖につなぐことが命じられた。お前たちは愛する子供たちの滅亡を見、もはや子らを楽しみにすることはできなくなる。彼らはお前たちの眼の前で剣にかかって倒れるだろう。彼らのための嘆願も、お前たち自身のための嘆願も、聞き届けられない。いくら泣いて祈っても、わたしが書いた嘆願書のすべての言葉を語っても、聞かれないであろう。」(エノク14:3-7)

 「わたしは主のみ声を聞いた。『義人エノクよ、義の書記よ。恐れなくてもよい。近くによってわたしの声を聞け。行って、あのお前を使わして取りなしをしてもらおうとした天上の見張りの者らに告げるがよい。「お前たちこそ人間のために取りなしをすべきであって、人間に取りなしをしてもらおうなどとはもっての他である。お前たちが高く聖い永遠の天を離れ、女と交わり、人間の娘らによって見を汚し、地上の子らと同じように振る舞い、巨人を生んだのは、いったい何のためか。お前たちは聖なる霊的な存在であって永遠の命を持っているにも関わらず、女の血で自分の身を汚し、肉なる者の血によって子供を生んだ。…しかしお前たちはもともと霊であり、永遠の命を持つもので、この世の続く限り死ぬことのないものだった。だからお前たちには妻は定めていない。もともと天上の霊については天こそその住むべき場所なのだから…』」(エノク15:1-7)

 こうした物語は、創世記の記述と適合します。またみ使いたちが泣いて嘆願したことや、彼らは永遠に生きる者ゆえに妻が定められていないなど、エノク書独特の興味深い情報もあります。また「縛ってしまえという厳しい判決が下された」「地上の鎖につなぐことが命じられた」というような表現は、ペテロが述べた「まさに神が、罪を犯したみ使いたちを罰することを差し控えず、彼らをタルタロスに投げ込んで、裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば」という発言や(ペテロ第二2:4)、ユダが述べた「自分本来の立場を保たず、そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを、大いなる裁きのために、とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます」という発言(ユダ6)とも適合します。こうした話は創世記自体には出てきませんので、ペテロやユダがエノク書を読んだことは間違いないでしょう。

 この他にも、エノクが広大な天界やエデンの園やハデスを幻のうちに旅する話や、エノクがイスラエルの全歴史を預言的に示される話など、など、エノク書には興味深い内容が見受けられます。

なぜ外されたか

 エノク書は、創世記からだけでは得られない、より多くのエピソードをわたしたちに教えてくれます。この書はユダの手紙に直接引用されており、正典の他の箇所でもたびたび影響が見られることを考慮すると、全く無益な偽典と片づけることはできないでしょう。恐らく、キリスト前の人間が天界に行ったという非常に奇抜な話が問題視され、偽典として排除されていったのではないでしょうか。

 (参考資料:講談社「旧約聖書外典(下)」)    

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