永遠の命-本当に欲しいだろうか?


 永遠の命-あなたは本当にそれが欲しいと思われるでしょうか?

 千年たっても、1万年たっても、6500万年たっても(恐竜絶滅)、46億年たっても(地球誕生)、100億年(宇宙誕生)たっても、1兆年たっても、ずっと永久に死ねないというのは、よくよく考えてみれば恐ろしいことではないでしょうか。いくらそれが楽園での幸福な生活だとしても…。

 永遠の楽園において心配される「退屈さ」の問題についてはよく、「 神が『一週間』ごとに新しい創造を周期的に行ってくれる」などと楽観論を唱える人もいますが、聖書にははっきりこうあります。

「わたしは、まことの神が造られるすべてのもの、それは定めのない時に至るまで存続することを知るようになった。それに加えるべきものは何もない。それから取り去るべきものも何もない。まことの神がそれを造られたのである。」(伝道3:14)

 つまり楽園に入った人は、すでに完成されたこの宇宙、限られた地球の中で、永遠の時を過ごさなければなりません。

 「見よ!」のブロシュアーによれば、生殖はある時点で中止させられるそうです。では楽園ではいずれ「子供」というものが存在しなくなるのでしょう。何兆年も生きていればみんな知った顔です。新しい出会いもありません。今日の光景も一兆年後の光景も、何ら変わりません。ただ同じ毎日が永遠にあるだけです。

 動物は子孫を残して死んでいきます。植物も子孫を残して死んでいきます。夜空に輝く星も滅びと誕生を繰り返しています。死と生を繰り返しながら発展するようにできているこの宇宙の中で、エホバの証人だけが永久に存在し続けるというのはたいへん不自然な感じがします。本当にそのようなことが起こるのでしょうか?それとも、それは現実離れした夢想に過ぎませんか?

 むしろ、「すべてはむなしい」「わたしは命を憎んだ」「死ぬ日は生まれる日に勝る」などの厭世的な表現で聖書の他の書(特に新約)とは異彩を放つ「伝道の書」の次の言葉が、物事の真実を的確に表していると思われます。

「彼らが自分も獣であることを悟るためである…人間の子らに関しても終局があり、獣に関しても終局があり、これらは同じ終局を迎えるからである。一方が死ぬように、他方も死ぬ。皆ただ一つの霊を持っており、したがって人が獣に勝るところは何もない。全てはむなしいからである。」(3:18,19)

 しかし限りある人生を「むなしいもの」と思うかどうかはその人次第です。人生に意味を持たせるために「永遠の命」にしがみつく必要はありません。たとえ自分が生と死を繰り返す自然の一部に過ぎないとしても、自分なりの目的なり価値観を持って生きれば、限りある人生にも意義が感じられるはずではないでしょうか。     

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