「スザンナ」は有益です


 「スザンナ」とは何ですか?これは、ダニエルがまだ若かった頃のエピソードで、イエスらが用いていたセプトゥアギンタ(七十人)訳のダニエル書に付随していた短い書です。今や外典扱いされている「スザンナ」ですが、この書が今の聖書に混じっていたとしても内容的には何の問題もないでしょうし、むしろ聖書の価値をより高めると思われるほど、非常に教訓的な書です。

ものがたり

 バビロンにヨアキムという裕福なユダヤ人が住んでいました。ヨアキムはバビロンに居住するユダヤ人の中で最も尊敬される人物で、彼の広々とした邸には多くのユダヤ人が出入りしていました。

 「ある年、ユダヤ居留民の間から二人の長老が選ばれて裁判人になったが、この二人は実は指導者にふさわしくないような人物であった。『不法はバビロンからあらわれた。裁判人である長老から、民を指導するはずの者たちから出てきた』と神のみ言葉にもあるとおり、二人は悪人であった」(スザンナ5)

 この2人の邪悪な長老もヨアキムの邸によく出入りしていました。ところでヨアキムにはスザンナという名の、非常に美しく、神を敬う妻がいました。邪悪な長老たちは共謀して、美しいスザンナとこっそり姦淫をしようとたくらみます。スザンナが庭園で水浴びをしており、女中がいなくなった隙に、長老らは彼女に忍び寄り脅迫します。

 「庭の扉は閉まっている。誰にも見られる心配はない。我々はあなたを恋いこがれているのだ。我々と寝ることを承知しなさい。もし、聞いてくれないなら、あなたを訴えるぞ。若い男があなたと一緒に居た、だからあなたは女中たちを下がらせたのだ、と証言してやる。」(スザンナ20,21)

 スザンナは深いため息をついてこう言います。

私はまるで罠にかかったように四方からとり巻かれてしまった。承諾するのは、私にとって死ぬのと同じことだし、さればといって、いやだと言えば、あなた方の手中にみすみす陥って逃れなれない。けれども、主なる神の前で罪を犯すよりは、拒んであなたがたの手中に陥るほうがまだましだ」(スザンナ22,23)

 そして彼女が大声で救いを求めると人々がやって来て、とりあえず助かりますが、邪悪な長老たちはあらかじめ考えていた作り話をして彼女を悪者にしました。スザンナに関してそのような噂は皆無だったので、召使いたちはその話を聞いて大いに恥入ります。

 「翌日、人々がスザンナの夫ヨアキムの家に集まっていると、二人の長老はスザンナ死罪に定めようという邪悪な思いに満ち満ちてやって来た。彼らは人々の前で命令した。『ヒルキヤの娘、ヨアキムの妻、スザンナを召し出せ!』」(スザンナ28,29)

 そして二人の邪悪な長老は、全くの偽証を始めます。

 「『我々が二人だけで庭園を歩いていると、この女が二人の女中を連れて入って来、庭の扉を閉めてから女中たちを下がらせた。すると、どこかに隠れていた若い男が彼女の所に来て、二人は一緒に横になった。我々は庭の隅にいたが、この邪悪な行為を見て、二人の所に駆け寄った。我々は二人が抱き合っているのを確かに見たのだが、若者を捕まえることはできなかった。彼は我々が相手にするには強すぎたし、いち早く扉を開けて逃げてしまったのだ。だから、我々はこの女を捕らえて、若者の名を問い正したが、彼女はどうしても答えようとしなかった。これが我々の証言である』。

 集まっていた人々は彼らのことばを信じた。なぜなら、二人は人々の長老でしかも裁判にだったから。そこで彼らは彼女を死罪にすることを定めた。」(スザンナ36-41)

 人々は「長老」とか「裁判官」という肩書きゆえに、彼らの偽証を鵜呑みにしてしまいます。死罪の判決を聞いたスザンナは叫びます。

 「とこしえの神よ。隠れた事を知り、すべての事の成る前にあらかじめ知りたもう神よ。あなたは、彼らが私について証言したことが偽りであることを知っておいでです。いま、わたしは死なねばなりません。彼らがよこしまな心をもってでっちあげた作り話を一つとして犯した覚えがありませんのに。」(スザンナ43)

 神は彼女の叫びを聞き入れられます。そして彼女が処刑場に連行されている時、神は若きダニエルの心に聖霊を送り、彼の精神を奮い立たせられました。ダニエルは叫びます。

 「イスラエルの子らよ、君たちは、ろくに事実を調べてつきとめもしないで、このイスラエルの娘を死罪に定めるほど愚かな人間どもなのか。もう一度裁判の席に戻りなさい。この連中は彼女について偽証をしたのだ」(スザンナ48,49)

 そしてダニエルは二人の長老を別々に離し、片方ずつに尋問します。

 「この、よこしまな日々を送ってきた、老いぼれめ。お前が昔から重ねてきた罪は今報いられるのだ。主が、『無実の正しい人を死罪に定めてはならない』と言われているにも関わらず、お前は不正な判決を下し、無実の人を罪に定め、有罪な者を見逃してきた。さあ、言ってみるがよい。もしお前がこの婦人を確かに見たというなら、一体、何の樹の下で二人の男女がむつみ合っていたというのか』」(スザンナ52-54)

 片方の長老は「乳香樹の下で」と答えます。同じ質問を離れたもう片方の長老に尋ねると、「常緑の柏の樹の下で」といった矛盾した証言が返ってきます。二人が虚偽の証言をしていることは皆の前で明らかになりました。

 「見事な嘘だ。お前もその嘘によって首を失った。神のみ使いは剣をもって、お前をひき切り、二人とも滅ぼしてしまおうと、待ちかまえている」(スザンナ59)

 そして人々は、偽証を禁ずるモーセの律法に従って、二人の邪悪な長老を死刑に処しました。皆は一同にスザンナが助かったことで神を褒め称え、この事件以来、人々の間でダニエルの人望が非常に高まったのでした。

なぜ有益か

   今の時代でも、北海道広島会衆の大量排斥事件に見られるように、「よこしまな心をもって作り話をでっちあげる」姉妹、「罠をかけるように四方をとり巻く」支部委員、「ろくに事実を調べてつきとめもしないで、無実の民を死罪に定めるほど愚かな」長老や監督たち、「死罪に定めようという邪悪な思いに満ち満ちてやって来る」審理委員会、「主が、『無実の正しい人を死罪に定めてはならない』と言われているにも関わらず、不正な判決を下し、無実の人を罪に定め、有罪な者を見逃してきた」統治体があります。彼らは無情にも、30人もの兄弟姉妹を、彼らが千通を越える嘆願書を書き送り続けたにもかかわらず、彼らを許される余地のない「死罪」に定め、証人社会の中では実質上「死刑」に処しました。

 そして、このような判決を、「監督」「支部委員」「統治体員」という非常に高い肩書きゆえに「正しい」と信ずるエホバの証人があります。しかし「スザンナ」が示すように、古代イスラエルという神の組織の中には、高い立場にいながら邪悪な心の人々がいました。「聖霊によって高い地位に任命されたのだろうからとにかく正しい」というようなことはありませんでした。正典で言えば、神の預言者サムエルに油注がれたサウル王、イエスによって十二使徒に選ばれたユダなどが該当するでしょう。  現代の組織は大丈夫と言えますか?組織全体としては立派でも、個人個人は不完全で依然として「罪深い人間」ですから、「邪悪な長老」のような問題が部分的に起きない保証はどこにもありません。ですから「神の組織」とはいえ、時には不公正なことがまかり通ることだってあり得ます。

 「スザンナ」の書は、そうした高い立場を利用して弱者を不公正に扱う、邪悪な者たちへの戒めとなっています。またこの書は、外典だからといって、それが「大変劣っており」「取り留めの無い子供じみたもの」などとは必ずしも言えないこと、むしろ外典の中にも教訓的でためになる話があるという事実を教えてくれるので、有益です。

(参考資料:講談社「旧約聖書外典(下)」)      

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