うそをついたミカル・エヒウ・エホバ


 「若い人が尋ねる質問」の「正直は本当に最善の策ですか」という章には、このようにあります。

 

 「『偽りの舌』は昔も今も『エホバが憎まれる』ものの一つです。(箴言6:16,17) つまるところ、『偽りの父』は悪魔サタン自身です。(ヨハネ8:44)さらに聖書は、うそと、いわゆる罪のないうそとの間に区別をもうけていません。『偽りが真理から出ることはない』のです。-ヨハネ第一2:21。」(P215)

 本当にそうでしょうか。聖書を普通に読んでみるだけで、「悪役」でない人たちまでもうそを上手に利用してきたことが分かります。うそをついたギベオン人が結局賢いとされていることは有名ですが、ここでは他の例を見てみましょう。

ミカルの場合

 サウルに殺されそうになったダビデを逃がしてあげるため、「ミカルはテラフィムの像を取り、それを寝いすの上に置き、やぎの毛の網を彼の頭のところに置き、その後、それを衣で覆」い、ダビデを捕らえようとして来た使者に「あの人は病気です」とうそをつきました。(サムエル第一19:13,14)

 その後ミカルはサウルに「お前はなぜこのようにわたしをだまして、わたしの敵を送り出し、彼を逃れさせたのか」と怒鳴られますが(サムエル第一19:17)、ミカルが偽証の律法違反でエホバに滅ぼされたり叱責されたりすることはありませんでした。むしろ彼女が機転をきかせてそうしなかったなら、神の僕ダビデは殺されていたことでしょう。

エヒウの場合

 さらにバアル崇拝者たちを滅ぼすために義人エヒウが大うそをついた例があります。

「その上、エヒウは民すべてを寄せ集めて、こう言った。『アハブはバアルを少ししか崇拝しなかったが、エヒウはこれを大いに崇拝するであろう。だから今、バアルのすべての預言者、そのすべての崇拝者と、その祭司たちを皆わたしのところに呼び寄せよ。ただのひとりも欠けないように。わたしにはバアルのための大いなる犠牲があるからだ。欠ける者は誰でも、行き続けることはないであろう』 。エヒウはバアル崇拝者たちを滅ぼす目的で、ずる賢く行動したのである。」(列王第二18,19)

 エヒウはバアルの家に大勢の崇拝者たちを満たした後、80人の従者に「入って、彼らを打ち倒せ!ひとりも出て行かせるな」と命令し、大殺戮を行いました。協会はエヒウを「熱心な人」と呼んでいますが、その「熱心さ」の中には目的のためなら嘘をつくこともいとわない精神が含まれています。

エホバの場合

 さらに、エホバ自身がいかにして人を騙すかを天界で話し合い、うそをつくようみ使いに命じたこともあります。エホバは悪い王アハブをラモト・ギレアデで戦死させるために、彼の400人の預言者たちに「上って行きなさい。あなたは勝ちます」という偽りの預言をさせます。(列王第二22章前半)

 「それからエホバは言われました、『だれがアハブをだまして、上っていかせ、ラモト・ギレアデで倒れさせるのか』。…ついにひとりの霊が出てきて、エホバの前に立ち、『私が彼をだましましょう』と言いました。そこでエホバは彼に、『どういうふうにしてするのか』と言われました、『私が出て行き、必ず彼のすべての預言者の口で欺きの霊となりましょう』。そこで、『あなたは彼をだまし、その上、勝ちを得る者となるであろう。出て行って、そのようにせよ』と言われました。それで今、ここに、エホバはあなた(アハブ)のこれらすべての預言者の口に欺きの霊を授けられました。」(列王第一22:20〜23)

 結局アハブはラモト・ギレアデに上っていき、何気なく弓を引いた人の矢に突き刺さって死亡しました。

結論

 確かに聖書には嘘偽りを禁じる訓戒的聖句もありますが、神や神の側の人々の実際の行動を見てみると、時と場合によってはうそも方便として使っていることが分かります。「聖書は、うそと、いわゆる罪のないうそとの間に区別をもうけていません」という説明は、聖書を美しく見せようという意図によるたいへん不正直な表現と言わねばなりません。

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