おいしい料理を味わえるのは誰のおかげ?


 エホバの証人は、宗教活動にとても熱心であることで有名です。彼らの生活は「エホバ」そして「聖書」といった、宗教的な事柄が中心になっています。いわばそれらが彼らにとっての主食もしくは中心となる食材となるわけです。

 そこで今日取り上げたいのは「娯楽」または「レクリエーション」というテーマです。エホバの証人はそれらをいわゆる「調味料」や「スパイス」というものに置き換えて考えるために、大量に取ることは控えるべきだと教えられています。つまり、娯楽にはあまり時間を費やすべきではないということです。しかし、調味料がまったくない料理をイメージしてみてください。なんとも味気ないつまらない食事ではないでしょうか?

 「おにぎり」には塩が、「煮物」には酒やお醤油が不可欠です。だれもが認めるとおり、料理は調味料が適切に加わることによって、おいしさが倍増するもの。彼らの主張である、調味料を入れすぎることが逆効果であることも事実です。

 では、「娯楽」を「調味料」に例えることに関してはどうでしょうか?もちろん、「娯楽」ばかりの生活は賞賛されるものではありません。働きもせずに遊びほうける者は社会的にも認められません。しかし、「娯楽」があってこその「生活」そして「人生」といえるのもたしかです。まったく「娯楽」のない生活、「娯楽」が制限された人生は面白味がありません。それは「料理」と「調味料」という関係とたしかに似ています。ここまで考えると、エホバの証人たちが主張することも正論であるように思えます。

 しかし、見落としてはいけない点があります。彼らの「生活」に該当する部分は、一般人のそれとはまったく異なるものだということです。彼らの考える「生活」とは「布教活動」や「集会」、また「個人研究」など、宗教的活動を軸にしたものだからです。「学校」や「勤労」といった分野は二の次でしかないのです。ここが、一般人の考える「生活」とは大きくかけ離れた部分といえるわけです。

 そのような独特な生活観の中で「娯楽」を「調味料」として楽しみなさい、というのが彼らの考え方です。とはいえ、娯楽が完全に禁止されているわけではありません。少量に抑えておきなさい、というのが基本的考え方です。ですから、最新ヒット曲を聞いたり、カラオケに行く若い信者はたくさんいます。パソコンが好きな長老、車のことなら何でも知っている車好きの奉仕の僕、食事会を頻繁に開く女性開拓者たち・・・とほとんどの信者は宗教的活動とは別に自分なりの「娯楽」の時間を持っているのです。

 そのこと自体を否定するつもりはありません。問題はその考え方です。彼らはいったい誰のおかげでそのような「娯楽」が可能になるかという点を見失っていることなのです。

 例えば音楽を取り上げてみましょう。ある有名歌手の最新CDが出来上がるまでに作曲家、作詞家そして多くのスタッフの力が必要になります。そしてレコーディングがあり、CDが出来上がり、宣伝などもあってやっと市場に出回ります。レコード店にCDが置かれるまでにも、数多くの業者の働きがあります。レコード店の店員がいなければCDも買えません。

 しかし、エホバの証人たちにとってみればそんなことはどうでも良いわけです。レコード店に行って、ただお金を払いあとは楽しむだけです。別に、CDが購入できるまでの複雑な流れを理解してほしいというのではありません。ポイントはそのように楽しみを提供してくれる目に見えないたくさんの人たちを、「この世の人々」そして「滅びにいたる人々」だとさげすんでいるところにあります。

 実はエホバの証人たちも、なかなか成果の上がらない「布教活動」やマンネリ化した「集会」で、少々疲れ気味だと考えられます。そんな事情もありますから、彼らにとって「娯楽」はかなり重要な要素になっているはずです。しかし、それら欠かすことの出来ない「娯楽」つまり「生活における調味料」を提供する人たちを「サタンの世の人々」だと見てしまうのです。なんと、彼らは「サタンの世」から提供される「調味料」によっておいしい「料理」を味わっているわけです。暴力団からの賄賂により、おいしい思いをしている警察官と同じだといえないでしょうか?

 もちろん、これは「娯楽」というカテゴリに限ったことではありません。彼らが集会や大会に出席するために使用している自動車。これもエホバの証人ではない多くの人々が汗水流して完成させたものです。 彼らがすんでいる家。これも未信者である設計者や大工たちの手によって出来上がったものです。彼らが身にまとっている服。・・・もうこれ以上、説明しなくてもお分かりでしょう。

 生活必需品のほとんどは、彼ら自身が毛嫌いする「サタンの世」がなければ手に入らないのです。彼らが救おうとしている「滅びる可能性のある人々」が働いてくれなければ、彼らは生きていけないのです。

 さて、彼らはいったい、誰のおかげで豊かな生活を送っていると思っているのでしょう?誰のおかげで「おいしい料理」を味わっていると思っているのでしょう?こういう事情を理解し、自分たちの考え方の矛盾に気づいている信者はどれだけいるでしょうか?

 自分たちだけが救われて楽園で永遠に生きるという考え方を有するのは自由です。しかし、今自分たちはだれの恩恵を受けて生活をしているのか・・・ともっと現実的な見方はできないものでしょうか?「永遠に生きる」という理想を追い求めることを全否定しませんが、この社会で一生懸命生きようと努力している人たちの姿に今一度注目してほしいものです。


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