エホバって「愛のある神」ですか? エホバの証人たちに質問すると、ほとんどの人は「エホバはとても愛のある方です。だから私もエホバを愛しているのです」と答えます。奇妙なほどに彼らの答え方は一致しているのです。 しかし、聖書をよく読むとエホバという神はとても厳しく、短気であることにすぐに気付くはずです。特に、旧約聖書(ヘブライ語聖書)の前半を読む限りでは、エホバが魅力ある神であり、私たちが心から愛せるような方であるとはお世辞にも言えません。 まあ、とはいっても何千年前の記録に過ぎません。どのような解釈を行なってもそれは自由です。ですから、どんなに残虐な神の行動が聖書に記録されていても、現代のエホバの証人やクリスチャンたちは「神は愛」と考えます。外部の人々が、全否定できませんし、「神は愛のない方だ」と証明できない以上仕方ありません。 ところがエホバの証人の場合は一般のクリスチャンと基本的な観点が違います。両者とも「神は愛」だと主張していることに変わりはないのですが、エホバの証人が作り上げた「エホバ」という神のイメージは明らかに「愛」という特性と大きくかけ離れています。では、なぜ信者たちはそのことに気がつかないのかと疑問に思われる方もおられることでしょう。ひとことでは説明できませんが、それは聖書そのものをよく読んでいないこと、聖書以外の出版物の研究に重点を置いていること、さらには組織そのものに利己的な精神が働いていることなどをその理由としてあげることが出来るかもしれません。 では、どうしてエホバは愛のある神とは言えないのでしょうか?具体的に表現するとすれば、エホバはどうして「全宇宙の中でもっとも愛のある方」とは言えないのかということになります。以下に、思い当たる点を幾つか挙げてみます。
果たして、このような神(エホバ)は愛のある方でしょうか?それも「全宇宙でもっとも愛のある方」と言えるでしょうか? 私自身は、このような特性や考えを持つエホバという神を尊敬したり、崇拝することなどとうていできません。ましてや、エホバの証人たちのようにエホバを「愛する」ことなど考えられません。もし、仮に「エホバ」が存在し、まもなくエホバの証人以外がすべて滅ぼされる時が来ようとしても、私は「滅ぼされる側」で結構です。そのような愛のない神の支配する楽園でエホバの証人たちと共に生活したくはありません。 |