なぜ教義がコロコロ変わるの?


 エホバの証人はこれまで多くの教義をコロコロ変えてきたのは事実です。

 例えば、「終わりが来る」という預言を繰り返し行なってきました。預言といえば彼らは反論してくるでしょう。では、そう「解釈してきた」というところでしょうか。今では「終わりの日」のスタートの年と考えている「1914年」も、当時はなんとこの世の終わりが来る年と解釈されていました。それからも、1925年、1975年など具体的な年を挙げてきました。しかし、一度もそれらの解釈がそのとおり実現したことはもちろんありません。そして、「1914年の出来事を見た人の世代が終わる前にハルマゲドンが生じる」という教理も約5年程前に撤廃されたのです。

 ですから、現段階では「終わりはまもなく来る」という信念があるにとどまっています。ただ、以前のようにはっきりとした期限がないために多くのエホバの証人にとっては「終わり」がなんとなくぼんやりしてきたのではないでしょうか。そのためか、終わりが差し迫っているというのに結婚する若い証人たちが増えてきたように思います。

 彼らはこれほど教理がたびたび変わってしまった失態があるにもかかわらずどうして自分たちの組織のおかしさに気が付かないのでしょうか。それは、聖書の真理は徐々に明らかになっていると信じているからです。だから、聖書に関する解釈が変更になっても、矛盾を感じるのではなくむしろ新たに理解が増し加わったことを喜ぼうとするのです。

 しかし、徐々に明らかになるとはこういうことではないでしょうか。遠くの空に何か円い物体が浮かんでいるのが見えます。分かっているのは「円い」ということだけ。より近づくと、同じ物体が近い空間に浮かんでいることが分かってきました。つまりその「数」が把握できたのです。さらに近づくと、それがカラフルな色をしていることも分かってきました。色も理解できるようになりました。そして核心に近づきます。なんとそれはオープンしたばかりの大型スーパーの宣伝用アドバルーンだったのです。徐々に明らかになるとはこういうことでしょう。

 ところがエホバの証人の場合はまったく事情が異なります。はじめ「円い」と言っていたものが次には「四角」になり、また「円く」なったりするのです。たとえば、ローマ13章冒頭で登場する「上位の権威」。これは当初「人間の政府」であると解釈していましたが、後に「神やキリスト」であると変わりました。これで固定されればまだ納得はできます。しかし、またもやそれが「人間の政府」であるという解釈に戻ってしまったのです。何のために途中に全く違う解釈が生まれたのでしょうか。それが神のご意志だとでも言うのでしょうか。どんな意図があったのでしょう。私の頭では理解できません。それは、神の導きなど少しもなく、人間の勝手な解釈だったからだとしか思えません。

 しかし、もしエホバの証人たちの主張している理屈がまかり通るのであれば、次のことに彼らは反論はできません。つまり、今彼らが解釈している聖書の真理も将来には十分変わることがあり得るということです。輸血が全面解禁になることや排斥者とも自由に交流できることが実現することも考えられるわけです。1914年に終わりの日が始まったとする解釈やエホバの証人だけが真の宗教であり救われるグループだとする教義も変更になるかもしれません。彼らの教理はそれほど大幅に変わってしまう可能性を秘めたものなのです。不確かといえば不確だと言えるでしょう。果たしてそれを「真理」だと言えるでしょうか。

 このような教義がコロコロ変わっていることは彼らに有利に働いていることは決してありません。組織内にとどまる忠実な信者は何も感じないかもしれませんが、外部の人々にとっては「あれ?」ということになるはずです。特に情報化社会になり、インターネットによってエホバの証人組織がこれまで多くの預言をはずし(解釈を変え)てきたことはますます明らかになってきます。そのような事実を知ってから、エホバの証人が「神の導かれる唯一の組織」だと思い入信する人はほとんどいないでしょう。大方の人は「あやしい宗教」だと思います。たとえ、個人個人がとても良い人ばかりだとしてもです。つまり、教義の度重なる変更という歴史はエホバの証人組織から一般人々を遠ざけているのです。

 では、なぜエホバ神は多くの人を救うという目的を持っていながら、ご自分の導くただひとつの組織をわざわざ不利な状況に置かれるようにされたのでしょうか。はじめから、預言は外れないように導いてこられたら、これほどあやしまれずにすんだはずです。解釈が行ったり来たりするような、いかにも外部の人々が懐疑的になる要素がこれほどなければ、より多くの人が組織に導かれ救いの道を歩み始めたのではないでしょうか。はっきり言って、これまでのエホバの証人の教義上の歴史は、神に導かれたただひとつの組織という肩書きにしてはあまりにも不利な証拠です。神が導かれていたと仮定したのなら、なんともずさんだとしか言いようがありません。というわけで結論は次の二点に絞られることになります。

・エホバと言う神は多くの人を救いたいという考えを持っていない。
・エホバの証人は神の導きを受けた唯一の組織ではない。

 さて皆さんはどう考えられますか。


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