祈りをした人に栄光を帰するのですか?


 大会終了の祈り直後の現象です。普通、祈ることに対して賛辞や栄光は与えるべきではないというのが、エホバの証人の中でも浸透している考え方だと思います。1世紀、パリサイ人が目立つ形で祈っていたことも「ふさわしくない」こととして、たしかに彼らは否定しているはず。

 にもかかわらず、大会結びの祈りを行なった兄弟に対して拍手が送られるのはなぜでしょうか?ある人は「あれは今日のプログラムに対する感謝の拍手なんだ」と説明します。では、なぜその兄弟がステージから見えなくなった時点で拍手が止んでしまうのでしょうか?部外者からすれば、あの現象は明らかに祈りをした兄弟に対する拍手とうつるはずです。

 これも「群集心理」の影響でしょうか?本来は「祈り」という行為に対して拍手を送り、栄光を帰するのはおかしいはずです。では、なぜこんないっけん矛盾した現象が生じているのでしょうか?

 大会の最後の話ともなると、地域監督や特別に招待されたエリートがそれを扱います。しかし、困ったことに多くの場合、彼らはそのまま結びの祈りをしてしまいます。そうるすと、聴衆としては「お話そのもの」に対する感謝の拍手をできないまま、祈りに突入してしまうことになります。では、その拍手はどこにいってしまうか・・・。それが、祈り直後にスライドしてしまうことになります。これが、大会結びの祈り直後の拍手という、異様な現象を定着させた原因のひとつだと考えます。

 まあ、大会最後の話を扱った兄弟がそのまま祈りまで行なったために、祈り直後に拍手が生じているのであれば、つじつまは合います。では、祈りの時だけまったく別の兄弟が登場してきた場合はどうでしょうか?しかし、驚いたことにこの場合も拍手が生じるのです。これは明らかにおかしいはず。いったい、どんな意味があるのでしょうか?

 興味があるのは、信者たちはどんな感情のもと拍手をしているかということです。祈りを行なった兄弟に対しての拍手ととらえているのか。それとも、大会そのものに対する感謝が込められているのか。はたまた、ただお決まりの行為としての拍手なのか。調査してみると、驚く結果になるのかもしれません。

 とにかく、異様な雰囲気に包まれたエホバの証人の大会・・・最後の最後まで異様です。

※ 大会が開催される地域によって、この現象があてはまらないかもしれないことをご了承ください。


エホバの証人Q&Aホーム