バプテスマーもっと注目してあげたら?


 エホバの証人が開催する大会でのひとコマ。バプテスマの話というものがなされます。浸礼希望者は話が終わり、賛美の歌の後、ぞくぞくとプールに向かいます。聴衆は割れんばかりの拍手で彼らを送り出します。

 このあとすぐに昼食休み。

 そして、バプテスマが実際に聴衆の肉眼で見えるところ、もしくはモニタに映し出される形で開始されます。

 ひとりの希望者のバプテスマが実際に無事終了します。さきほど、沸き起こった以上の拍手が・・・と思うでしょう。しかし・・・

 ・・・シーン・・・

 プールの近辺、またはモニタの近くにいる聴衆(野次馬)によってパラパラと拍手があるくらい。他大勢はモクモクと目の前にある食事をおなかの中に収めています。身体障害者や老人たちがバプテスマを受けることに気付いた時だけ思い出したかのように拍手を行なう程度。薄情なもんです・・・

 これがエホバの証人の実態。形式的に宗教的行動を行なっている証拠でもありますす。もしなんらかのきっかけにより、バプテスマの時も拍手を行なうという習慣が定着すれば、それ以降ずっと行なっていくでしょう。

 彼らにとって、バプテスマが実際に行なわれることよりも、希望者がプールに歩いていくことのほうが素晴らしいことなのでしょうか?赤の他人が救いの証拠としてのバプテスマを受けることよりも、自分と自分の家族のおなかを膨らませることのほうが優先なのでしょうか?

 「他の人の救い」「隣人の救い」といいながら、布教活動を行なっていますが、それもあやしいものです。結局は、自分たちの「救い」が大きな目的だととらえられても仕方ないですね。


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