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愛か美貌か)/(晴れた日は巨大仏を見に

「愛か美貌か」 2004/6/19
中村うさぎ オススメ度:4

五月の末になごや博学本舗さんによって開催された「人は何故美しくなりたいのか」イベントに僕も参加したわけだが、そのイベントのパネリストとして時間差で発表されたのが中村うさぎである。おそらく客寄せパンダ的な扱いにする事を恐れたためだと思われる。本当にビックゲストを用意したものだ。中村うさぎと言えば今や押しも押されぬ人気女流作家であり、エッセイスト。よく来てくれたよなあ。

僕もいくらか読んでいる。つもりだったのだが、よくよく考えてみるとあんまり読んでない。そりゃあ週刊誌の立ち読みとかでざっと読む事はあったけれど、本を買ってしっかり読んだ事は無いなあ。ゴクドー君が記憶に残ってはいるが、中学時代にテキトーに読んだだけだったので、ほぼ覚えてないし。

というわけで買ってみた。失礼にもサインを頂こうかななんて考えたりもして。実際もらってしまったし。一応、新品を買うという最低限の礼儀は果たしたし、まあいっか。

で、本当はイベント前に読むべきだったんだろうけれど、何しろ急な話で間に合わず、結局名古屋→東京の帰りの電車内で読むことになった。が―、止まらない。おもしれーんだよこれ。徹底的に分かりやすく読みやすく、しかも馬鹿に受けるように確信犯的バカっぷりを随所に入れて、読んでる人をひきつける。それに、あまり気付かれないが字ばっかだとそれだけで目をそむける現代人向けに、余白を有効的に利用して疲れさせないような努力がある。さすがジュニア小説界で一世を風靡しただけの事はある。読ませ方を知っている。まあ、勢いに任せて書いている風な感じは否めない(「がーーーん!!」とか「〜だーーーーっっ!」など)んだけどね。

しかし考えてみれば不思議な循環だ。大量に消費して、それを原稿にして、その原稿料で消費して、それを原稿にして・・・その繰り返し。もちろん中村うさぎはエッセイ書く以外にもちゃんと小説を書いたりしてるんだけども、それでもこの循環が彼女を中村うさぎたらしめているように思えてならない。思うに彼女の職業は小説家とかエッセイストじゃなく「中村うさぎ」ではないのだろうか。小説書いたりエッセイ書いたり、買い物したりホストクラブに出入りしたり、整形したり・・・こういった破天荒な生き方そのものが彼女の売り物であり、商売道具であり、経費のような気がするのだ。少なくとも彼女の仕事(小説とかテレビ・ラジオ出演とか)に接する時、我々は彼女の破天荒な生き方を頭に入れずしてそれを見たり読んだりする事ができない。

「パフォーマーとしての中村うさぎ」を、何処まで本人が自覚してるのか、してないのか、しないようにしてるのか、僕には分からない。ただ、周りの見る目がそういった目になっている事は間違いないんじゃなかろうか。


〜例の如く〜
「晴れた日は巨大仏を見に」 2004/7/7
宮田珠己 オススメ度:5

僕は今まで知らなかったのだが、日本には奈良の大仏どころかウルトラマンよりも巨大な大仏、観音像などが10体以上も存在するらしい。この本は、そんな体長40メートル以上の大仏を見に日本全国を旅したちょっと気の抜けまくった旅行記である。

毎日新聞の書評で知ったのだが、本屋に立ち寄ってチラッと見たところ、そのあまりにもステキなカバーに一目ぼれし、即買いした。いわゆる「ジャケ買い」というやつである。というかこれは一種の感動というか異界体験であり、もうその表紙を見た時点で内容なんかどうでもいいくらいの投げやりなパワーを頂いたわけである。ああもう、だいすき。

実際、内容もどこかのほほんとしている。そりゃそうだ。訪れている先がなんか違和感のある巨大仏のある風景なのである。信仰の旅ではない。さらにそういった企画のぬるさに付け加えて、宮田珠己氏独特ののらりくらりとした文体が拍車をかける。もう、全編脱力しまくりである。

本編では、大仏旅行記の他にその周辺の気になるスポット探訪や、その場所に必然性無く大仏がある「マヌ景」に何故自分が惹かれてしまうのかについて、坂口安吾などを引きながら考察を加えている。みうらじゅん氏に代表される気の抜けたものに対する愛情を注ぐブームが、何故起こっているのか、あるひとつの答えを導き出している。

さて、宮田氏同様、当然僕もこの違和感のある風景を堪能したくなった。というわけで、例の如く実際に行ってきました。場所は現居住地から最も近い茨城県牛久市の牛久大仏である。この大仏は世界最大の120メートル(!)あるということで、気分の一端を味わうだけならちょうどいいだろうとも思ったからだ。

買ったばかりのマイカーで常磐道をぶっ飛ばし、谷田部ICで降りて地図を見ながら大仏に向う。時間は午前六時。早起きだなあ、と一瞬でも思ったあなた、大丈夫、単純に起きっ放しなだけです。昼夜逆転してますので。

所謂「地方」という色を前面に出したような田んぼ道やごちゃごちゃした道を、大仏を探しながらという超危険なわき見運転ですり抜けていく。ホント、運動神経無いから危ないのだが、一番最初に現れた「出た」という瞬間の感動を大事にしたいタイプというかそれが一番大事な旅なのでその辺は仕方ないのである。近付くにつれてようやく増えてきた案内看板を頼りに車を進めていく。ちなみに全て民間の看板で、公共の看板は一つもない。宮田氏が本編内で考察を加えているが、常識を逸脱した大きさは信仰の対象にはならないようなのである。

で、きょろきょろしながら車を走らせていると、出た。でけえ。これか。見逃すわけねえやこりゃ。遠くから見て突然現れた巨大な仏像。付近の森を見下すかのごとく屹立する巨大仏。ていうかマジすかこれ。作った奴アホじゃねえの。でかすぎるんですけど。

どんどん近付いていって足元まで到達すると、改めてそのでかさがわかる。つーか、違和感がありすぎる。オイそこのオッサン、平然とした顔で車乗ってる場合じゃないぜ、目の前に怪物がいるんだよ、怪物が。このデカ物を前にして日常生活とは、全く、慣れとは恐ろしい。

本当は足元まで行ってみたかったのだが、何せ午前7時半、営業時間外という事であきらめた。開園の9時半まで待つことも一瞬考えたが、外見さえ見られれば中身なんかどうでもいいので、帰る事にした。わざわざ三郷から牛久まで来といてとっととUターン。このあほらしさがいいのである。多分。

ところでどうやらこの牛久大仏、深田京子主演映画「下妻物語」にも登場するそうである。結構効果的に使われるそうで、何だかこの本の発売もちょうどいい時期に発売になったなあと勝手に思うわけであるけれども、映画のついでではなく、ぜひご一読を。アホです。

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