「〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜♪」
 鼻歌と共に、私の前足の戒めが解かれる。
「〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜♪」
 鼻歌と共に、後ろ足の縛鎖が解き放たれた。
「〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜♪」
 前のかごに、どさりと小さなバッグが入れられる。
「〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜♪」
 私の背に、すとんと、頼りない重みがのしかかる。
「〜〜♪ 〜〜♪ 〜〜〜♪」
 私の腕に、スニーカーを履いた白く細い足が添えられる。
「出発、しんこ〜う♪」
 陽気な掛け声と共に踏みしめられる足。
 それに従い、私はお嬢を乗せて走り始めた。





さいくりんぐ






 私の名はヒロ。自転車である。
 今現在私をこいでいる彼女は、高瀬弘美。私の持ち主だ。私は『お嬢』と呼んでいる。
 お嬢は上機嫌で私をこいでいる。喜色満面、鼻歌など歌いながら。
 それもわかる気がする。なんといっても、今日はしばらく会っていなかった彼とのデートなのだから。
 もっとも、お嬢にデートという認識があるかどうかは定かではない。お嬢はまだ14歳。精神年齢も、一般よりわりかし低めな気がする。まぁ、まだ幼馴染の男の子とサイクリングといった感覚なのだろうが。
 それでもやはり、嬉しいものは嬉しいのだろう。彼とはかれこれ二週間は会っていないのだし。
 お嬢がブレーキを引き、私から降りる。彼の家に着いたのだ。といっても、お嬢の家から100メートルも離れてはいないわけだが。
「みっちゃ〜ん!」
 大声で、お嬢が叫ぶ。インターホンを押せばいいのに、なぜかお嬢はいつもこうする。
 お嬢の目の前の家から、なんだかどたばたと足音が聞こえる。
「ほ〜ら、みっちゃ〜ん。愛しのお姫様がお迎えに参ってますよ〜」
「うっせーな、姉貴! 変なこと言ってんじゃねぇよ!」
「あらぁ? いいのかな、お姉さんにそんな口聞いて? ベッドの下に隠してるものをご近所にばら撒いちゃうわよ?」
「な!? どうしてそれを!?」
「あら、本当にそこにあったんだ。オーソドックスな隠し場所ね。んじゃ、場所もわかったことだし、ばら撒いといてあげるわ」
「や、やめろ、ばか!」
「『おやめください、お姉さま』だろう?」
「……お、おやめください、お姉さま」
「よし」
 …………相変わらずのようだな、道弘くんに恭子さん。
 私は家の中から聞こえる会話に苦笑したが、お嬢には聞こえていないようで、笑顔を保って彼を待っている。
 ばん、と玄関のドアが開いた。そこには、顔を真っ赤にした少年が一人。
 彼の名は相田道弘。15歳。お嬢の幼馴染である。白いTシャツに青のジーパンというなんのひねりもない服装だが、刈り上げの硬い髪の毛とよく似合っている。
 実は彼の名は、私の名の由来でもある。道弘と弘美。二人ともひろがつくから、私の名前も『ヒロ』。安直と言えなくもないが、お嬢と同じ名前というのは嬉しい。
「おはよう、みっちゃん!」
 そのお嬢は、すでに満面だった笑顔をさらに深くして、道弘くんに語り掛けた。
「…………」
 道弘くんは無言。大股にお嬢に近付いてきて――――

 ごん!

 お嬢の頭に拳骨をかました。
「……みっちゃん、痛い」
 頭を押さえながら、涙目でお嬢が抗議する。
「インターホン鳴らせって、いつも言ってるだろ」
 謝りもせず、道弘くんはそう言う。
「だってぇ」
「だってじゃない」
 無碍に切り返されて落ち込むお嬢。そんな二人のやり取りを、私はほほえましく思った。
 最初はお嬢に対してつっけんどんな道弘くんにえらく憤慨したものだが、こうも何回も繰り返されては、これが道弘くんの照れ隠しなのだといやでも気づく。……お嬢は気づかないが。
「あと、『みっちゃん』言うな」
「え〜。だって、みっちゃんはみっちゃんじゃない。幼稚園のころから、二人いっしょでみっちゃんズとか、二人そろってザ・ヒーローとか、イタ」
 再びゲンコを食らうお嬢。無理もない。道弘くんはそのユニット名を嫌っているからな。……ユニット名、なんて言うと漫才コンビみたいだな。
 涙目で見つめるお嬢を無視して、道弘くんは自分の自転車を持ってきた。私のようなママチャリと違い、21段変速の、バリバリのマウンテンバイクだ。身体の色は黒。ちなみに、私はピンクだ。実を言うとちょっと恥ずかしかったりする。
 その自転車の名前はミチコ。これまた、お嬢がつけた。というより、お嬢しかそう呼ばない。名前の由来は、この自転車が道弘の姉・恭子さんからのお下がりだからだ。恭子さんの子と、道弘くんの道で、ミチコだ。
「んじゃ、行くか」
「うん! 恭子お姉さん、行ってきます!」
 玄関前まで来ていた恭子さんに向かい、お嬢は手を振る。
「おーう、行ってこーい」
 笑顔で手を降り返したあと、恭子さんは道弘くんに、
「襲うなよ?」
「するか!」
 ……うん。やっぱり、相変わらずだ。
 そして道弘くんは、逃げるように自転車を漕ぎ出して。
「ああ。待ってよ、みっちゃ〜ん」
 私とお嬢は、急いで後を追うのだった。





 我々自転車は風に乗る。バイクのように風を切るのではない。飽くまで、乗るのだ。  風に乗り、周りの心地よさを噛み締めながら、私たちは進むのだ。
 今日は、少し離れたところにある湖まで行くことになっている。湖といっても、小さなものだが。
 ぎらつく陽光に、草木が明るく輝く。空の蒼に雲の白がとても映えて見える。そんな快晴。
 その下を、お嬢と道弘くんは、私とミチコ姐さんに乗って颯爽と進んでいく。その行程にうっすらと汗を掻いているが、風の心地よさが不快感を打ち消している。
 お嬢は必死に道弘くんに遅れまいとする。道弘くんはさりげなくペースを落とし、お嬢がばてないよう気を配っている。そんな二人のやり取りは、お嬢は気づかないが、いつものことだ。
 風が吹き、田んぼの稲が揺れる。緑が波打った。「きれい」とお嬢が言った。とても楽しそうで、とても嬉しそうだ。
 思わず、私はくすりと笑った。
『楽しそうだねぇ。嬢ちゃんは』
 ミチコ姐さんも、同じ想いだったようだ。
『ええ。なんと言っても、二週間ぶりだからね、道弘くんと会うのは』
 走りながら、私はミチコ姐さんに応える。
『私としては、もっと頻繁に会ってほしいのだけど』
『それは仕方ないさね。模試とかいうので勉強しなきゃならなかったんだから。坊や、がんばってるんだよ』
『判るけど、でもそれでお嬢をないがしろにしてほしくはないな。この二週間、お嬢はあまり元気がなかった』
『それも仕方ない。坊やは受験生だから、これからも会う機会は減るだろうさ』
 それは私にとって驚愕だった。二週間会わないだけでも落ち込んでいたのに、さらに会えなくなるとは。
『それではお嬢がかわいそうだ』
 私は思わす呟いていた。それに対して、ミチコ姐さんの反応は予想外のものだった。
『かわいそうなもんかい。坊やがいい高校に行こうと必死になって勉強してるのは、ひとえに嬢ちゃんのためなんだからね』
『それ、どういうこと?』
『勉強もろくに出来ない男じゃ、嬢ちゃんにはつりあわないって思ってるんだよ、坊やは』
 いやな予感がした。道弘くんは、そんなことを気にするタイプではないはずだ。それは、もしかせずとも――
『ご察しのとおり。恭子お嬢さんが炊きつけたのさ』
 やっぱり。
『でも、間違っちゃいない。どうせ嬢ちゃんは、坊やの行く高校に進む気だろう。だったら、嬢ちゃんを柄の悪い高校に行かせたくなけりゃ、坊やがいい高校に行くしかないのさ』
 確かにそうだ。もう14歳になるくせに、お嬢の行動基準は「みっちゃんと一緒」が第1位を占めている。
『しかし、先を見るあまり今をないがしろにするのは、どうかと思うがね』
『今に満足しきって先のために出来ることをやらないのも、どうかと思うがね』
 にべもない。
『ま、どっちもどっちだよ。なるようにしかならないさ』
 そして姐さんは、この話題を打ち切った。
 それと同時に、私は止まる。目的の湖に着いたのだ。
 お嬢は私から降り、その湖を見下ろした。
「うわぁ、きれぇ」
 あまり大きくはない湖。周辺を遊歩道が通っており、あまり人気もなく、散歩などにはもってこいだと思う。
 水も澄んでいる。飽くまで、近所の川と比較してというレベルだが。それでもお嬢にとってはきれいであり、感動に値するのだろう。
「歩くか」
「うん!」
 道弘くんとお嬢は、連れ立って歩き始めた。もちろん、私たちは置き去りだ。
 二人は階段を降り、遊歩道に出た。ゆっくりと、湖を眺めながら歩を進めている。道弘くんは黙って。お嬢ははしゃぎながら。
 これが二人のスタイルだ。お嬢ははしゃぎすぎるほどにはしゃぎ、道弘くんは寡黙過ぎるほどに寡黙。足して2で割ればちょうどいいんじゃないかと、よく思う。
 ただ、二人とも互いを無下にしているわけでは、もちろんない。なにかにつけて「みっちゃん、みっちゃん」のお嬢は言わずもがなだが、道弘くんも、言葉こそ少ないが、ちゃんとお嬢の声に反応している。
「みっちゃん、みっちゃん。お魚!」
「そうだな」
「あの魚、なんていうの? みっちゃん、確か釣りやってたよね?」
「最近ご無沙汰だけどな。あれは、へらぶなかな? 釣堀でもやってんのかな、ここ?」


「みっちゃん、みっちゃん。ほら、鳥の巣!」
「ほんとだ」
「あれ、なんの鳥?」
「さぁ。知らね」
「えー?」
「えーって、そもそもどんな鳥かここからじゃ見えねぇって」


「みっちゃん、みっちゃん。楠!」
「たしかに」
「おっきいねぇ」
「樹齢も百年超えてんだろうな」
「おじいさんだね」
「まだ中年ってとこじゃないのか?」


 丘の上から二人を眺めながら、私たちはくすりと笑った。
『まったく。変わらないねぇ、あの二人は』
『ほんとうに』
 本当に、変わらない。お嬢は小さいころから「みっちゃん、みっちゃん」。道弘くんは疎ましそうにしながらも、決して邪険にはしない。
『嬢ちゃんはいつも坊やを追いかけてた。坊やは意地悪で、すぐに嬢ちゃんを置いてどこかに消えたよ。嬢ちゃんは坊やを探して、でも見つからなくて。終いには泣き出して。
 あの時もそうだった。坊やが恭子お嬢さんから私をもらって。そのころ、嬢ちゃんは自転車に乗れなくて。泣きながら追いかけて、追いつけなくて、迷子になって。
 坊やはびっくりしてたね。家に帰ったら、嬢ちゃんがまだ戻ってきてないんだもの。
 驚いて、必死になって探して、そして見つけた。嬢ちゃん、泣きながら笑って、「みっちゃん見つけた!」って抱き着いたっけ』
 ミチコ姐さんが、めったにしない昔話を語る。それは私がお嬢に買われる前の、私の知らないお嬢の物語だった。
『家に帰るころには日が沈んでて、二人ともそりゃこっぴどく叱られたもんさ。
 それからすぐに、嬢ちゃんは自転車を買った。ピンクのかわいらしいフレームの、かご付自転車だ』
 私だ。
『嬢ちゃんは飲み込みが遅くてね。何度も転んだ。何度も泣いた。あたしゃ、見てられなかったよ』
『よく覚えてるよ』
 よく覚えてる。売れて、ようやく思い切り走れると思ったら、乗り手はこけてばっかりで、私の身体にいくつもの擦り傷を創った。つい、『この下手糞』とお嬢を罵倒したっけ。
『よく覚えてる。姐さんに、『あんたがうまく倒れてやらないからだろ!』って怒鳴られたよ』
『あんたは怒鳴り返したね。『オレを乗りこなさないのが悪いんだ!』って』
 言った言った。思えば私も若かった。
『そしたら姐さんが激怒したよなぁ。『初めてだから下手で当たり前だ。うまく乗れるようにお前が導いてやんなきゃダメだろうが、このクソガキ! クズ鉄! クズクズクズクズクズ不良品!!』とまぁ、罵詈雑言浴びせてくれたよ』
『…………そんなこと言ったっけ?』
『言ったよ。よく覚えてる』
 その言葉に、私も怒った。『オレは不良品じゃねぇ』って怒鳴ったんだ。
『『不良品でないなら、嬢ちゃん乗せて走れるようになってみろ』って。あとはもう売り言葉に買い言葉。イライラしながら、お嬢の特訓に付き合ったものだよ』
『そういや、そんなこともあったかねぇ』
 まったく。都合の悪いときだけボケた振りをする。まだそんな年じゃあるまいに。
『感謝してるよ。おかげで、お嬢が私に乗れるようになった』
 あのときのお嬢との一体感は、今も忘れられない。
 そして、あのときのお嬢の笑顔。
「みっちゃん! みっちゃんホラ乗れた! ホラホラ見て乗れた乗れた!」
 その笑顔はとても美しく、とても愛らしく、私は一瞬で虜になったのだった。
 それが、6年前のこと。
『あれからもう、6年か』
『月日が経つのは、早いもんだねぇ。
 あんなに小さかった坊やが、今じゃサドルを目いっぱい上げても足りないよ』
『私も、かなり上まで上げてるよ。お嬢も大きくなった』
 眼下では、お嬢が釣堀に入ろうと道弘くんにせがみ、道弘くんは冷や汗をかいて財布の中とにらめっこしている。結局道弘くんが折れ、受付にて2本の竿を受け取った。
『おやおや。貯めてた小遣いが一瞬にしてパァになっちまったねぇ』
『お嬢も、自分の分くらい払えばいいのに』
『いやいや。そこを奢るのが男の見せ所ってもんさね。女は黙って奢られなきゃいけないよ』
『そういうもんなのか?』
『そういうもんだよ』
 ふむ。そういうものなのか。
『以前は、飴玉一つ奢る奢らないで喧嘩してたねぇ』
『ああ、そういえばあったあった。結局お嬢が大泣きして、道弘くんが折れたっけ』
 お嬢の涙は、道弘くんを無条件降伏させる、最強の切り札だ。
『今じゃ、二人はどう思ってるか知らないけど、端から見れば立派なデートだよ』
 お嬢の竿が、ぴくりと揺れる。お嬢はすぐさま竿を引き上げたが、糸の先に魚はいなかった。
 悔しがるお嬢に、道弘くんが二言三言助言する。それを聞いた後、自信満万にお嬢は糸を垂らす。
 しかし、やはり釣れない。再び、道弘くんの助言を受ける。
 そんな光景を、2度3度。3度4度。繰り返す。
 しかし、魚はまだ釣れない。
『相変わらず、嬢ちゃんは飲み込み悪いねぇ』
『道弘くんにも面倒をかけるな』
『なに、構うこたない。坊やが好きでやってることさ』
『そうかな?』
『そうだよ』
『そうか』
『そうさ』
 何十回目かのトライで、お嬢はようやく一匹釣り上げた。
「わ! わ! 釣れた釣れた! みっちゃん見て見て釣れたよ!」
 歓声がここまで聞こえてくる。よほど嬉しいのだろう、その場でぴょんぴょん飛び跳ねてすらいる。
 道弘くんに誉められて、お嬢は喜色満面で頷いていた。
 私も、我が事のように嬉しかった。
 日が傾くまでいたが、お嬢の釣果は結局その一匹きりだった。道弘くんは3匹釣った。
 釣り上げた魚を湖に放し、竿を受付に返し、二人は私たちの元に戻ってきた。
「それじゃ、帰るか」
「うん!」
 二人は私たちに乗り、笑顔で帰路に着いた。





 道弘くんと別れて。ミチコ姐さんと別れて。お嬢と私は帰宅した。
 お嬢がサドルから降りる。心地よい重みが消えてなくなった。
 お嬢が後輪のカギをかける。私の後ろ足は、これで自由には動かなくなった。
 お嬢が前輪をロックする。私の前足は、これで自由を失った。
 最後にかごからバッグを取り出して、
「ヒロくん、今日はご苦労様。明日もよろしくね」
 私にねぎらいの言葉をかけてくれ、
「ただいまぁ」
 屋内へと、入っていった。
 今日の任務は、これでお終い。
 明日の朝、お嬢を学校へと送り届けるまで、私はこの状態のままだ。つまり、明日の朝まで、私はすることがない。
 することがないから、私は眠ることにした。明日はお嬢は朝練で早い。多分寝坊するだろうから、1秒でも早く着くよう、私も力を蓄えておかなければ。
 そうして私は、今日のことを思い出す。
 ミチコ姐さんとの会話。道弘くんの声。恭子さんの声。お嬢の声。お嬢の笑顔。お嬢の言葉。お嬢の仕草。
 それらを忘れずに留めて、反芻して、思い描いて。
 私は、明日の朝を楽しみにしながら、眠りについた。




後書き  





 次話へ  戻る 
 SSトップへ  トップへ