じ〜っ、と音が聞こえる気がするほどのその視線に、私は正直辟易していた。
 視線の主は私を手に持つ少年。先ほどから、一心不乱に私を凝視している。
 まったく、愚かなことだ。いくら見つめようとも、私の右上に描かれた数字が変わるわけでもないのに。
 私が戻ってきたとき、少年はぴしりと固まった。文字通り、動きを止めたのだ。その表情はまさしく絶望といえるものであり、私は少年を哀れに思ったものだ。
 最も、勉強していなかった彼が悪いのだから、自業自得だが。
 それにしてもあきらめが悪い。穴が開くほど見つめ、採点ミスがないことに嘆息し、それでもなお見つめつづけている。
 それでも右上隅の数字は変わらない。相変わらず、私の体は赤い丸よりもばつのほうが多い。
 少年は幾度目かの嘆息をし、

「びりならまだ、諦めもつくのにな」

 と嘆き、

「やぁ、空が蒼いや」

 と現実逃避を始めた。
 ドナドナを歌いながら歩くこと約10分。下校の途中にある高台に寄った少年は、おもむろに私を折り曲げた。――縦に。

「紙飛行機、飛んだ♪」

 ……待て。少年よ、その歌はなんだ?
 何故に、てきぱきと私の体で折り紙をしているのだ?

「青い空へ飛ん〜だ〜♪」

 ああ、そうだな。確かにこんな高いところから飛ばせば紙飛行機といえどもよく飛ぶだろう。地上まで距離もあるし、うまく風に乗ればそれこそ眼下の川を越えることもたやすい。齢15の筋骨隆々な男が歌いながら折り紙をするというのはそこはかとなく気持ち悪くはあるが、なに、いつまでも幼く純粋な心を忘れていないという証明だ。
 うむ、OKだ。私は君のすばらしさを認め、そして称えようではないか。きっとこの世に私だけだぞ? 今の君に賞賛を与える存在は。それはとてもとても貴重で、君も失いたくはないだろう。そう、私達は分かり合えるのだ。言葉も種族も何もかもの垣根を越え、きっといつの日にか『心友』と呼べるほどの中になるに違いない! そう、君に待っているのは薔薇色の未来だ!
 だから私を飛ばすのはよしたほうがいいと思うんだがね少年よ!

「無限の彼方へ、さぁ、逝こう!」

 ……やりやがった。
 私の必死の懇願空しく、少年は私の身を中空へと躍らせた。不本意ながらも翼を得た私の体は、ふわりと浮き、風に乗って進み始める。このままいけば、見事に川の流れに不時着コースだ。――ええい、ちくしょう。得意げにガッツポーズなんか決めやがって、あのガキめ。
 しかしながら、世の中そううまくはいかない。吹いていた風が突如止み、あのままいけば川の中へダイブしていた私は、その手前の道路へと急速落下した。

「げ」

 崖の上で、少年がうめく。

「げげ!」

 さらに、すぐそばを通っていた少女が、私を拾い上げた。おもむろに、私を広げる少女。上の少年は脂汗を流している。
 ざまぁみろ。私を捨てた報いだ。
 少女は私を見つめ、私の右上の数字を見た。そして、視線を上に上げる。少年と、瞳が交錯した。
 再び少女は私に視線を戻す。今度はじっくりと私を凝視する。丸がいくつあるか、どんな場所にばつがあるか。それを一つ一つ吟味していって、それが終わるともう一度右上隅の数字を見て、少年を見上げる。
 またもや視線を下ろし、私の右上を見つめ、それから少年を見上げ、

「みっちゃ〜ん! 答案用紙落としたよ〜! ピー点の〜!」

 満面の笑みと共に、大声でそうのたまった。
 そして、そんな心の底からの親切心と笑顔と無自覚な死刑執行宣言を受けた少年はといえば、

「ちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 叫びながら、逃げた。その速さはまさしく脱兎。カール・ルイスも真っ青だ。ちらりと見えた顔からは、なにやら透明な雫が撒き散らされてきらきらと陽光に輝いていた。――哀れだ。

「はれ? みっちゃん、待ってよ〜! 忘れてるよ、答案用紙! ピー点のやつ〜!!」
「うわあ〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」

 さらに追い討ちをかける少女。自業自得とはいえ、その姿に激しく同情を禁じえないのは人として正しい反応だろう。――いや、私はヒトではないのだが。

「もう。みっちゃん、どうしたのかな?」

 本来の持ち主の手を離れた私を丁寧にたたんで制服のポケットに入れた後、少女は不思議な顔をしながら歩き出した。
 無自覚という名の残酷の恐ろしさを、私はその身に刻ませたのだった。








◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆







 ――――と、そこで終わっていれば、それは『夕焼けに 虚しく響く 負け犬の遠吠え(字余り)』で済ませられていたのだが。
 何を考えたかこの少女、わざわざ少年の家まで私を運んできていたりする。

「道弘。これはなんだ?」
「なんだよ、姉貴――げ! そ、それは!?」

 対峙する姉弟。その時点で勝敗がわかりきっている戦いだ。少年に不幸あれと、私は祈った。……捨てられた恨みは根深いのだよ、君。

「さっき弘美ちゃんが持ってきてくれたんだよ。いや〜、いい娘だねぇ、ホントに。『みっちゃんが落としていったんです。きっと困ってるだろうから、渡してあげてください』だってさ。自分で手渡したかったけど、習い事があってダメなんだってよ。健気だね〜」

 涙ながらに語る姉上。その口元が愉快そうに笑っているあたり、かなり面白がっているに違いない。対して、少年は顔面蒼白だ。

「さて。姉としては、これを持ち主である弟に返すか、それとも保護者である母御どのに手渡すか、悩むところなのだが」
「じょ、条件は?」

 冷や汗、脂汗、ともかく嫌な汗ダラダラで尋ねる少年。それは事実上の敗北宣言で、こうもあっさり宣言するあたり、彼は姉に頭が上がらないのだろう。
 最もそうでなくとも、私を人質に取られれば他に選択肢はないだろうが。

「いや〜、それがさ、この週末に隣街まで買い物に出かけようと思っていたところなんだよ。色々と買いたいものがあってさ。女のショッピングって時間もかかるし量も多いのよね、女手一つではとても持ちきれないのよ。父さんに車出してもらってもいいんだけど、久しぶりに得たせっかくの休みを潰させたくないじゃない? かといって友達はみんな予定入ってて付き合ってくれるやつがいないし、私、すっごく困ってるのよねぇ」

 溜息をつく姉。実に。いやさ、実にわざとらしい。

「――わかったよ。荷物持ってやればいいんだろう?」
「持って『やる』?」
「お姉さま! ぜひともこの私めに貴方の荷物持ちの役を負わせて下さいませ!!」

 ――いやぁ。なんて力関係が如実にわかる会話だろう。

「よし、任せた! 報酬はこの紙切れじゃ!」
「ははぁ!」

 深々とお辞儀をして私を受け取る少年。卑屈だ。






◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆








 そしてようやく私を取り返した少年は、
 脱兎の如く自分の部屋に駆け戻り、
 私をくしゃくしゃに丸めてごみ箱に投げ入れ、
 窓を開いて身を乗り出し、

「どちくしょぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 腹の底から、私を届けてくれた親切な少女に向かって憤懣やるかたない叫びをあげていた。
 まぁ、なんだ。少年よ。――強く生きたまえ。

 ごみ箱の中で、私は少年にそう語り掛けるのだった。








◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆









    追記

 週末のショッピングは姉的にかなり充実していたらしく、姉は満足げに帰ってきた。
 弟的にはかなりつらかったらしく、少年は疲労困憊となって帰ってきた。
 これもまた、自業自得。








◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆









  追記2

 ごみ箱に安易に捨てていたため、掃除しに来た母親に結局ばれて、少年はこっぴどく叱られる羽目となった。
 バカとしか言いようがない。
 それもまた、自業自得。








◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆








ちゃんちゃん♪





後書き  





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