
愛のコトバ
マイは僕が言うのも何だけどかわいいと思う。どこに行くにも隣に寄り添ってきて、袖口を軽く掴んでくる。ロングでややメッシュの入ったさらさらの髪が首元に触れると、思わず頭をぎゅっと引き寄せたくなる。すると、マイは僕の考えていることが分かるのか、頭をすりすりしてくるんだ。
そんな仲のいい僕達だけど、マイは少し不満があると言う。僕が愛のコトバをかけてくれないのだそうだ。「言わなくても態度で分かるだろう」と思うが、彼女にしてみれば不安らしい。
ある時、彼女がこんなことを言った。
「ねえ、ゆうちゃん。マイのこと好き?」
当たり前と思いながら「うん」と答えたが、「それだけ?」と言われた。そしてそれ以降無口になってしまった。別に喧嘩とまではいかないけど、どこかギクシャクしてしまい、そのまま数日が過ぎようとしている。
日本人は、よく愛の気持ちを表に出すのが苦手だと言われる。以心伝心という言葉もあるように、態度や雰囲気から気持ちを察して欲しいと思っている。僕もそうだった。だいたいにして、キザっぽいじゃないか。でも、マイが望むなら貧相な頭脳を振り絞って考えてみよう。
「好きだよ、マイ」
どうもありきたりだ。
「いつも可愛いね、マイ」
そんなの言わなくても分かってる。
「君がいないと寂しくてたまらない」
お前は何者だ。
どうもしっくりこなかった。自分にこんなセリフは似合わないのではないか。普段しないことをすると、ろくなことにはならないかもしれない。とりあえず仲直りだけはしないといけないので、マイに電話をかけた。
「マイ、俺だけど今日会える?」
こう言うと絶対に彼女は断れない。少し反則技かな。それにしてもマイに会えないことがこんなに辛い事だとは思わなかった。何時の間にかいっしょにいるのが当たり前になっていたんだ。
駅前の噴水横でマイは待っていた。僕より必ず早く来て待っているのが、また健気でかわいい。
「あっ、ゆうちゃん」
どことなく寂しそうな表情をしていた。彼女のそんな顔は見たくない。そうさせているのが自分だと思うと、心が苦しくなる。ふと頭の中にひらめきが起こった。科学者が真理の一端に触れたときの感覚のように、僕の頭は自分以外の何者かに支配された。
「マイ。僕に出来る事はそんなにないけど、君に捧げる愛のコトバも見つけられないけど、いつもマイのこと考えていて、マイがいない世界なんて考えられなくて、そんな僕だけど、いっしょに笑ったり、怒ったり、触れ合ったりしてもいいかい」
マイは最初あっけにとられていた。自分としても、何でこんなコトバをしかもつっかえることなく話すことが出来たのか分からない。彼女はしばらく俯いていた。これは失敗したかなと思ったけど、次の瞬間思いきり僕に飛びついてきた。
「すごーい、ゆうちゃん。詩人みたい。かっこよかったよ。思わず胸にジーンと来ちゃった」
おお、やったぜ。神様ありがとう。見事僕は彼女の気持ちを取り戻すことが出来た。その後は公園でお互いの将来のことを話し合った。進路のこと、その先にあるまだ見えない世界のこと。僕はいつかマイと結婚したいと恥ずかしながら思っていた。
「それでお前はどうしたいわけ?」
忙しい中、わざわざ呼び出しに応じてくれた親友の錦戸は、僕の話を半ば呆れながら聞いていた。彼女と付き合い始めて早十年。決定的な衝突などもなく、今まで続いてきたのに、僕達の関係は終わりを告げようとしていた。必ずしも長く付き合うことがいいとは言えない。マンネリ化してしまったのか、お互いを知り尽くしてしまったのか分からないが、会う度に新鮮さを失ってしまった。もはや自然消滅は時間の問題だった。
「分かってないね、お前は。彼女、待ってるんだよ愛のコトバを」
「・・・・・・今更、そんなものが効くはずないよ」
「だから人生において一番大事な愛のコトバだよ。お前はその気がないのか?」
僕はいつでもいっしょにいたいと思っている。付き合い始めた時の気持ちと何ら変わらない。僕は錦戸から目を逸らし、コーヒーにシロップを入れた。
「お、来たな。こっちこっち」
錦戸が入り口の方に手を振った。首だけを傾けて見てみる。突然の来訪者に驚いた。きちんと着こなしたスーツに身を固めたマイは、仕事帰りという感じだった。いつも会っていたはずだが、僕の心臓はバクバク言っていた。
「お膳立てはここまで。全く世話が焼けるよ。それじゃあな」
錦戸はテーブルの上に一万円を置いて、店を出ていった。多すぎると思い返そうとしたが、「餞別だ」と笑いながら答えたので、有り難く頂戴することにした。ヒールの音を立てながら、いよいよマイが向かい側に座った。彼女は気まずそうに店内を見渡している。その時、僕の脳裏に懐かしいあの感覚が戻ってきた。一度しか体験したことのない未知の領域。今ならばノーベル賞だって取れるだろう。
「マイ、今から精一杯の愛のコトバを贈るよ」
その数分後、腕を組んで歩く僕達の姿があった。お互いの生活をすぐには変えられないが、そのうちマンションでも借りたい。ちょうど不動産屋があったので、ガラスに貼っていた物件を数軒見た。結構高かったので腰がひけた。
「うちに来るかい?」
六畳と四畳半の狭いアパートだが、マイは事の他気に入っていた。彼女の匂いが刻まれている僕の部屋。笑顔で擦り寄ってくる彼女の髪を、僕は思いきり撫でてやった。