目次
1.心理学とは
2.シャドー
3.内在する世界
4.欲求と理性


1章 心理学とは

人間は本能のみによって支配され、動いているわけではありません。
そう、我々は何をするときにも考えているのです。
そして、その考えるという行動は、
物理的な法則を離れた、一種の別世界で行われているのです。
これを、私は内在する世界と呼んでいますが、
その内在する世界こそ、人間の本質であり、個人の本質なのです。
では、内在する世界とは具体的に何か。
その前に、心理学とは何かを明らかにしていきましょう。

人間には、理性というものがあります。
これがなければ、人間とは、ただ欲求を満たすためだけの
生き物でしかありません。
理性によって、人間は本能を抑制し、
自我というものを確立し、文明を築いてきたのです。

そして、理性が働いているときにはしばしば人は迷うことがあります。
あれがしたいし、これもしたい・・・・・。
また、あれもしたくない、これもしたくない・・・・・というように。
この心の動きを心理と呼んでいるのです。
そして、心理学は、その心の動きを、
科学的な面と、哲学的な面からの双方から
解き明かしていく学問なのです・・・・といっていいでしょう。

2章 シャドー

人間が内在する世界をもっていることは既に述べました。
ここでは、さらに話を掘り下げていきます。

内在する世界の中には、理想とする人間像があります。
これは、その本人が作る理想像なのです。
そして、それに近づこうとして、人間は自分を変えていくのですが・・・・。
その前に、一つ話をしておきましょう。
人間はさまざまな属性から成り立っています。
そして、人間はそれらの属性からなるべく
ニュートラル(中性)であろうとします。
(哲学的には中庸とでもいうのですか。)
つまり、本質的には人間は丸く収まろうとするのです。
しかし、そのためにはその目標となるもの、比較の対象となるものが必要です。
そうです、それこそがシャドーの正体です。

シャドーの特長についても述べておきます。
シャドーはその性質上、
その人間の現在の状態と、常に対極の位置にあろうとします。
そして、それが、その人間にとっての理想像になるのですから・・・。
そうです、人間とは、自分と全く違うものを他人に求めてしまうのです。
その一般的で分かりやすい例が、恋人や友人なのです。
人間はその意味では非常に打算的な生き物で、
周囲の人々に自分に足りない何かを求めていきます。
そして、その中で、取捨選択が行われ、
残ったものが、友人であり、または恋人なのです。
自分の親しい人を見渡してください。
自分と余りにも似すぎている人はいないでしょう。
むしろ、自分とはかなり違う人が多いのではないのでしょうか。
いや、自分では分からなくとも、必ず、その人とは本質的に何かが違うのです。
ですから、似たもの同士の中が続かないと言う格言には、
実はこのようなしっかりとした裏づけがあったのです。

3章 内在する世界

結論から言いましょう。
これについてはまだはっきりとしたことは言えません。
なぜなら、余りにも個人差があり、一般のものとして当てはめることが
全く出来ないからなのです。

現在、二つの相反する事実がかみ合わないでいるのです。
内在世界は、個々が独立しているのか、つながっているのか。
独立していると言う根拠は、言うまでもなく、
自我というものがあり、個性と言うものが存在すると言うこと自体です。
もしつながっているとするのならば、
全員同じようなものになってしまうだろう。
現実には違うから、内在する世界は独立した世界であるとのことです。
一方、つながっていると言う根拠は、
感情などにおける根本的な同調と、
記憶や経験の共有などが上げられます。
しかし、その例は大多数と言うには遠く、
因果関係なども立証できないことなどから、
現在停滞状態に置かれています。

以上のように、まだまだ研究と考察の余地がある内在する世界。
これについて語るのはまだ早計であるので、ひとまず保留しておきます。

4章 理性と欲求

理性と欲求は相反するものの代表格と言えます。
何故このようなことが言えるのでしょうか。
それを学ぶためにはまず人間の感情の仕組みに対して理解する必要があります。
本能というのはそもそも、個体の維持および種の存続のために本来備わっている機能のことです。
つまり、食欲、睡眠欲、性欲などの三大欲求などはこれに当然ながら分類されます。
これらは、脳の中でももっとも原始的であるとされている大脳辺縁系というところに司られています。
この部分の脳はどの生物でもそれほど差異はありません。
では、人間のように高度な精神活動はどこで行われるのでしょうか。
それは、大脳新皮質という、人間がとてもよく発達している脳の部分で行われます。
当然のことながら、理性はここで司られているのですが……。
それには大きな間違いがあります。
それは、大脳新皮質が理性を司られているのではありません、司っているのは海馬です。
矛盾だと思われますが、それは前者が異なった結論なのです。
大脳新皮質が司る理性というのは、人間の理性ではなく、種としてのヒトの理性なのです。
ゆえに、社会的な行動をとるという行動そのものは人間の理性であって、ヒトの理性でない。
それは赤ちゃんが証明してくれていますよね。
我々は社会での慣習や道徳やその他諸々を理性と見なしています。
そして、それは記憶し、学び取ることによって身に付くものです。
つまりこれこそが、理性は海馬に司られるという事の説明に他なりません。
欲求も同じ事です。