Hitorigoto

つれづれなれままに、 おもいうかぶままに。







ことし1がつ〜のにっき。↓





きょねん10がつ〜12がつのにっき。

きょねん6がつ〜8がつのにっき。

きょねん1がつ〜5がつのにっき。







わすれないように
あのひの できごとを
わすれないで

あのときの おもいを


2006.03.16
 午後、仕事へ出かけようと寮の駐車場を歩いていたら。
 山茶花の根元でもそもそ動く茶色い物体。すっと伸びた耳、もごもごさせる口元、つぶらな瞳。
 あんたぁ、生きていたんかい!?
 うさぎ君に超久々に再会しました。一年ぶり?? 今までどこにいたのさ?
 夏に近所の大工さんちの庭で大の字で寝ていたという目撃情報を最後に、ぱったりと行方知れず。
 さすらいのうさ公。とうとう、誰ん家のウサギになってしまったか(←元々飼われていたんだろうけど)。それとも、道路を横切れずに。あるいは寒さと飢えで。
 君に会うことはもうないんだろうな。偶然なんてそうそうあるもんじゃない。そう諦めていた。
 だから、再会の感動はひとしお。
 懐かしくて、うさぎ君の後を追いかけようとしたら、うさぎ君のほうから私の足元でをひょこひょこ歩き回るではないか。
 かぁーーーわいいっ!!(><) 
 でも、カメラ(携帯)をむけるとそっぽを向く(笑 →





 ほんと、お元気で何よりです。(;。;
 今年で3年目ですか、君に遭遇して。感慨深いです。
 当分、寮の駐車場で生活するのかな。雑草生えてきたしね、食料には困らないだろう。
 いいことがありそうな予感。頑張れるよ、私。
     
               しりっ!

     うさぎ君、またねっ(^ー^)/
  雑草バスター・うさ公



2006.02.25
 「今度写真展やるんだ、見にきてよ」
 12月の定期受診の時に、やけに嬉しそうに、先生は案内の葉書を手渡してくれた。白馬の八丁尾根の写真。先生、写真が趣味だもんね。
 個展だなんて、すごいね先生っ。
 びっくりして私が言うと、「3月で定年だからね、その前にやりたかったんだよ」、ちょっと恥ずかしげに先生。
 定年。先生、もうそんな歳なんだ。……改めて、びっくり。何度も目をパチパチさせてしまった。
 先生に診てもらうようになって18年余り。初めて先生に会った時、私11歳。そうだよね、あの時すでに先生の髪には白髪が混じってたものね。若白髪っていうんだろうね、歳なんて聞かなかったけれど、何となく私の両親とさして違わないとは思ってたけどさ。今ではすっかり髪は白くなって、ベテラン先生の風格も出てきて、でも相変わらず妙に元気というか医者らしくない口の悪さは健在というか。
 いつかは、先生が病院を去って、私の主治医じゃなくなる日がくるって、頭の片隅では考えていたけど、でもまだまだ先のことのような思い込みもあって。……そっか、今年だったんだぁ。言葉にならない寂しさが胸を通り抜けた。
 絶対見に行きます!!! 力込めて断言し、そして今日、ゆずさんとゆずっこ君と3人で見に行きました。
 白馬岳周辺の、四季折々の写真。朝靄の写真、雪解けの福寿草、燃えるように紅葉したナナカマド。
 診察の時の、飄々とした態度から想像つかない、プロのお手本のようなダイナミックな写真から、ちっちゃな宝物を見つけた少年のような微笑ましい視線のものまで、どの写真も見ごたえ十分。でもなんだろう、どれも私の知っている“先生らしい”写真ばかりに思えました。うまくいえないんだけれど、こういうところに目をつけるのって、先生らしいなぁって、すごく感じました。私の感覚的に、好きな写真ばかりでした。見に来る人のことを考えて、主題のはっきりしたものを選んだんだろうけれど、構図には先生の人柄がにじみ出ています。先生と一緒に写真撮りに行ったことないし、診察室や廊下に飾られている写真しか知らないけれど。これが、先生の世界なのかなって。定年後の人生、これから大切にしていきたいものなのかなって。
 先生、いったい何時写真撮りに出かけてたんですか。んでもって、なんでこんなにタイミングよく撮れているの。
 土日休みの時は通いつめてたんだよ、照れたように答える先生。
 職業柄が人と向き合うものだから、草木や風景に対してだって、常に真摯、優しい眼差し、根気よく大らかな気持ち。
さすがだなぁ、先生。
 写真もいいけれど、そんな先生に20年近くお世話になってきていたこと、心からありがたく思いました。
 先生に会えてなかったら、私看護師になってなかったよ、続けてられなかったよ。
 −−8年前、今の病院に就職することが内定した後で、上層機関の事務に呼び出されたことがあります。健康診断書に、馬鹿正直にいろいろと既往歴を書いたので、働くことが可能かどうか確認のため、と事務の人。1次2次の面接で、面接官である病院関係者にそのことに触れられ、問題ないと判断され内定きまったことを、いまさら事務の人が何を言い出すのか。私は大丈夫だと、働けると言った、けれど次の一言に頭が真っ白になった。
「(いろいろ手術を乗り越え腎機能の悪い)その体で、あなたは看護婦としてやっていけるのか」 
今の私だったら、ふざけるな、事務屋のあんたにいわれる筋合いはない、あんこそ看護婦の仕事をわかってるのか!!あんたの判断で内定取り消せるのなら、何のための試験・面接、そして結果なんだよ、詐欺じゃないか!!って啖呵きれたけれど(笑)、当時の私は純粋で(爆)、ただただその一言にショックを受けて。言い返せなくて。
 私の存在そのものを否定する言葉に、何も手につかず、呆然と過ごしてました。
 私は看護婦になれない、なってはいけない。
 看護短大に通った3年間はなんだったのか。
 何のためにやってきたのか。これからどうすれば。
 短大の先生に相談したけれど、「お役所はそんなもんよ」の一言で終わり。
 傷ついた私って、弱いのかな。やっぱり、看護婦になっちゃだめなのかな。さらに落ち込む。
 親に話したら、強制的にアパートから実家へ連れ戻された。私が倒れると思ったらしい。
 …看護婦国家試験2週間前ですよ。もう勉強どころじゃなかった。ひどい人ですよね、忘れもしない事務のおっさん。国家試験落ちたら、おっさんと上層機関相手取って名誉毀損で訴えてやるって、本気で考えてましたよ。
 ー−−話はずれましたが、おっさん、もとい事務の人に、労働可能という主治医の意見書をもらってくるよう言われ、、どんより落ち込んだまま先生のところに行き、ことの顛末を話した。
 そうしたら、先生、「目の前にいる人を見て聞いて、働けるかどうか位分かるだろう、わかりきった事で書類書かせるな、これだからお役所仕事する連中は大嫌いなんだ!!」
 先生の大声に、私怒られてると、さらに落ち込む。でもそうじゃなかった。
 「ふざけた事務のいる病院なんてろくなもんじゃない、やめてしまえ! 俺がここの理事長に話しつけてやるから、ここで働けばいい」
 先生は事務の人・上層機関に対して怒っていた。
 私のこと薬をきちんと飲まない不良患者だと呆れていた先生、私のためにこんなに怒ってくれるとは思わなかった。
 私が吐き出せずにいた気持ちを、先生が替わりに叫んでくれた。
 なんて患者思いのいい先生なんだろう、初めて(笑)そう実感した。
 先生、ありがとう。でも私、とりあえず1,2年は働いてみるよ。働いてみて、やっぱりどうしようもない病院で、体がもたなそうなら辞めて、先生に就職のお世話してもらうよ。 
 「おまえの体は大丈夫だよ。俺が太鼓判押してやるから」
 そう言った先生の勇気付ける笑顔、覚えています。
 先生が主治医で、本当によかった。あの時、先生に背中押してもらえなかったら、とっくの昔に病院を、看護師を辞め ていただろう。定期受診の時に、先生に仕事の愚痴を言いつつも、頑張ってるよってところを見せたいと思わなかったら。
 ちっちゃい頃から、先生には見守り励ましてもらってきました。
 次外来へ来た時に、先生はいないと思うと、急に寂しさと不安が押し寄せてきました。
 永遠の別れじゃないのにね。
 先生、ありがと。今まで沢山、ありがとう。
 ありがとう。本当にありがとう。18年分の感謝をこめて。
 私にとって、いつまでも先生が主治医だよ。
 そしていつか、一緒に写真撮りに出かけようね!(^ー^


2006.02.15
 私の受け持ち患者さんで、川柳と短歌を詠むAさんがいらっしゃいます。
 ついでにいうと、その方が「師匠さん」と呼ぶ同じ歌人クラブの方も病棟にいらっしゃって。よく2人で歌の談議に花を咲かせている姿を見かけます。
 常にメモ用紙と鉛筆を携帯して、散歩中に浮かんだ歌を、すぐさま書きとめているそうです。一日に2、3句くらい軽く詠んでしまうそうな。すごっ。
 私の詩作は、仕事が忙しすぎて月1のペースがやっと。感性のアンテナの、伸び具合の違いが歴然。(−−; 
 特に症状もなく変わりのない方なので、病室も遠いし検温はいつも最後の方。
 Aさんも心得ていて、私が検温に訪れると、目をキラーンとさせ、
 「この時間だと、私が最後(の検温)ですね。−−では」
 おもむろに、自作の短歌帳を開く。
 あ、はい。今日の歌の読み合わせですね、 …聞かせてください。(^^;
 この後にもやらなきゃならない処置があるとは言えず。
 血圧を測る前に、歌の読み合わせ。その日に詠んだ歌以外にも聞かせてくださるので、下手すると30分以上付きあうことになります。
 詩を書く者としては、短歌や俳句・川柳を聞かせてもらえるのは嫌なことではありませんし、短歌を詠んでみたいと考えているので、逆に勉強させてもらっています。それに。
 Aさんが、とても生き生きと歌を説明してくれるんです。うらやましいくらい。ほんとに歌を読むことが好きなんだなぁ。聞いていて惹きこまれる感じ。わたしもこんな笑顔で自分の詩を他の人に読んで聞かせ、聞いてもらえたらいいなぁ。
Aさんには、私が詩を書くことは伝えていません、でも、私の時に限って歌の読みあわせをしてくれるので、詩歌が好きな人だとわかってくれているようです。
 Aさんは私の短歌の師匠さんです。(^^ その歌人クラブに入ってみたいなぁ、なんて思ったりしましたが。ちょっとご高齢者ぞろいなので、若人の出会いを期待できないなぁ、残念。


2006.02.13
 大学院の試験結果通知がきました。
 昨日発表、でも仕事中にて見にいけず。けれど、前回と同様、先生からメールが。
 教授会の協議の結果、合格です。看護部長さん関係各位とご相談ください。
 ーーーーー。
 うーん。
 合格ですか…。
 嬉しいの前に、さてどうしようかなと思案。(ーー゛
 思案する一番の理由。
 部長さんの文句をまた聞かなきゃならないんかい(><゛
 このメール、実は正式な合格発表日より早く知らせていただきました。通えるかどうか、職場と早く協議できるよう、先生の温かいご配慮で。
 病棟師長さんに話をしたものの、部長さんところへはまだ行かない方がいいと言われ、まだ直接報告していません。
なぜかって。只今部長さん、新病院に向けての作業で頭がいっぱいいっぱいだから。師長さんから話をつけてくださって、休職は無理だけど週20時間労働で通っていいよと許可もらったというが。
 挨拶に行かないわけにもいかず、同じ大学院へ通うもう一人の同志と一緒に部長室へ。
 ドアをノックするが返事なし。いないのか? そーっと覗くと、いるじゃん、PCとにらめっこ中の部長さん。「あのー、失礼します」……返事なし。あからさまに、‘今話しかけたらただじゃすまないわよ!’オーラを背負ってる部長さん。だめだこりゃ。すごすごと引き返す私たち。いっぱいいっぱいって、こういうことね、師長さん(^^;
 合格通知書みて、現実味が帯びてきました。
 はぁ。ま、地雷野原を歩く覚悟で受験したんだからね。
 スタートラインにだって立っていやしない。見えなかった‘スタートラインはこの先xxm’の案内板に気付けた段階。
 自己啓発のための2年間の休職可の福利厚生の制度を利用できない今、さらに週20時間労働の条件が、すんなり働く部署で通るとは全く思っておりません。もう一人の同志は、当然の権利だと言い切りますが、実際には20時間以上働かざるを得ないでしょう、夜勤だって。4月は新人さんがくるんだよ、少なくとも2週間は研修でいないんだよ。スタッフの口に出さない不満を知らん顔することできるほど、厚顔無恥にはなれない。どう勤務・大学院の時間割を組めば、部署のスタッフへの負担が少ないか。少なくとも夜勤4回/月やらないと悪いよねぇ。
 部長さんに師長さん、スタッフたち、そして大学院の先生各方面への配慮を考えると、大学院に受かったこと以外はっきり定まっていないので、身動き取れない。時間割も、4月(入学後)にならないと決定にならないし。
 すっぱり辞める方が、時間の融通がきくし気が楽だし勉強に専念できるんだけどな。
 どこぞの病院でアルバイトしながら通ったって、別にかまわないんだけど。ただ、がん看護を専攻するので、卒業後はがん患者さんのいる病院(専門病院でなくても)に就職できないと勉強してきた意味がなくなるんで、就職活動するときは考慮しなければならない。
 30過ぎて学生生活にアルバイトに就職活動、それもまたいろんな意味で人生勉強かな。(’’
師長さんは当院に役に立つために学ぶんだから辞める必要はないというけれど、でも、結局は他人事だし厄介事をかかえたくないしねぇ。師長さんの言葉にしない思惑は、なんとなく感じます。←被害妄想? その辺のこと、敢えて気付かぬふりして巻き込むのも手段でしょうか(^^; 私が思うほど負担に考えていないかもしれないけど。
 まずは、部長さんに、報告説明しないと。近々委員会で顔を合わせるんだよね。
 さあて、どう戦う、いえいえ交渉しましょか。




2006.01.30
 母、無事退院。
 検査結果は今のところマイナス。来週にまた検査して、まあ大丈夫でしょと太鼓判押してもらえる予定ですが。
当分定期検査のため当院に通うことになるでしょう。
 母が帰ってきてくれて、助かりました。私も父も兄も、それからコロも。(^^;
 母の入院中、さすがにコロが不審がって、人見知りするんです。なんであんた(私)、毎日くるのさ?って。遊んでやってても、母の姿を探して、すぐ目をそらす。全く姿を見せないので、何かおかしいと、私から距離をとる。借りてきた猫、じゃない犬。よそよそしいたら。入院してるっていったって、わからないか。もうしばらくの辛抱だよ、コロ。
 で、母が帰ってきた途端、コロの天下。我がままし放題甘え放題。毎日世話してくれた人がいないと、やっぱ不安だったんだね。母がいるところで私が遊んでやると、じゃれるというより暴れる。コロの中で私は格下です(−−


 昨日、大学院の2次募集を受けてきました。
 今度はどんなテーマが出題されるのかな。ちょっと楽しみ、でも緊張感ゼロ。
 試験会場入り口で、懐かしい人物に出くわした。同級生。顔は覚えていても、とっさに名前がでなくて、声かけられなかった。ばっちり視線あったけど、ヤツは私に気付いてないよなぁ、私眼鏡かけてないし当時していた歯の矯正装具もないし髪型も違うし。試験会場となりの講堂で、何かの集まりがあった模様、ヤツはその会場準備をしていた。すれ違ってから名前を思い出した、でもヤツはさっさと行ってしまった。まあ、いいか。相変わらず大学が好きそうというか裏方作業が好きというか。お元気そうで何よりです。この場にYちゃんがいたら、一緒になってどつきまわせたのになー、残念。一緒にバイトをした例のヤツですよ、Yちゃん。←Yちゃん、読んでる?いえ、だからなんだってことはないのですが(^^;
 試験時間になるまで、短大時代を思い出す。建物は増えたけれど、当時と変わらない雰囲気の大学。懐かしいなぁ。また学生になろうとしている私、でもあの頃のようには過ごせないだろうな。
 学生になれるのだろうか。学生をやっていけるのだろうか。願書出したことに、いまさらながら悩む。
 小論文の手ごたえは昨年9月と同じ感じ。英語は出題形式変えてるし。もうっ(−−;
 面接は…最悪な受け答えをしてしまった。病院の、私から見た現状を伝えました。大学院通うことに部長さんに理解してもらえていないこと、経営・労働環境上年々改悪していることなど。受験を来年以降にしろといっていて、そのとおりにしたとしても、またその時になったら渋るのは明白。ごまかすように出張にやられる。仕事に埋れ、看護を考えなおす余裕がない日々、一時職場を離れ勉強に没頭したい、自分を鍛えたい。部長さんの突発的な思いつきに振り回され続ける今、少々強行手段にでなければ自分の意志をわかってもらえない。
 面接官である担当の先生に、だからって反旗を翻すようなことをしては、余計理解してもらえないでしょうと諌められた。知っている先生なので、つい愚痴をこぼすような話になってしまったのがいけなかった。−−一応、正式な面接なのだし。でも、高校生の受験みたいに、非のうちどころがないお手本のような内容を話すことなど到底出来ない。芳しくない状況で、母のこともあり、悩み焦る私の気持ちは伝わらない。
 ややこしい事情に悩む受験生より、身軽でやる気のある受験生を採るよね、きっと(−−;
 ずらずら書いて、言いたいこと言ってきたので、十分です。悔いなし。
 受からない方がいいのかも。私にとっても病院や大学院にとっても。悩んでばかりの私に、何ができるのだろう。

 試験後、実家へ帰ったら、コロがしっぽ振って迎えてくれました。
 日が落ちて、空には星座が散らばっていました。
 同じ市内でも、寮からみる夜空と実家から見る夜空では、星の明るさが違います。改めて、星の数の多さに気付きます。冷たい空気が時を止めるよう。
 オリオン座、リゲルとペテルギウス、大犬座のシリウスに、北斗七星にカシオペア座。たくさんの星たち。
 小さい頃は星座早見表持って飽きずに夜空を見上げて星座を探していたのにな。あの頃覚えた星座の名前、ずいぶん忘れてしまった、見つけられなくなってしまった。
 コロはいつもこんなきれいな星空見て寝てるの? コロは黙って私になでられています。
 いいね、コロはいいね。
 私が望む生き方ってなんだろう。なんだったのだろう。
 もっとシンプルに、あるがままにいられたらいいのにね。
 しばらく寒さを忘れて星空を見上げていました。そんな私に、コロは寄り添っていてくれました。



2006.01.14
 寒中お見舞い申し上げます。
 もう、“あけまして…”というのには遅すぎますね(^^;

 大荒れの忙しさで年賀状を書く余裕が全くないまま新年を迎えました。例年ならば、三が日くらいは、わりと穏やかに病棟業務をこなせるはずなのに、超大型台風は依然として勢力を保持したまま停滞中、どの勤務帯も最初の1時間でヘロヘロボロボロ状態とは、今年一年の先行きを暗示しております。
 仕事終えて帰って、何もする気力がない何も出来ない状況が、ずっと続くのか(疲)。 そんなわけで、今年は年賀状を年が明ける前に書けなかった上に、お返事も、病棟のスタッフからいただいた分を渡すのが精一杯。友人や他病棟へ移動したスタッフへはお返事書けてません、この場を借りて、ごめんなさい。気付いたら、年賀状出せる日にちじゃなくなっちゃったんです。すみません、ほんとに。m(_ _)m
 今年度末で退職を考えている人が、当院だけでも(具体的な数は公表されていませんが)けっこういるようです。他の3病院の数も合わせればかなりの人数で。夏に行われた来年度新規採用者試験の合格者の数ではカバーしきれず2次募集されるくらい。しかも2次募集があるという話が出た時点で、さらに退職希望者がまたでたらしい。…人手不足に業務量過多、労働条件は改悪、看護サービスの質は落とすな医療事故おこすな看護研究をやれといわれたってやってられるか、辞めたい気持ちはみんな一緒、ってやつです。退職願、普通いつまでに出すものなの? まだ出しても平気かな!?…冗談抜きで本気で相談しあう私たちって(^^; 辞めたって、ほかの病院で働くとしてもどこも忙しさは同じ、わかっていても同じ泥沼にはまるのなら今ある底なし沼から一歩でも抜け出したい。残れば今以上に厄介な役割を振られるのは火を見るより明らかだから。しかし経済的なこと、家族のことを考えると、辞めるという一歩を踏み出せない。そんなもんです。そして悪循環へ。
 非常事態だっていうことに、上層部の人たちは本当にわかってるんですかね。(ーー゛ 病院の上の、そのまた上の機関は何を管理し運営してるんでしょうか、もう。
−−−新年早々愚痴モードだな、私(^^;

 大学院2次募集、受けることにしました。母の病状のこともあるし、いっぱいいっぱい悩んで、やめようと思ったけど。……今受けるのをやめたら、部長さんの圧力に屈するようで腹立たしくなってきたので。←そんな理由かい(爆)
 今の労働条件を考えると、受験を先延ばしにし、数年後はたして休職扱いで通学できる可能性は今よりずっと低いし、他病院へ異動させられる可能性大だし、何より勉強しようというモチベーションが下がる一方、だったら宝くじ引くような気持ちで今受けたほうが、自分の中で覚悟が、逆に諦めができるかなと思って。
 やらずに後悔するくらいなら、やって後悔したほうがいい。
 受かる自信はゼロに等しいです。大学院の先生から、「英語の勉強、ちょっとずつしておいてね」とメールが来ましたが。私に英語は無理なんですってば(爆)


 母が入院しています。いくつか検査しましたが、まだはっきりせず、再検査のため入院継続中。困った。
 入院当日、私は夜勤明けで眠く、その日の担当看護師さんがなかなか来ないので先に帰る。付き添ってきた父も、その後担当さんに会わず帰る。−−担当看護師が挨拶する間もなく帰る家族って、看護師側からすると患者をさっさと置いていく何か嫌な家族っていう印象が残るのですが、まさにそのままのことを私はやっていた(^^; 翌日の検査も、検査前に家族は病院にいなければならなかったのに(何の検査をするか母が知らせなかったのも悪いが)、終わりそうな頃病院に着いて、これから準夜勤だからとさっさといなくなる私。またしても嫌な家族の振る舞い(爆)
 でも、さーっといなくなっちゃう家族の心境ってわかった気がする。家族それぞれに、やることがあるんだよね。私だってのんびり来たわけじゃない、父たちの夕飯・翌朝の食事の準備と掃除をしてきたんだよ。たまたま面会にきた母の妹さんが、検査前から付き添っていてくれていたから、かろうじて家族としての面目保てた?
 病院の面会時間は19時30分まで。残業で軽くそんな時間は過ぎる。どうしようかな。面会時間どころか消灯時間過ぎても面会に来る家族はいますが。一職員としては、面会時間を守らないといけないかなぁ、その病棟スタッフに迷惑かけたくないし。家族が勤め先の病院に入院するって、私家族側も病棟スタッフ側も、なーんかやりにくいです。こんな私でも、一応気を使ってます、はい。