こちら『一の竈』では、『庵主の寝室』に持ってゆく程大袈裟でもない、ちゃんばら関係の題材をライトに取り扱っております。肩の力を抜いて、のほほ〜んとした気持ちでお読みになって下さいね。

 ※以下のタイトルをクリックしましょう。


      『にんげんドキュメント-斬られ役・大部屋俳優58歳の心意気-』  『にんドキ』・・その後

円谷浩に哀悼の意を表し、全員、焼結!  『映画版・蒲田行進曲』  『天皇家の忍者(しのび)』

『人斬り』  『どこかで誰かが見ていてくれる-日本一の斬られ役・福本清三-』

『里見黄門、始動せよ!』  『ちょんまげ天国』



『明治座公演・江戸を斬る』 『スキッと一心太助』 『幻色江戸ごよみ』 『吉原御免状』  『町奉行日記』 『江戸三十六番所・斬り捨て御免』 『公事宿事件書留帳-闇の掟-』 『芝居茶屋弁之助』 『四千万歩の男−伊能忠敬−』 『今更ながら第一印象』に関しては、上の『過去ログその壱』をクリックして下さい。


今回のお話 『にんげんドキュメント-斬られ役・大部屋俳優58歳の心意気-』 (’01.5.25 up)

 『痩せぎすの体躯に飢えた狼の如く吊り上った凶悪なる双眸、果敢な太刀筋に斬られ際のエビ反りと一回半ひねり。名前はメジャーに非ずとも、劇中での存在感たるや天下一品のその男。・・彼を知る者は畏敬の念を込めてヤツをこう呼ぶ。「福ちゃん」と・・・。』

 とまあ、そんな大袈裟なOPナレーションは全然ございませんでしたが(^O^)、NHKの『にんげんドキュメント』におきまして、東映剣会所属の大部屋俳優『福ちゃん』こと福本清三さんの特集番組がオンエアされました。元来、脚光を浴びる事が殆ど無い『正義の味方の噛ませ犬』的存在である『斬られ役』がこうした形で取り上げられる事は滅多にあるものではございません。興味深く視聴(留守録だけど)させて頂きました、TVの前に正座して(^ ^)。

 冒頭、いきなり『あば将』の収録現場で疾風苛烈の立ち回りを見せる福ちゃん。斬られて倒れるその瞬間、勢い余ってかがり火台をも巻き込み、伏したその頭に火の粉(もちろん、本物の)を浴びる迫真の断末魔。う、うわ〜!のっけからすごい映像(゜o゜)!しかしホントにすごいのはこの後の福ちゃんのコメントです。突発的なアクシデントにも思えたこの展開が、実はカメラフレームの構図を正確に計算し尽くしての演技だったとは!しかも火傷すれすれのそうした演技を見せながらも、まだ自分の演技に納得していない風情の福ちゃん。訥々とその辺りを語っている部分、かえって凄みがございました。ツカミがこれでは、引き込まれない方がおかしいです、この番組!

 斬られ役一筋で42年も頑張っているからには、小さい頃からよほどチャンバラ好きだったのであろうな〜・・との期待を裏切り?親戚のツテでこの世界に仕方なく入ったという福ちゃん。しかもそれ以前には映画も殆ど観た事が無かったとか!庵主の先入観、見事に空回り(^O^)。えてしてこうしたものかも知れませんね、現実というものは。
 シャイなあまり、台詞を上手く喋れないという致命的ハンデを思い知らされ、「だったら斬られ役で勝負だ!」との決意を新たにする福ちゃんですが、もし彼がその時挫折に負けていたならば、我々が現在の福ちゃんの勇姿を拝む事は永遠に無かった事でございましょう。人生というものは、やはりどこでどう転ぶか判らないものです。プラス思考と言いますか、気持ちの切り替えというものが如何に大切なのかを思い知らされますね。
 時代劇でお見かけする、『自分の親兄弟すらも躊躇無く斬殺しかねない』悪相とはうって変わり、穏やかな表情ともの静かな口調でインタビューに答える福ちゃん。『斬られる事への拘り』『妥協を許さぬ飽くなき探究心』『目立ってナンボの演技での顔と、そして実相の意外な謙虚さとの奇妙なアンビバレンツ』。・・福ちゃんの顔に深く刻まれた皺の一本一本が、彼のそうした魅力の全てを余すところ無く無言のうちに語りかけてくる様な気がします。「役者が本当に痛くなければ、画面での感動は与えられない」という福ちゃんのポリシー、まさに『至言』!そうした信念のもと、満身創痍となりながらも齢58となった現在も奮闘し続ける福ちゃんなのであります(しかもその傷をひけらかす事など決してせずに、照れ笑いすら浮かべながら自分の腕の血を拭う福ちゃん。・・・プロだぜ!)。

 途中、映画村での食堂で談笑しながらご飯を食べる、おなじみ東映剣会の斬られ役の皆様の面々。非常に和んだ雰囲気が辺りを支配しておりますが、殺陣の稽古シーンはなかなかの迫力モノ。福ちゃんの『殺られ際』の秘密をスローで解説していたのが嬉しいです。番組中でこれまた東映剣会所属の俳優・峰 蘭太郎さんが終始着用してましたけど、やはりあの松坂大輔モデルの黒いミズノ・スーパースターの背にプリントされた『剣』の文字、かっこいいわ!庵主も持ってるこのジャージ、女将さんじゃないけど庵主もあの文字、プリントしようかな。そして庵主と同じと言えば、福ちゃんがあの素晴らしいパンチパーマ(^O^)を乾かしている時に使用していたドライヤーも、奇しくも庵主の使用しているものと全く同じ物(National TURBODRY 1300 -EH-553-)。これまた無意味に嬉しかったりします!

 そんな中、この夏公開の映画『RED SHADOW-赤影-』にて見事大役を仰せつかった我らが福ちゃん、42年間の斬られ役生活の集大成!とばかりに意気込んで撮影に臨みますが、ここで一つ問題発生。演出する中野裕之監督の意向によるとこの作品、主人公が悪役を『斬らない』映画なのだとか(まるで『ターミネ−ター2』の様だな。しかし『人を斬らないちゃんばら時代劇』というコンセプト自体、庵主に言わせますとちょっと意見があったりはするのですが、この稿の趣旨から少し逸脱してしまう可能性がありますので、今回の言及は止しておきます)。福ちゃん、今までの自分が生傷だらけになって培ってきた『斬られ役人生』というものを少なからず否定された思いに苛まれた事でありましょう。殺陣師の菅原俊夫さんと共に監督に異議を申し立てるも、中野監督のポリシー、依然として動かず!しかしここでいたずらにゴネてしまっては単なる融通の利かない自意識過剰の三文役者です。福ちゃんには監督の意向を立てながらも、尚且つその演出内で自分の培ってきたキャリアのエッセンス全てを爆発させよう!と目論むクレバーな一面がありました。これは決して『安易な妥協』には非ず!思うところ、「監督と考えが異なるとは言え、それに従えないから『はい、さよなら』では大部屋の意地が廃るわい!」という、自分のキャリアに対するいい意味でのプライドが頭をもたげていたのでしょうね。
 そして撮影当日。監督の意向を汲みながらも自分の出来る最高の演技を(脳震盪まで起こしながらも)見事にやってのけた福ちゃん。その迫真の演技を目の当たりにした中野監督、殺陣師の菅原さんに向かい、感極まっての間抜けな質問、「(年齢は)おいくつですか?福本さんって・・」。おいおい、こら〜!そのくらいの情報、事前に把握して演出しろよ、中野監督(^O^)!
 OKが出された後、スタッフの間隙をぬって何事も無かったかの様にひとりセットから出てゆく福ちゃんの後姿。ちょっと見、寂し気に映りはしましたが、・・主役級の誰よりも大きく見えた、素晴らし過ぎる背中です!これこそ福ちゃんに似つかわしい去り際である!と断言してしまいましょう、庵主。確かに、スタッフの誰に顧みられる事も労いの言葉もかけられる事もございませんでしたが、少なくともこの番組観てた時代劇ファンはその背中向けて大喝采を叫んでいた筈です!

 番組の中で、40歳前にしてこの世界を去る事となったこれまた大部屋俳優の松田吉博さんの送別会のシーンもございましたが、「自分がケツ割るとなんて夢にも思ってなかったスから・・」と嗚咽を洩らす松田さんには胸を締めつけられました。家族を養うためとは言え、志半ばにして大好きな世界を去らねばならぬその胸中、如何ばかりか・・・。あえて引き止めなかったという剣会の同僚たちの本意も、いやという程汲み取れてしまいそうなシーンでしたね(T_T)。
 『夢のため』『ロマンのため』・・・そうした生ぬるい美辞麗句で括ってしまうのはたやすい事です。しかし現実はそんな綺麗事のみで飾り立てられる事ばかりではありません。家族の苦労が身に沁みていながらも、それでもくる日もくる日も斬られ役に明け暮れている大部屋の面々・・、賢く世の中を渡る皆様から見れば、彼らは『不器用』以外の何者でも無いでしょう。はっきり言って『バカ』と思われるかも知れません。しかし彼らは、映像の中でほんの一瞬しか映らぬ己れの姿に自分の存在意義の全てを賭けて挑み続ける、愛すべき『役者バカ』たちなのです!そう、『一刹那こそが彼らの晴れ舞台』。そんなバカたちの、作品への、そして自分の演技への一途な『思い』があればこそ、彼らの敵役である『主人公』が主人公でいられる訳なのですから。

 『一生懸命やっていれば、きっと誰かが見ていてくれる・・』

 その漠然とした、しかしそれ故に純粋な『思い』だけを心の拠所にし、今日も斬られ続ける福ちゃん以下『斬られ役』の役者バカたち。そんな素晴らしいバカたちのお陰で、時代劇という映像ジャンルが取り敢えずの命脈を保っているのではないか・・とも思えてしまったのですけど、これって大袈裟ですかね(「いや、それは大袈裟じゃないぞ〜!」と同調してくれる方が多分いる・・筈)?

 余談ですが福ちゃん、ファンレターが届くのはせいぜい月に2〜3通なのだとか。皆さん、こぞって福ちゃんにファンレター、出しましょう!『東映太秦映画村 気付』で届くのかしらん・・・(^_^;)?


             今回のお話 『にんドキ』・・その後 (’01.6.19 up

 先日、父親の購入した『週刊新潮』をペラペラとめくっていたら『TVすなかぶり』というコラムの中で、件の番組を取り上げておりました(はっきり言ってこのコラムの執筆者、時には正鵠を射た事も書くのですが、結構『重スミ』的な揚げ足取りの方が多い方です)。

『にんげんドキュメント・斬られ役』の焦点は、東映京都の大部屋俳優・福本清三。殺気と哀愁の同居したユニークな顔だけはみんな知っているが、名前までは知らない。斬られるまでの数秒に命をかける日々。全盛期は五百人もいた大部屋俳優も、いまは三十人。最年長の福本も二年後には定年を迎える。
ただしこの作品、専属料月二十万円の暮らしに耐え、ひたすら斬られる男の哀歓を描き切ってはいない。作り手の『のめり込み』が感じられないのである。取り上げた対象に深い共感を抱かずに、どうしてすぐれたドキュメンタリーを作れよう。斬られ役を取り上げながら『切れ味』が乏しかった(以上『週刊新潮』'01.6.14号より抜粋)。

 とまあ、そうした趣旨の内容だったのですが、ちょっと気になる点を一つか二つ・・・。

 >殺気と哀愁の同居したユニークな顔
 『殺気と哀愁が同居』といったあたりまでは頷けるのですが、『ユニーク』って言葉が後に続くと、どうしても『=お笑い』みたいな印象が先に立ってしまいます。『ユニーク』とは『独特の・唯一の』といった本来の意味がありますので確かに間違った事を言ってるワケじゃないんですけれども、福ちゃんを評価する言葉としてはちょっと違和感を感じてしまいました。

 >取り上げた対象に深い共感を抱かずに、どうしてすぐれたドキュメンタリーを作れよう。
 別にNHKを擁護するワケでも何でもないんですけど、ただいたずらに素材にのめり込みすぎてもどんなものかな?と思います。『ドキュメント』とは『記録・文献』の意味。記録対象を緻密かつ客観的に捉える事こそがその第一定義だと思います。確かに深い共感とやらも大切でしょうが、そればかりが前面に押し出されてしまうと作り手の主観のみが押し付けがましく見え隠れする『啓蒙番組』に仕上がってしまいがち。過度な思い入れを極力抑えた今回の作りは、決して間違いでは無かったのではないか?と思う。何よりもそうした番組を視聴してその対象に愛情を抱くか否かは『視聴者側』の問題なワケですから。あくまでも番組が淡々と進行していった事により、逆に過度な装飾の無い『人間・福ちゃん』を理解できた様な気がしました。逆説的に言えば、そうした『淡々とした日常』を42年間も繰り返し続けてきた福ちゃんに、ある種の『凄み』すら感じてしまいます。

 まあ、どうって事無い話なのですが、取り敢えずこうした評価をする方もいらっしゃるのだなあ・・・という事で。・・皆さんは、如何でしたか?


          今回のお話 円谷浩に哀悼の意を表し、全員、焼結!(’01.8.6 up

「宇宙刑事シャイダーは、僅か1ミリ秒で焼結を完了する。では、その原理を説明しよう・・・」
「焼結!」
「宇宙刑事シャイダーは、バビロス号から発射されるプラズマブルーエネルギーを浴びて、僅か1ミリ秒で焼結を完了するのだ!」

 いきなり、何が原理の説明なのかよく判らないナレーションをUPしてしまいましたが、7月24日、円谷浩さんが亡くなられました。享年37歳、死因はアルコール性の肝不全であるとの事。数年前に食道の静脈瘤が破裂したとかで体力が弱っていた部分もあって余計に耐性が無くなっていたんでしょうねえ・・・。BBSでもカキコしましたけど、今回の訃報に接した時には「・・ウソだろ?」という気持ちでいっぱいでした。自分とさほど歳も離れていない、『さあ、これから!』という役者さんが亡くなったという事実には庵主、どうしようも無いやるせなさもまたひとしおでございます(時代劇HPなんだから、山田風太郎逝去のコラムでもUPした方がいい様なものですが、そこはそれ、このHPの『ごった煮』的なトコですね)。

本名 :円谷 寛
生年月日 :1964年3月8日
身長・体重 :180cm・68kg
出身地 :東京都世田谷区
血液型 :O型
趣味・特技 :殺陣 乗馬

 『真田太平記』や『若大将天下御免!』、その他いろいろな時代劇にレギュラー、もしくはゲスト出演されてまして時代劇ファンの知名度も決して少なくはなかった円谷浩さん(しかし趣味が『殺陣と乗馬』ってのが笑える!・・笑うトコじゃないが)。ちょっと頼りなげな若侍なんかの役が結構ハマっていた感じがします。

  しかしやっぱり庵主は、一番先に主役を張った(というか、主役張ったのは後にも先にもこの作品だけ)東映系特撮番組『宇宙刑事シャイダー』がめちゃくちゃ印象深いですね(実は庵主、宇宙刑事シリーズに関してはかなりうるさい方かも知れない。いや、別に特撮マニアでも何でもないんですけど・・・)。訓練半ばにして、銀河制圧を目論む悪の犯罪集団『不思議界フーマ』と戦うべく地球に送り込まれた宇宙刑事シャイダー、その名も沢村大!青いブルゾンと白いGパンに身を包んだその勇姿、いつも両手に嵌めているレーシンググローブが眩しいです(庵主も一時期、同じ様な格好、してました。今で言う『コスプレ』のハシリでしょうかね。このスタイルがまたウケたんだ、学校で・・・)。そして何と言いましても、宇宙刑事初の『七・三分け』のヘアスタイルも斬新(^。^)でした!前2作の宇宙刑事モノ『ギャバン』『シャリバン』の主人公である一条寺 烈(大葉健二)と伊賀 電(渡 洋史)がそれぞれいかにもJACの叩き上げらしいスピーディーなアクションが印象的であったのに対し、『シャイダー』の円谷浩の方はそうした素地もございませんで、何かアップでのアクションシーンも野暮ったい印象の方が多かったのですが、それがまた不思議な親近感を醸し出しておりました(まあ、アクションシーンは同じJAC出身のアニー=森永奈緒美に任せておくとして・・・)。ちなみに冒頭の『焼結』と言いますのは、沢村大がシャイダーのコンバットスーツを着用する際のコールサインだったりします。余談ですが、歴代の宇宙刑事のうちでコールサインが実在の単語であるのはこのシャイダーの『焼結』と、ギャバンの『蒸着』だけ。シャリバンが吼えるコールサイン『赤射』は残念ながら広辞苑には掲載されておりません。

  シャイダー時代の円谷浩、当時の演技は確かに上手いとは言えない部分もありましたが、いつもニコニコ和んでる大ちゃん。・・そうだよ!本放送時から『アニーのパンチラ』にばかり注目する不届き者が多かったですけど、大ちゃんのあの屈託のない(というか、何も考えてない)笑顔があるからこそ、アニーのパンチラが映えたのだ(って、何ワケの判んない事言ってんだよ)!時折銀河連邦警察司令のコム長官(西沢利明)からカミナリ落とされたりしてましたけど、その辺の『発展途上』的なキャラが庵主にはどうしても憎めませんでした。何も事情を知らない一般市民の前で堂々と「僕は宇宙刑事です!」(第7話他)なんて自己紹介出来てしまうのも、大ちゃんならでは!ホント、いかにも『その辺にいる、気さくなあんちゃん』的な奴でしたよね(実際円谷浩さん、特撮のパイオニアである『円谷一族』の御曹司でありながらも天狗になる部分が全く無く、現場でも無名のエキストラさんの輪の中にまで親しげに溶け込んでおられたとか。氏の人となりを感じさせてくれるお話です)。

 もしも「シャイダー時代の円谷浩のビデオでも借りて、故人を偲んでみようかな・・?」とお考えの方がいらしゃいましたら、以下のエピソードが要チェック!と言えそうです(でもね、おそらく東映CHあたりで近々オンエアされるかも知れない・・・)。この『宇宙刑事シャイダー』、中盤から後半にかけてのお話に結構佳作がございます。最終回近くになってだんだんショボくなっていきますので、「感動の最終回が観たい!」などとお考えの方、あんまり過度な期待を抱かれません様(だって、イースター島の石像が人間の身の丈ぐらいの高さしか無いし、宿敵『フーマ』の首魁・クビライの本体があんなトホホな造型ではねえ・・。いかにもとってつけた様な胴体で、頭と全然釣り合いがとれてないぞ、こら!)。

 ●第33話 『散歩する腹話術師』
 ゲストは断末魔の頃の『11PM』の司会を務めていた事もある斎藤晴彦(庵主はこういうボードビリアン系の役者さん、好きなんだけどなあ・・・)。フーマの密命をおびて腹話術師に変装、次々と子供たちを誘拐していく様が、童話の『ハメルーンの笛吹き』を彷彿とさせられます。冒頭、攫われた子供が口づさむ『氷雨』が時代を感じさせますね。しかし『氷雨』口づさむ子供って、一体・・・(この辺りがシャイダーお得意の『一筋縄では行かない異質な世界観』なワケです)。本拠地である洋館に蠢く岸本加世子似のマリオネットの群れ・・・、ソフトフォーカスの効果も相俟って、なかなか幻想的な構図に仕上がっておりました。流石は宇宙刑事シリーズに知悉した小林義明監督演出と言えそうです。フーマに操られるアニーがシャイダーに攻撃を仕掛けてくる展開も、この回ぐらいでしかお目にかかる事は出来ません。戦闘の際の、採石場におけるシャイダー&アニーの『ビームガンの乱れ撃ち』も必見です!

 ●第38話 『魔少女シンデレラ』
 演出は『トラック野郎』シリーズで助監督を務め、『野菊の墓』『Wの悲劇』『ある愛の譜』そして更にはあの悪名高い?実写版『めぞん一刻』でお馴染みの名匠・澤井信一郎、ゲストは先日の『茂七の事件簿・ふしぎ草紙』の第1話『おいてけ堀』でも死んだ亭主を忘れられない若妻を熱演しておりました庵主の好きなアクトレス・高橋かおり・・という、今考えると何ともすごい回です。話は違いますが、『真田太平記』撮影中に円谷浩がザ・テレビジョンだったかの取材に対して「時代劇なんて初めてなので、カツラが重いの(←カマ言葉なのが爆笑)と答えてましたが、あれは間違い。実際にはこのお話で、彼が撮影所に潜入する時に侍に変装してたのが円谷 浩のちょんまげ初体験です(ちなみにアニーは常磐津の三味線流しの変装。ぶはは)。この作品、何といってもヒロインの女優・早見聖役の高橋かおりがイっちゃってます。子役なのにも関わらず、ルージュ塗ってマニキュア塗って、ネグリジェ纏ってシャイダーこと沢村大を誘惑するんですから(おいおい、ロリかよ。でも庵主は、高橋かおりだったら、いいかな・・・←何がいいんだよ!)。ラストでの『遊び』も含め、楽しさ満貫!のお話でございました。映画監督役のフーマ攻撃隊長・へスラー指揮官(久保和彦)、劇中の王子様役の神官ポー(吉田淳=この人、『宇宙刑事シャイダー』の主役オーディションで円谷浩と共に最終選考にまで残った俳優さんだそうです。彼のシャイダーも観てみたかった様な気が・・・)の変装も見落とせません。

 ●第39話 『仮面が踊る聖歌隊』
 これまた澤井監督の映像に対する拘りが随所に見られます。クリスマスの日に子供たちを誘拐して洗脳(子供を誘拐・・てのも、シャイダーじゃよくある話だな)、不満と殺戮の思想だけを心に植え付けたコマンドとして街に解き放とうとする『サタンクロース作戦』をフーマが画策。その思惑が的中し、次々と悪魔の使徒として破壊行動を繰り返す子供たち・・という、定番なお話なのですが、フーマの手先となった子供たちが黒マントと黒仮面に身を包み、横浜・馬車道界隈を疾風の様に駆け抜けていくというシーン、レトロ風の背景と相俟って『シュールさ』という部分においては多分この作品で一、二を争う出来の『絵』だったのではないでしょうか?背後に流れるフーマのテーマ『不思議ソング』がなかなかクワイヤーな色合いを施されていた演出も、このお話の不可思議さにひと役買っていた感じがします。この作品、あの辺の映像だけで評価がほぼ決まったな?ってな感じでした(そう言えば、1991年オンエアの『福沢諭吉』を澤井監督が演出した時にも出演してたんですよね、円谷浩・・・)。

 あとは、「フーマには連戦連勝!負ける気がしないな♪」なんて増長するシャイダーが初めて敗北を喫し、『精神統一のために滝の水を斬る』という、効果があるんだかないんだかよく判らない特訓の末に見事勝利をおさめる第19話の『アニー危機一髪』「フーマの辞書に『卑怯』という言葉は無いのだ。征伐!」と嬉々として宣言するへスラー指揮官や、ウルトラマンレオを髣髴とさせる無意味な特訓に延々と耐え続ける大ちゃんがいいです!異星人のエスパーと地球の少女との儚い心の触れ合いを描いた第32話『僕と君のメロディ』、円谷浩が炎天下の撮影中に実際に日射病でぶっ倒れたという曰くつきの作品であるアクション編(しかし、そのアクションの大半を担ってたのがやっぱりアニー)の第27話『デスマッチの魔島』、やたらと「征伐!」好きのへスラー指揮官と彼の弟とが織り成すフーマの内部分裂話とでも言うべき展開で、アクションシーンのコマ割にやたらとリキ入れてる第28話『魔宮の裏切り兄弟』なんかも忘れられません。あとね、庵主的にお薦めなのが、第46話『幻のショータイム』。この作品、放映期間が1週間分延長になったんで急遽インサートされた、いわゆる『応急措置』的なストーリーなのですけど、お話全体に流れる「穴埋めだから好きな事やっとこーか!」的なスタンスがインパクト激烈な回です。フーマとの最終決戦を前に、アニーの作った手弁当を見て「こんなに食べられないよお〜」なんてヘラヘラ笑う沢村大、決戦に臨む緊張感が微塵も感じられません(^。^)!しかし何より、神官ポー様の七変化が必見!それにシャイダーを追い詰める小道具として使用されるフーマの戦闘員の奏でる『彼女はデリケート(by佐野元春)』の演奏のリフレインが凄い(昔、佐野元春好きだったもんで・・・)。全体通してフーマの執念深さというよりも、帳尻を合わせようとあれこれ展開を模索した末のスタッフ達の開き直りが面白い回でした!
 それから忘れちゃいけない、最終回終了後のSP版『三人の宇宙刑事』!『ギャバン・シャリバン・シャイダー』のパロディー的な色合いの濃い作品なのですが、何が笑うって、いきなりスキンヘッドで登場したギャバンが「何ですか!その頭は・・」なんて突っ込まれた挙句、思わずアドリブで「いや、ちょっとな・・」と答えを濁してしまうシーン。実は大葉健二さん、この頃ちょうど『影の軍団W』の撮影に入ってて頭を剃ってた・・というのが真相なのだそうな。


 ♪戦うのが俺の仕事さ 行くぜ顔を上げて
 走れシャイアン ブルホーク 悪を追い詰めろ
 どんなに逃げたって無駄だぜ 宇宙は俺の庭さ
 鋭い目が この怒りが 見逃しはしない

 心に愛を抱いた 正義のハンター
 獲物はこの平和な 宇宙乱す奴だけ

 君たちの祈りが聞こえる 倒せ倒せ敵を
 倒れたって 立ち上がるさ そうさ俺はシャイダー!


 ♪戦うのは何故と訊くのか それは明日のためさ
 唸れパンチ そしてキック 悪が滅ぶまで
 
 笑顔がいつも似合う 正義のハンター
 眩しい微笑みが 今ファイトに変わる

 君たちの祈りが聞こえる 倒せ倒せ敵を
 無敵の剣 レーザーブレード そうさ俺はシャイダー


 (作詞:山川啓介  作・編曲:渡辺宙明 )



 シャイダーの挿入歌多かれど、この『正義のハンター』ていう歌が庵主、一番好きなんですよ。やっぱ宇宙刑事シリーズには、串田アキラのボーカルが似合うなあ!いまでも無意識に口づさんだりする事、ある。だって歌ってるうちに、むちゃくちゃやる気出てくるもん!こうした『特撮単体ヒーロー系』の歌って、「俺は〜だぜ」ってな伝法な言い回しが不可欠だとは思われません?・・この歌の最後の歌詞通り、倒れても立ち上がって欲しかったなあ、円谷浩。彼が亡くならなかったら、このHPで特撮ネタオンリーのコラムUPするのって、永遠になかったと思う。まあこの番組、最後に不思議獣相手のチャンバラがあるから、それつながりって事で・・・(^_^;)。

 ・・「焼結!」いや、「合掌!」。安らかに・・・。(ToT)/~~~


              今回のお話 『映画版・蒲田行進曲』(’01.10.6 up

 
この題材も前回の円谷浩ネタ同様、『ニの竈』の方にUPすべきなのかも知れないんですけど、今回も敢えてこちらの方にUPしました。『劇中劇』という形でちゃんばらが取り上げられてる事ですし、何しろ『二の竈』のコンテンツが一杯一杯だったもんで(本当はこの辺りが本音だったりする)。
 いえね、最近庵主宅の近くにあるレンタルビデオ屋がこの度店仕舞いしまして、ここ何週間か全ソフト1本につき2泊3日で80円!という破格値でビデオレンタルしていたんですよ。これ幸いと庵主もまとめ借りしていた次第です。で、その中の1本がこの『蒲田行進曲』でした。
 松竹配給で原作がつかこうへい、深作欣ニ監督演出のこの作品、実は’82年の公開時に一度、映画館で観てるんですけど(あん時ゃかなり若かった・・・)、ラストの例のオチだけが鮮明な印象として残ってしまい、ディディールがあんまり把握出来てなかったんです。そんなワケで今回、「1本、借りとく〜?」という仕儀と相成ったのでございました。

 舞台は時代劇撮影華やかなりし頃の東映京都撮影所。新進気鋭の若手俳優・橘(原田大二郎)に押されて最近落ち目の花形役者の『銀ちゃん』こと倉岡銀四郎(風間杜夫)と、彼の取り巻きの一人である大部屋役者の『ヤス』こと村岡安次(平田満)、そして嘗ては主演まで張った時代もあった凋落女優の水原小夏(松坂慶子)の三人が織り成す悲喜劇の物語です。
 何と言いましても、お話冒頭から中盤近くにかけての銀ちゃんのアッパー振りが素晴らしい。夜の町に繰り出す愛車が悪趣味なデコに彩られた物凄いキャデラック(無免許でハンドルを握ろうとする銀ちゃんを見かねた取り巻きの一人に対して彼が毒づくひと言、「馬鹿野郎、これはキャデラックだぞ。キャデラックに免許が要るか!」の台詞が爆笑)、身に付けるスーツもこれがまた場末のチンドン屋ですら滅多に着ない様なケバい代物です。そんな彼の傍若無人な振る舞いに日々振り回される、ヤスを始めとする名も無き大部屋俳優の面々。いやいやながらと言うよりも、彼のそんな我がまま振り全部含めての『銀ちゃんシンパ』なんだなあ、こいつら・・と思わせるに足る献身振りでございました。

 そんなある日、『新しい女が出来たから』というふざけた理由だけで、今まで付き合っていた身重の小夏をあろう事かヤスに押し付ける銀ちゃん。ヤスの住まうボロアパート『太秦荘』におけるその辺のくだりは、まさにアッパー銀ちゃんの真骨頂とも思えるシーンの連続です。「こいつもしかして、いくトコまでいっちゃったんじゃないか?」みたいな破綻振りでありました。
 敬愛する銀ちゃんからの頼みとはいえ、事が事だけに流石に二の足を踏むヤス。それでも押し切られてヘラヘラ笑うヤスに対して小夏は当初、あからさまな嫌悪の情を示していたのでありますが・・・。

 身重の小夏を養おうとしてどんな危ないスタントにも果敢に挑み続けるヤス。傷だらけ血まみれになりながらも、(小指を立てて)コレが、(お腹の大きい仕草をしながら)コレなもんで・・・」と笑いながら仕事を受けるヤスがなかなか可笑しくて、また哀れを誘う部分でありました。「ご祝儀だ!」と、手当てに三千円の上乗せしてくれる手配師の親爺(汐路章)がまた、いい味出してます。この辺りのシーンに友情出演の千葉真一・真田広之・志穂美悦子ら、ご存知JACの面々のアクションもまた儲けもんですね。

 そんなヤスの一途な想いにほだされて、徐々に彼に心を開いていく小夏。彼女を前に「俺ら、最初から顔映る気無いですもん。映画が良くなりゃいいんです!」と謙虚ながらも言い切るヤスに、大部屋役者の矜持を見ました!

 そうこうしながら小夏と目出度く結婚式を挙げ、九州の故郷に錦を飾るヤスを待つ村人たちのお祭り騒ぎがまた妙に微笑ましいです。そんな喧騒とは裏腹に、実は今回の結婚の紆余曲折を全てお見通しだったのじゃないかな?とも思わせるヤスの母親(清川虹子)の枯れた演技が絶妙でした。

 ヤスと小夏とが新婚生活を満喫しているその最中、突如撮影所から銀ちゃんが失踪します。「逃げ出したんだよ・・!」とばかりにほくそ笑む銀ちゃんのライバル俳優・橘とその取り巻きたち。必死に彼を捜し回るヤスが廃工場で目にしたものは、首吊りよろしく天井からぶら下げられた新選組隊士の人形と、映画会社の正月カレンダーのグラビア撮影からも降ろされ、憔悴しきった面持ちで不貞腐れる銀ちゃんの姿だったのであります。
 彼が役者生命を賭けて臨んでいる、現在撮影中の『新選組魔性剣』。この作品のクライマックスである『池田屋の階段落ち』は、過去の撮影の果てに、半身不随にまで追い込まれた役者も存在する・・といった曰く付きのシーンです。会社もその危険性にすっかり怖気づいてしまい、あまつさえこのリスキーな役どころを承諾してくれる役者そのものがどこ捜しても存在しない!自分が再び脚光を浴びるための映画なのに、その最大の見せ場がそんな『仏作って魂入れず』の現状では・・と嘆く銀ちゃん。「ヤスよ。俺たちは今まで馬鹿馬鹿しい夢を見続けていたのかも知れねえなあ・・」と寂しげに呟く彼を見かねたヤスは、あろう事か「俺がやります!」と思わず大見得を切ってしまいました・・・。

 階段落ちへの恐怖感を払拭するためか、ヤスは仲間を引き連れ無理やりドンチャン騒ぎを展開します。しかしめちゃくちゃ命の危険が伴う被保険者だと言うのによくもまああの生命保険会社の勧誘員、あっさりと契約を締結しちゃいましたね〜(普通だったら徹底した被保険者調査の末に、業務の危険度に合わせた割増保険料を設定するのが日常茶飯事ですからね、生保業界ってのは)。

 階段落ちへのヤスの決意を聞いた監督(蟹江敬三)が急に生気を取り戻し、「ひと一人殺すぞお・・。ははは、当たるで!この映画」と嬉々としてはしゃぎ出したり、後に出てくる映画会社の社員(石丸謙二郎)らが、『これはあくまでヤスの自己責任による独断先行』を強調したがる姿勢、万が一の時にもなるべく会社が火の粉を被らない様に・・との『事なかれ主義』そのまんまでしたけど、何かこの辺りに会社組織の奥底に澱んだダークな体質みたいなものが見え隠れする感がいたしました。
 撮影を翌日に控え、アパートで荒れ放題に荒れるヤス。今までどんな撮影も文句一つ言わずにこなしてきたペルソナの反動が、ここに来て一気に噴出した感じもありましたね。
 小夏に大人気なく当り散らしてひと通り暴れた後、自己嫌悪から「お前の事をね、好きになればなる程ね、悲しいんだよね、この心が。・・どうしちまったんだろうね、俺。ホントに・・・」と、本音の嗚咽を洩らすヤスの感情の振幅の甚だしさ。『太秦荘』での銀ちゃんもそうでしたけど、役者って仕事はホント、自分の演技にプライドを持てば持つ程神経擦り減らすものなんでしょうね、実際にも。

 そしてそして、ついに撮影当日。昨夜の暴走がまだ尾を引いているものか、ヤスは撮影スタッフや、さらには来賓の会社重役たちにまで罵詈雑言を吐き続けます。「階段落ちに段取りもくそもあるかよ!」「俺は大部屋だからよ、スターさんみてえによ、たっぷりと間(ま)を取った死に方なんて出来ねえよ!」「最期の一服だぞ。百円ライターで吸えってのかあ!」等々、駄々っ子・銀ちゃんが乗り移ったかの如くキレまくるヤス相手に静まり返る撮影所内。その挙句に、堪忍袋の緒がブチ切れた銀ちゃんが彼を張り飛ばすまでの一連の緊張感こそが、クライマックスに至るまでの最大の見せ場の様に思えたものです。

 そんなこんなでついにシーン71『池田屋階段落ち』の撮影開始。池田屋に一気呵成に踏み込む、銀ちゃん演じる土方歳三を始めとする新選組の面々。二階から彼らを迎撃する勤皇の志士たちの中には、ヤスの姿が。・・両手を広げ、じりじりと化け物並みの高さの階段を登っていく銀ちゃん(この辺の銀ちゃんの目配せの仕方が絶妙!)、その迫力に気圧され、段上へと徐々に後退していく志士たち。そんな中、ついに銀ちゃんの刀の一閃がヤスを捉えました!撮影所の表で叫ぶ小夏の声がその耳に届いていたものかどうか、身をよじらせ、20m以上の高さからまっさかさまに転げ落ちていくヤス・・・(しかしあの階段落ちのシーン、引いたカメラで撮影されてましたけど、ホントに平田満本人が落ちてったのかな?だとしたら尊敬してしまうな!)。

 しばしの静寂の後に気がつき、血みどろの姿のままで今しがた落ちてきた階段を気息奄々の態で這い登っていくヤスの姿には鬼気迫るものがあります。段上で涙ぐむ銀ちゃん・橘両名配下の大部屋役者たち。叫ぶ銀ちゃん、「いいぞヤス、這って来い、登って来い!お前は志半ばに斃れていく勤皇の志士だ。簡単にくたばるな!」。銀ちゃんが思わず演技を忘れ、撮影スタッフたちを仕切りにかかる「カメラ、ズーム狙え、ズームで!スイッチ切ったりすると叩き殺すぞお!!」ってな啖呵が最高だったなあ!
 「どうしたヤス、這って来い、登って来い。・・ここまで!との銀ちゃんの涙ながらの絶叫を受け、ヤスが最期の力を振り絞ってニコリと笑い「銀ちゃん、・・かっこいい・・・」。まさに最高の名場面です。その後再びガックリと力尽きるヤス。果たして彼の生死や如何に・・?

 この『蒲田行進曲』、『人気俳優の虚栄と寂しさ』『端役人生の生き甲斐と辛さ』の様な部分を知悉して来た、当時マイナーな風間杜夫と平田満とが演じていればこそ、ちょっとした誇張はあってもある種の説得力を伴っていたのではないかな?と思います。彼ら両名や、端役の萩原流行らの現在の活躍を見るにつけこの映画、TVや映画作品を縁の下から支える無名役者たちへのオマージュをそのハーモニーの裏旋律に盛り込んだ、文字通りの『行進曲』だったのではないでしょうか?

 余談ですがこのお話の最中にひっきりなしに挿入される『恋人も濡れる街角(通称:恋濡れ)』、カラオケでの選曲に迷った時の、庵主の緊急避難的ソングだったりします(ふははは!)。
 

             今回のお話 『天皇家の忍者(しのび)』(’01.11.23 up

 最近、新潮文庫が『歴史・時代小説フェア』だそうで、庵主も先日数冊買い込んでまいりました。で、その中で真っ先に一気読みしましたのが南原幹雄の『天皇家の忍者(しのび)』。徳川2代将軍・秀忠を大御所に据える江戸幕府と、後水尾天皇を頂点とする京の朝廷。その両者の互いのプライドを掛けての丁々発止の知略戦の陰に蠢く、『静原冠者』と『八瀬童子』という忍び同士の確執を描いた作品であります。

 京都のはずれ・洛北に存在する隠れ里でありますところの『静原郷』と『八瀬郷』。表向きは何の変哲も無い隣り合った集落同士ではありますが、実はこの両集落には四百年以上にわたって暗闘を繰り返してきた過去がありました。それと言いますのも、後白河法皇の『大原行幸』の時代から静原衆の男たちは代々、天皇家の駕輿丁(=天皇の輿担ぎ。時として天皇家の密命により諜報活動に走る事も少なくない重要な役割)に任ぜられていたのでありますが、後醍醐天皇の世からその役目が八瀬衆にチェンジされてしまったのであります。集落全体への『租税免除』という役得までもが与えられるこの役職を八瀬衆に横取りされて地団太を踏む静原衆ではありましたが、八瀬衆の手に後醍醐天皇の綸旨(天皇からの『辞令』と言うか、・・まあ『任命証明書』みたいなものですね)が存在する限り、おいそれと手出しする事は出来ません。朝廷にかつての功績をアピールし続けるも元の駕輿丁衆に復帰する事は叶わず、忸怩たる思いで室町時代から戦国の世を無為に過ごしてきた静原衆でございました。
 そんな膠着状態に終止符を打たんがために、ついに八瀬衆に対する実力行使に打って出たのが静原衆の若棟梁・竜王丸。そして彼はその手始めとして八瀬衆の総帥・釈迦童子の住まいに潜入し、綸旨を盗み出そうと奮闘する部分がこのお話の導入部となります。
 静原衆のメインバトラーは竜王丸の父である竜王坊を始め、愛染坊・般若坊・日光坊・月光坊・地蔵坊・弥勒坊・・という『静原七家』の面々、対する八瀬衆は釈迦童子以下、静原七家の者どもと同等の戦闘能力を誇る薬師童子・不動童子・全福童子・金剛童子・羅刹童子・羅漢童子・文殊童子らの『八瀬八家』。このあたりのネーミングがいかにも『それっぽい』味を醸し出しております。
 釈迦童子らの反撃にあい、八瀬の里から退却する竜王丸でしたがその道すがら、彼は何と釈迦童子の元から家出して来たと言う妙齢の娘・若菜と出会います(釈迦童子の娘なのですよ、彼女)。そして竜王丸が、怪我をしている彼女を寂光院に匿っていたその最中、病床に臥していた彼の父である竜王坊が、八瀬衆の一人である金剛童子の襲撃を受けて暗殺されてしまいました。すでに若菜と理無い仲となってしまっていた竜王丸でしたが(ロミオとジュリエットみたいですな)、その事件を機に八瀬への恨みをさらに激しく燃え上がらせる事となるのであります・・。

 『幕府vs朝廷』というマクロ的な部分に目を転じて見ますと、こちらの方の関係もお世辞にも良好と言えるものではありません。後水尾天皇に、自分の娘である和子を嫁がせた秀忠ではありますが、『禁中並公家諸法度』を公布した時点で既に公家衆からの猛反発を浴びておりました。しかしそれだけ朝廷に目の敵にされながら、なおも彼らを締め付ける手を緩めない秀忠の、真の狙いとは一体、何なのか?・・それは何と、『江戸遷都』でありました。何かにつけて亡父・家康と比較される事を快く思っていなかった秀忠は、ここらで一発、権現様を凌ぐ政策上のスマッシュヒットを放っておきたかったのでありますね。都を京から、自分の目の届く江戸の地へ移す事により、『天皇のご威光』を笠に着る朝廷全体が弱体化するであろう事は想像に難くありません。朝廷とのパワーバランスのイニシアチブを完全に掌中にしたその末に、ますますわが世の春を謳歌出来るはずの徳川幕府・・だったのでありますが、そこに唯一の誤算がありました。それは当の天子様であります後水尾天皇が、そんな幕府の恫喝など屁とも思わぬ毅然たる匹夫だった事であります・・・。
 京都所司代を通じて八瀬衆と緊密な関係を保つ事に成功する徳川幕府。そして朝廷の重鎮である九条関白と懇ろになり、再び駕輿丁の座を八瀬衆から奪還するために遷都計画阻止に奔走する静原衆・・。ここに来て、本来の『天皇家の忍者』である筈の八瀬衆が天皇家を裏切り、現在フリーランスである静原衆が、再び『天皇家の忍者』の座に返り咲かんとするために徳川幕府に牙を剥く・・という奇妙な相関関係が成立します。
 そんなこんなで、八瀬衆から後醍醐天皇の綸旨を奪うことに成功する静原衆。それと機を一にして静原衆に近づく桔梗という名の謎の女性・・・と、お話は波乱含みの様相を呈しながらもクライマックスへのなだれ込んでいく事となるのでありました・・・。

 このお話のキーパーソンは誰か?という話になりますと、庵主はやはり竜王坊(若菜を娶ってから、正式に『竜王坊』を襲名していたのですよ、竜王丸君は)でも釈迦童子でも無く、『後水尾天皇』じゃないかな?と思います(九条関白忠栄も、かなりの曲者ではございましたが)。あの時代の天皇にしてはやたらとアグレッシブなんですよ、この天子様。多分、武家に生まれてもなかなかの武勇を打ち立てたんじゃないのかな?と思えるくらいの果敢さと怜悧さとを持ち合わせております。これまでの天皇の殆どが、『譲位』ぐらいしか幕府への対抗措置を持ってなかったにも関わらず、あろう事かこの天子様、「将軍罷免!」なんて事を堂々と言い放ったりしてしまいます。怖いもの知らずっつーか何つーか、・・・何か、「それ言ったらおしまいじゃん!」みたいな感じですね。彼のこの言動に右往左往する公家衆の慌てふためき振りがなかなか笑えます(笑う場面じゃないんでしょうけど・・・)。
 でもまあ、クライマックスから大団円に至るまでの描写、駆け足にじゃなくてもっとじっくり読ませて欲しかった気がします。炎に包まれた新御所での竜王坊と釈迦童子との最後の一騎打ちも、それまでの経緯を考えるともう少しゆったりと、それでいて見栄えのする展開にして欲しかったところ。その前に各地の反徳川の大名家の元に後水尾帝の密勅を携えてひた走りに走り、その果てに次々と待ち伏せていた八瀬衆に斃されていく静原七家衆の手練れの面々の描写の方が、かなり感情移入出来た部分もあったりして・・・(特に月光坊の最期「はかられるほうが悪いんや」は溜飲モノ。今まで奇襲などの卑怯な手段を用いてきた八瀬衆に対する『目には目を!』みたいな部分が感じられて)。
 最後の最後にご登場の後水尾帝の后・和子様。唐突に出て来て自説をまくし立てるのであれば、それ以前にも彼女が登場する描写、欲しかったなあ・・・。幕府と朝廷との間に立って苦しみ続ける彼女の、リアルタイムの描写があってこそ、そうした煩悶の後に彼女の思い至った到達点が、あのラストにおける心中の吐露であった・・という帰結に説得力が加味され、和子自身にも読者が感情移入しやすいのではなかったかな?と感じました。

 まあ、何だかんだ言って、読み応えありの長編だったと思いました。床屋でのまるまる3時間、退屈せずに十二分に楽しませて頂きましたから!


                 今回のお話 『人斬り』 (’02.3.26 up

 今日、久し振りにビデオソフトの整理をしておりましたら、いやあ〜、観てないタイトルが出るわ出るわ・・。で、今日ご紹介しますのはその中の一本、'69年大映配給の五社英雄監督作品『人斬り』。原作は勿論、司馬遼太郎の『人斬り以蔵』です。
 舞台は幕末の京都。土佐勤皇党を率いる武市半平太(仲代達矢)に心酔する『土佐の狼』岡田以蔵(勝新太郎)がこの物語の主人公。流転し続ける『世の中』というものに上手く折り合いをつけて生きていく事の苦手なこの男の、人間としての『あがき』を真っ向から捉えたお話と言えそうです。

 まず冒頭、武市半平太率いる土佐勤皇党の面々が土佐藩の重鎮・吉田東洋(辰巳柳太郎)の暗殺を謀るシーン、真っ暗。その中で白刃の光芒だけが錯綜し続けているといった一種異様な雰囲気、非常にリアルです。血飛沫までもが妙にねっとりとした質感を伴っていたかの様に感じられました。
 何て事の無い描写なんですけど、居酒屋の女将・おたき(賀原夏子)が勤皇浪人たちの寸評を始めるあたりも新鮮でしたね。普通こうした作品に出てくる居酒屋の女将って、『刺身のつま』みたいな扱われ方じゃないですか。そうしたキャラに、今まさにでかい事をやらかそうとしている勤皇の志士たちの品定めをさせているあたり、今までは頭上遥か遠いところでの首の挿げ替えでしかなかった『変革の波』が、今回だけは明らかに庶民レベルの興味にまで浸透している・・という部分を如実に表していたのかも知れません。
 岡田以蔵が越後浪人・本間精一郎(伊吹総太朗)と立ち回った際、以蔵の刀が本間の胴体を逆さ袈裟に斬り捨てた勢いがあまり激しすぎて、背後の障子貼りの格子までをもいっぺんに切り裂いちゃう!っていう観せ方がケレン味たっぷり。そのあと血まみれの愛刀を眺める以蔵のイっちゃってる様な目線が印象的です。

 良薬も服用し過ぎると毒に転じるもの。調子に乗って数多の佐幕浪人たちを斬り過ぎてしまった以蔵は、それがもとで武市たちにも徐々に疎まれる存在となっていきます。そんなある日、石部宿への討ち入りに置いてけぼりを食ってしまった岡田以蔵、走ります!京から石部宿までの十一里を火の玉状態でノンストップ走破(その様をロングで捉えた映像が唸ります。何とホントに足元から土煙立てて走ってるんですもん。笑うシーンじゃないんですが、妙に微笑ましいマンガ的な効果でした)。バックに被さる佐藤勝の音楽がまた以蔵の焦燥感とぴったりシンクロ!石部宿に到着するや否や、用水桶の水を頭から何度も被り、愛刀の肥前忠吉にプッと水を吹きかけて「俺が土佐の岡田以蔵だあ!」と喚きながら怒号の響く旅籠に乗り込んでいく一連の演出、まさに奔流の如きスピード感です。否が応でもその後の大立ち回りを期待させてくれる雰囲気がありました。

 勤皇党上層部から『変節漢』としてマークされている坂本龍馬(石原裕次郎)に「これは、お前の好きな武市半平太のためにもなる事だ」と友達甲斐に説得され、何と勤皇党が目の敵とする幕閣の重鎮・勝海舟(山内明)の警護を買って出た以蔵。ここにきて武市半平太の怒りが爆発し、以蔵に対して「俺の言う事を聞けぬのなら今すぐ土佐に帰れ!」とのきつ〜いひと言。
 しかしそこは熱血漢の岡田以蔵、武市のためにもなると思ってしでかした事を悪し様に罵られて遂に逆ギレいたしました。
 その挙句、「俺は飼われた犬じゃない!」と大見得を切って武市の元を出奔したまでは良かったのですが、他の雄藩におのれの腕を売り込もうとしても既に各藩には武市の手が回っており、訪ねる先々で門前払いの岡田以蔵、かなり無様です。あまつさえ、土佐勤皇党という後ろ盾を以蔵が失った途端、掌を返して彼に冷たく接し始める周囲の人間たち。そんな現実と、そして自らの限界を悟って自暴自棄となる以蔵に優しく接してくれたのは、薩摩の剣客・田中新兵衛(三島由紀夫。ちょっとルー大柴入ってます)と安女郎のおみの(倍賞美津子)だけでしたとさ。
 結局、武市半平太に泣きを入れて許しを請う以蔵。そこで武市が間髪入れずに下した指示は、勤皇党とも深い繋がりがある筈の公家・姉小路公知(仲谷昇)を亡き者にせよという暗殺命令でした。おまけに現場に残してくる様にと渡された差し料は、田中新兵衛のもの。・・自分に協力的な両名を窮地に陥れなければならないという運命の皮肉に苦しみながらも、夜の都大路で姉小路公知を田中の刀で膾斬りに葬り去る以蔵。その刀の件を問い詰められた田中新兵衛も、陥れられた事を知ってその場で割腹して果ててしまいます(今にして思えば、シャレにならないシーンでした。三島・・・)。

 おのれの業の深さを忘れるためにおみのの元に入り浸っていた以蔵は、無宿人改めの役人とひと悶着起こして牢屋にぶち込まれます。「土佐勤皇党は、この岡田以蔵で保っている・・」との自負を未だに捨てきれない以蔵。いずれは勤皇党が助けに来てくれると信じていた彼を奈落の底に突き落としたのは、牢に訪れた武市半平太の呟く「この者は岡田以蔵の名を騙る偽者だ・・・」のひと言でした。
 そう、岡田以蔵は一度ならず二度までも武市に愛想を尽かされてしまったのであります・・・。

 とまあ、沿革の説明はこのくらいにさせて頂きますね。
 お話前半の岡田以蔵は、粗暴ながらも何やらアッパーで憎めないあんちゃん・・みたいな雰囲気がありました。しかし牢を出た後に土佐に戻った以蔵の相貌には、慕っていた飼い主に裏切られ続けて世間というものの温もりに自ら背を向けた、一種禍々しい狂気の念すらも見て取れます。果たして以蔵は、龍馬と共に九州の地へと向かう事は出来るのでしょうか?それより何より、ねじくれてしまった武市半平太との関わりに、彼はどうやって決着をつけるのでありましょうか?
 この『人斬り』、もう30年以上前の映画ですけれど、今観ても十分、面白いです。

 しかし、萩本欽一が牢名主で、坂上二郎がその一の子分。・・この両名が仕切ってるご牢内って、一体・・・。


 今回のお話 『どこかで誰かが見ていてくれる−日本一の斬られ役・福本清三− (’02.4.24 up


 遅ればせながら、・・・ホントに遅ればせながら、表題の本『どこかで誰かが見ていてくれる−日本一の斬られ役・福本清三−』(聞き書き・小田豊二/集英社刊)を読む機会に恵まれました。

 内容的にはこの本、福ちゃんの大部屋生活の悲喜こもごもをインタビュー形式で上梓したものでありますが、銀幕での東映時代劇華やかなりし頃のスチール写真なども盛り込まれており、資料的価値も伴った一冊であると言う事が出来そうです。

 そして、肝心のインタビュー内容はと言いますと、・・・何でしょうね〜。読めば読むほど、福ちゃんの飾らない人柄と、彼の持つシャイな部分が程よく交錯し、なかなかにまったりとした読後感を味わわせてくれる内容です。
 大抵こうした役者の自伝っぽい本って、今まで自分が味わってきた人生の荒波みたいなものを殊更大袈裟に脚色しがちじゃないですか。そしてその芸歴から培ってきた人脈なんかを半ば自慢げに吹聴してみたり・・。
 この本には全然、そんな部分が感じられないんですね。『中村(=萬屋)錦之助に可愛がられた』『美空ひばり一家には目をかけて頂いた』・・・それらのエピソードって、いかにも自分のステイタスの高さを披瀝する要素として利用されてもいい筈なんですけど、福ちゃんの語る言葉からはそんな思い上がった図々しさが微塵も感じられません。逆に、それらのエピソードすらも福ちゃんの43年に渡る芸歴の『重み』の中でのちょっとしたオマケみたいなもんかな?・・ぐらいにしか感じられませんでした。

 そして何かと言うと福ちゃん、「情けない」「お恥ずかしい」を連発!・・おいおい福ちゃん、そこまでかしこまる必要、無いって。ちなみに本稿の中に出てきたそれぞれの回数、「情けない」が22回で、「お恥ずかしい」「恥ずかしい」が17回!・・っつーか、そんなもんいちいちカウントしてる俺も何だかなー。
 それから、「しょうもない」も何気に登場頻度、高いな。あと関西人の定番ツッコミ「そんなアホな」も多用されていらっしゃる様です、福ちゃん。
 しかし、それらの『情けない』『お恥ずかしい』役者人生をめげる事無く地道に歩まれて来たからこそ、福ちゃんの持つ役者として、いや、人間としてのある種の『深み』が徐々に醸し出されてきたのではないのかな?と思います。
 インタビューの最初で、聞き手の小田氏に対して「こんな、しょうもない話しか、私にはあらしまへんよ。こんなんで、本になりまっかいな?止めとくなら、今のうちでっせ」なんて嘯いていた福ちゃん。
 ・・いやいや!『しょうもない話』どころか、味わい深いお話満載じゃないですか。謎のベールに包まれた(?)役者・福本清三の生の思いというものを吐露されるというだけでも我々一般庶民にとっては大ゴトですのに、それに加えてあんだけ楽しく、そして心に沁みるエピソードを盛り込んで戴けるとは!
 ・・と言うか、福ちゃんの43年に渡る芸歴そのものが、ひとつの『大河物語』の様にも思えて参りましたけど。

 ●大部屋俳優の知恵

 其の一:しょうもない役なんだから、欲はかくな。
 其の二:極端に目立ってはいけないが、少しだけ目立て。
 其の三:どんな仕事でもいい。いい思い出を作れ。
 其の四:自分の名前を売り込もうとしない。相手から名前を聞かれるようになれ。
 其の五:知ったかぶりをしないこと。そうすると、必ず親切な人が現れる。


 東映入社時代から斬られ役に抜擢されるまでの赤貧の時代、徐々にスタッフにも顔と名前を覚えられていってからの自分の『芸風の確立』への目覚め、そして東映剣会の重鎮として後進の指導に汗を流す現在・・・。
 まあ、それらの全てが福ちゃんの口から言わせると「そんなにたいそうなものやありまへんで」という事になるのでしょうが、そんな中で出会った人々(深作欣二・工藤栄一両監督を始め、数知れぬ東映黄金期の大物スター達や、果ては名も知らぬ大部屋の先輩後輩、そして同僚に至るまで)に対する感謝の念を今でも忘れない福ちゃん。やはり人間たるもの、自らを育んでくれた皆様に対し背を背けてはいけませんね(そんな中でもキャラ的においしいのが、不遇時代の福ちゃんを支え続けてくれた『フフフフのお姉さん』では?)!『感謝の気持ち』こそが、人間を少しづつ成熟させていくものなのかも知れません。

 エピソード一つ一つに関しては、未読の方への考慮ゆえに割愛させて頂きますけど、最終章でのひと言「生まれ変わってもう一度やるかって聞かれたら、私は貧乏でも、また大部屋俳優として生きていきたいと思ってます」にはジーンと来たなあ。やはりこの人、根っからの役者バカですよね!「仕事があれば、何でもやりますよ。(中略)まだ、階段落ちぐらいなら、出来ますから」なんて、さり気なくもの凄い発言しちゃってるのにも脱帽です。「もう、どうにでもして欲しい!」っつーくらいにナイスな奴だぜ、福ちゃん(しかし『蒲田行進曲』のモデルが故・汐路章さんだったってのは初めて聞いたなあ。映画じゃ気のいい手配師役、演じてらっしゃいましたね)!
 他にも、現在の時代劇の方向性とか、映画そのものの在り方にも福ちゃんがちょいとばかり憂慮されている部分、庵主もうちいち頷きながら読んでました。『時代劇っぽくない時代劇?』『CG頼みの映画?』。・・・うんうん!ひょっとして福ちゃん、去年夏に封切りになった『あの映画』の事を仰っていたのでしょうか・・・ね?

 この本には以上の他にも、味わい深い『福ちゃん語録』が目白押し!皆様ぜひ、その珠玉のひと言ひと言を、本を手に取って味わってみて下さい。

 最後に一つだけ・・・

 「いやいや、スターさんなんかにならんかて、ええんです。私なんか十五歳からスターさんに思い切り強く斬られながら、一歩一歩、ここまで歩んでこれたんですから。スターさんに憧れるなんてとんでもない。本当に感謝してますわ」

 ・・・も〜!最後の最後まで、謙虚なんだから、この人!


             今回のお話 里見黄門、始動せよ! (’02.6.20 up

 
TBS系『水戸黄門』において、主人公・水戸光圀役である石坂浩二氏が病に倒れてひと月余り、水面下では早くも後継者人事が囁かれていたものであるが、この度ついに石坂氏の後を継ぐニュー黄門役者の名が発表された!

 
その名は・・・(♪ダラダラダラダラダラ・・・・←ドラムのトリム音だと思ってください)里見浩太朗っ!

 ・・ってな引っ張り方しても、恐らく誰も驚きはすまい。何せこの里見氏、石坂氏が倒れた直後に既に次期黄門候補に名前が連ねられていた、ある意味『大本命・一点買い』的な人物である。大山鳴動したのにもかかわらず、ねずみ一匹出てくるどころかそのまますんなり死火山化してしまった・・・っと申し上げた方がすんなり来るかも知れない。

 今さら申すまでも無くこの里見浩太朗、TBS版の初代途中並びに2代目ご老公に『佐々木助三郎』として仕え、『水戸黄門中興メンバー』のうちの筆頭貢献者としてその名を挙げる事に異論を挟む者はおそらく皆無に違いない。
 5代目ご老公役の発表記者会見の席で里見氏は、「いつかはやってみたい役でした」というコメントを残しているが、その野心はひょっとして歴代のご老公に仕えていた時分から彼の心の中にどす黒い暗雲の如く渦巻き続けていたのであろうか?
 「助さん助さんと気安く呼ぶな、このじじい!・・今に見ておれ、今にきっとこの俺さまがお前らくそじじい共にとって替わってくれるわ!」という暗い叫びを心の襞にひた隠したまま、「ご隠居〜♪それでは次の宿場での宿探し、私が先に行ってみてきましょう!」なんて朗らかな笑顔でご老公のポイント稼ぎをする里見助さん、・・・役者ですな!
 5代目ご老公役が確定したその夜、仄暗い自室の片隅でただ独り、里見氏は一体何を思ったのだろうか?
 紅蓮の炎をバックにして「ふはははは・・!勝ったんだ!俺は歴代黄門に・・・勝ったんだあ!」と、『犬神家の一族』の青沼静馬の様に哄笑し続けていていたものか、或いは『JOJOの奇妙な冒険第2部』のカーズよろしく「残るは、この里見独りか・・・。だが、頂点に立つ者は、常にひとりィッ・・・!」と、夜空に向かって叫んでいたものであろうか・・?

 ・・というのはかなりの部分で冗談であるにしても、里見黄門・・・う〜ん。皆様は一体、どの様に思われるであろうか?

 確かに水戸のご老公、齢30年以上の長きにわたり、そのイメージが完全にお茶の間に定着化されているキャラクターであるだけに、その交代時においては後を継ぐ役者がなかなか風当たりの強い立場に立たされざるを得ないシビアなポジショニングと言えるであろう。
 4代目の石坂黄門時でも、オンエア前にはかなりの「それってちょっと、違うくね?」的な空気があちこちから噴出した部分は記憶に新しい。まあ、その4代目にしても、石坂氏が拘泥する『史実への拘り』が完全に空回りしてしまい、挙句の果てに前シリーズでの最終回であのような強引な手段を用いて無理矢理な髭をこしらえ、視聴者の失笑を買ってしまったものである(おそらく石坂氏、あの辺の妥協案を内心忸怩たる思いで受け入れたものと推察されるのであるが)。その代償としての彼のジレンマが、結果としてたった2シリーズでの壮絶な討ち死に(って、まだ死んでないんですけど、あの番組)を誘発してしまったのであろう・・と考えるのは、ちと穿ち過ぎであろうか?

 まあその辺はいいとして、ご老公役というものは、一種の『枯れた』芸風が最低限、必要なスキルなのではないかと思う。歴代のご老公は、それに加えて「ご隠居、お疲れでしょ?おぶって差し上げましょうか?」と問われて、「わしを年寄り扱いするというのか?・・もういい、ひとりで歩いて行きます!」と言い残してスタスタ先に行ってしまう・・という、駄々っ子的なわがままさをも内包しているといった、ある種二律背反的な部分を兼ね備えたキャラであったからこそ、『身近な中納言さま』としてお茶の間のシンパシーを得ていたのでは?と思うのである。その辺り、石坂黄門は少しインテリジェンスを前面に押し出し過ぎた分、その辺りの『視聴者に親近感をアピールし得る性格付け』が若干、希薄になってしまったという側面もあったのでは?と感じる。

 さて、里見氏にそうした『枯れた』雰囲気の匂いが果たして嗅ぎ取れるであろうか?・・いや、里見浩太朗ファンの皆様のために敢えて申し上げておくが、これは決して里見氏の役者としての資質を云々しているのではない。まごう事無く彼は、いい意味においての『当世一代の稀有な時代劇スター』であり、その事自体を否定する術を庵主は持ち得ない。
 ただ彼は、ご老公を演じるにしてはまだいささか『脂っこさ』が多過ぎるのではないかな?という事なのである。確かに里見氏もすでに60半ば、老け役を演じても全く違和感のある年齢では無い。事実、『痛快!三匹のご隠居』では、老境に達した浪人役を好演しておられたのだから(ただしあの番組、共演者の谷啓の得意技が「ガチョ〜ン!」・・・という設定からしてすでに、『大切な何か』を置き去りにしたままスタートしてしまったイロモノ番組・・という印象が未だに拭い去れないのであるが)。
 しかし里見氏もあの番組においては、やはり年寄りを演じてはいても、ご老公とはいささか趣を異にした役どころであったためか、さほど違和感無く観られた様な感じもする。
 「まだ老け込む年では無い!」という感情論では無しに、もう少し演技云々以外の部分での、里見氏本人の持つそうした『脂っこさ=精気』が、ちょうどよい頃合いの恬淡さに熟成されるまで、いま少し間を置いた方がイメージ的に無理なくご老公役にシフト出来そうな気がするのだが。

 ・・・そうした庵主の不安が杞憂に終わってくれる事を、切に願って止まない。

 ところで、今回のご老公交代に伴い、お付きの者たちのキャスティングも一新されるとの事。話によると、「昔のご老公のイメージを前面に押し出したい」という里見氏の意向から、もしかすればあの『うっかり八兵衛』の再登場もあり得るのだとか!やはり高橋元太郎か?・・いや、若手を新たに添えようとするのであれば、ひょっとして松村とか三瓶あたりの『三の線』が来ちゃうのであろうか(しかし、『八兵衛=野暮ったいデブ』という印象しか思い浮かばない事自体、八兵衛に対する最大の侮辱かとも思うが、どうか?)。
 助・格コンビに至っては、やはり今シリーズの失敗の轍を踏んで?『女好きでソツの無い助さん』『朴念仁で格闘技のエキスパートである格さん』という性格付けに帰結するのか?まあいずれにしろ、今回の『下の者に対しては妙に居丈高なイヤな奴・助さん』『人がいいだけで、あとは何にも使えないリストラ候補筆頭の格さん』みたいな性格付けに眉を顰めていたファンにとっては朗報と言えるかも知れない(正直なトコ、今シリーズのイレギュラー的な助・格コンビ、庵主は密かに嫌いじゃないんだが)。
 由美かおるは、・・・やはり今回も残るのであろうな。最初はシリーズのスポット・キャラでしかなかったはずなのに、せんみつ・野村将希らのパートナーが次々とリタイヤしていく中、どんなツテを用いたものかいまだに居座り続ける由美かおる・・・侮りがたし!ひょっとしたらこの人が実は『水戸黄門』最強キャラであるやも知れない。芸者に変装して乗り込んだ先で、「あら、お武家様ごめんなさ〜い。お座敷間違えちゃったみたい〜ヒック!」「これ芸奴、無礼であるぞ!」「まあよいではないか。その方、名は何と申す?これも何かの縁じゃ。向こうの座敷を蹴ってこちらに来て酌でもせぬか?うひひひ・・・」と言い寄り始めるスケベ代官が生息している限り、彼らの天敵である彼女も生き続けられる事であろう。
 しかし、今シリーズ中盤から全く存在感が無くなってしまったお娟配下の三人娘が、実は一番気になるところである・・・。

 実際のところ、王道時代劇であるがゆえにこの『水戸黄門』、毎週飽きる事無く展開されるお約束シーン(このサイトでは敢えて『基本』と呼んでいるが)のつるべ打ち!毎週その展開にツッコミを入れる事を心の糧として長い一週間を過ごしておられる御仁も多い事であろう。
 ・・・そう!『水戸黄門』という長寿ドラマは、老若男女を問わぬそうした視聴者からの果てしなきツッコミや笑い、興奮、そして涙・・。気が遠くなるほどの長き年月に渡り、数限りない人間たちのそうした情念のうねり全てを己れのエネルギーとして吸収し続け、今後も際限なく膨張肥大を続けていく・・・という、『バルンガ』とか『イドの化け物』とか、あるいはコブラの『マーメイド(って、今さら誰も知らねーよ)』を彷彿とさせる様な、ある意味モンスターチックな細胞分裂を延々と繰り返しながらここまで命脈を保ってきたのではないか?という気がする、いやマジで。

 だからこそ、この10月の月曜8時のTV前には、新番組である里見黄門に対して、今までのシリーズ同様に相変わらずツッコミ続けている自分の姿があって欲しいのだ。

 ・・・だって、『本当につまらないドラマ』であればおそらく、突っ込む気すらも起きないものであろうから・・・。

 
           今回のお話 ちょんまげ天国 (’02.11.26 up

 ようやく低迷していた時代劇にもそろそろ復調の兆しが見えてきたかな?と思わせる昨今ですが、先日『ちょんまげ天国』なる時代劇音楽CDを購入しました。手にとってみますと、パッケージのイラストからして何やら人を小馬鹿にした様な妙な怠配感に包まれております。レジに出す時はかなり恥ずかしかった・・・。この恥ずかしさは以前、時代劇写真集の『絢爛!時代劇まつり』を買った時以来だな。

 この怪CDの選曲並びに監修はその名も高き『ペリー荻野』さん。彼女、最近では時代劇のみならずいろいろな方面にアプローチしてのコラム活動が目覚しい御方ですが、やはり時代劇に関して言及するペリーさんが一番生きいきしている様にも見受けられます。この方、基本的には時代劇における『お約束』に突っ込みを入れながらウォッチングを楽しむ・・というスタンスの方なのですが、そんな基本姿勢を保ちながらも、とある悪役さんが逝去なさった時にはうって変わって哀悼の情溢れるしんみりとしたコメントを残してみたり(確か『時代劇が止まらない』での一文だったかな?)、ただいたずらに『時代劇を笑おう!』というだけの、茶化し精神のみのライターではない部分に好感が持てます。

 『水戸黄門』『銭形平次』らの超メジャー級作品から「そんな時代劇、あったっけ?」みたいなマイナーなものに至るまでのフォロー振りになかなか唸らされますね。ただし、その振幅の度合いが甚だしいためか、ちょうどその中間点に位置すると思しき作品タイトルがあまり多くなかったのが残念といえば残念です。確かに各方面からの作品を収録するにあたり、版権その他の問題等もあったのかも知れませんね〜。ど演歌系の曲を極力省いてあるのは、若年層の時代劇ファンへの配慮だったのでしょうか?

 この音楽集、メジャー級作品はもとより、特筆すべきはマイナー作品群の主題歌です。「何、これ!」みたいなナンバーの目白押し!『花のお江戸のすごい奴』『はみ出し野郎の唄』って、タイトルからしてインパクトが凄いな。いかにも『70年代』ってな感じで。『大奥』の主題歌『セ フィニ−愛の幕ぎれ−』なんて、何度聴いてもメロディーラインが掴み切れないよ、こんな歌!しかしとどめは何といっても加藤剛による『風と雲と虹と』でしょうか。ペリーさんご自身も解説で「ある意味、このCDの中で最も衝撃的な曲」と申されてますが、まさにその通りの破壊力抜群の名曲です。想像してみて下さい、例の勇壮なOPテーマそのまんまのメロディーに、加藤さんのあの一分の遊びすら許さない様な硬質な台詞と歌声とが被さってくるイメージを!ホントにもう、脳幹が痺れまくりです。一度聴いたら、MPを半分以上ごっそり持っていかれかねません。「♪いーつか君が風だー、風が君だー」・・ん?なんかよく意味がわかりませんが、とりあえず尋常ならざる気合いの波動だけはビシビシ感じられます。そして大サビの「♪君よ、オーラ!オーラ、オラオラ、オーラ・・・!って、あんたはJOJO第3部の承太郎かい!

 歌だけではなく、OPテーマ曲も6曲ほど収録されてます。その中でせっかく『大江戸捜査網』のOPまで収録してるんだから、出来ればEDの『江戸の夜明け』その他も聴きたかったわいな(杉良さんの歌は、『江戸の黒豹』『ああ人生に涙あり』『すきま風』の3曲がとりあえず入ってますが、『水戸黄門』の主題歌にわざわざ杉良バージョンを持ってくる辺り、選曲サイドのなかなかのしたたかさも感じられます)。

 必殺シリーズからも5曲収録されておりますね。まあ、その中でも『荒野の果てに』『旅愁』あたりは外せないナンバーである部分は言わずもがなではありますが、『冬の花』を入れるよりももっといい曲がありそうな気もする今日この頃(鮎川いずみファンの方、ごめんなさい。・・・って、ファンの方、いるのか?)。

 これだけ数多くの曲が収録されていながら(ナンバーは下記参照)、お値段は税抜き2000円!というのは安いかもしれませんね。何と言ってもほぼ全曲オリジナル音源ってのが嬉しいです。

 しかしよく考えてみると、収録曲のうちの7割方は庵主のPCのハードディスクに既に入ってるんだよなあ・・・。それでも購入せずにはいられないあたり、悲しき時代劇ファンの性なのか・・?


※収録曲

『水戸黄門』より『ああ人生に涙あり』/『銭形平次』より『銭形平次』/『江戸を斬るU』より『ねがい』/『木枯らし紋次郎』より『だれかが風の中で』/『遠山の金さん』より『テレビシーン』『すきま風』/『子連れ狼』より『ててご橋』/『半七捕物帳』より『風が吹く時も』/『大奥』より『セ フィニ−愛の幕ぎれ−』/『将軍の隠密!影十八』より『うたかた』/『浮浪雲』より『GIVE UP』/『てなもんや三度笠』より『てなもんや三度笠』/『花のお江戸のすごい奴』より『花のお江戸のすごい奴』/『いただき勘兵衛旅をゆく』より『はみだし野郎の唄』/『新五捕物帳』より『江戸の黒豹』/『風と雲と虹と』より『風と雲と虹と』/『暴れん坊将軍』より『旧オープニング曲』/『三匹が斬る!』より『1-M-01A(インスト)』/『大江戸捜査網』より『大江戸捜査網・テーマ』/『大岡越前』より『テーマ』/『服部半蔵 影の軍団』より『オープニングテーマ』/『文五捕物絵図』より『文五捕物絵図のテーマ』/『必殺仕掛人』より『荒野の果てに』/『必殺必中仕事屋稼業』より『夜空の慕情』/『必殺仕舞人』より『風の旅人』/『必殺仕事人V』より『冬の花』/『暗闇仕留人』より『旅愁』

(以上、SONY MUSIC HOUSE MHCL161)