『キワモノの天井裏』:期間限定コンテンツだったりします。



   『庵主、春の道南を往く』  『U・KI・YO・E』



                   庵主、春の道南を往く


 庵主はこの3月20日から22日までの足掛け3日にわたり、北海道は函館の地を探索して参りました。実は庵主の爺さまが住んでいた土地がこの函館でして、庵主も幼少の頃から数限りなくこの地を訪れてはいるのですが、まるっきりフリーな立場で遊びに来たってのは今回で3回目くらいなのかなあ(社会人となってからは恐らく初めて)。いえ、お彼岸期間ゆえに亡くなった爺さまの仏壇に水をやりに来た!ってな大義名分はあるのですが、やはり主目的は観光です(^o^)。初めて赴く旧跡や、かつて訪れた名所などが現在、どうなっているのか?という辺りも興味があったりして・・。
 ホントは、函館戦争の激戦地、木古内や松前、二股なんかの古戦場跡もじっくり見たかったんですけど、いかんせん時間が無さすぎた(T_T)。・・なワケで、殆ど函館市内のメジャー処しかこの戦争に関する遺構は見物出来ませんでしたぁ!
 めちゃくちゃつまらない道中記ではございますが、どうか冷やかしにご覧になって下さいませ。<m(__)m>



 2000.3.20(一日目)

 出発の朝です!・・しかし、前の晩(といいますか、今朝)2時間程しか睡眠を取っていなかったもので意識は朦朧。とりあえずりんごジュース一本飲んで、弘前駅へと向かいます。搭乗する列車は快速いわき1号。さすがに祝日だけあって乗ってる人影もまばら。40分ほどこの電車に揺られて青森駅へと到着いたしました。乗り換えの待ち時間20分程で乗り込んだ列車が快速海峡1号。・・はっきり言ってマヌケです。何がマヌケかって、これがいわゆる『ドラえもん列車』。車体にのび太やらジャイアンやらが思いっきりペイントされてました。内装もこの通り。しかしこの列車、ただそれだけ!別に車内のBGMに菊池俊輔の音楽が流れるワケでもなく、売り子のお姉ちゃんがしずかちゃんのコスプレして車内販売するワケでもない。ただ海峡トンネルの入り口と出口のアナウンスで大山のぶ代が「それでは海底へ出発ぅ〜」「海の底は楽しかったかなぁ〜?」と例の調子で叫ぶだけ(^o^)。そ、それでいいのか?ドラえもん・・・。
 庵主は乗って10分もしないうちに睡魔に襲われかけましたが、通路向かいの女子大生らしき2人連れは携帯をピコピコさせながらキャーキャー騒いでるし、後ろの座席の小学生グループは標準語で「JR北海道の路線区の全長は○○kmもあるんだぜ」なんて鉄ちゃんオタク的な薀蓄を垂れてるし・・、眠りに就くまでは結構時間がかかりました(^_^;)。イヤーウィスパー持ってくりゃ良かった・・・。
 それでも3時間弱で函館に到着!着いた瞬間、特別な感慨も何も無く、「あ〜、腹減った」。・・てなワケで、駅隣りの朝市の食堂で『巴丼(ともえどん)』なるものを注文。この巴丼、どんぶりメシにイクラ、ホタテ、それにウニがこってり盛られているというワガママなもの。でも、これだけ派手に盛られちゃ、かえってウニやイクラのありがた味が薄れるなあ。やっぱり少ない量をチビチビ食べながらの方が、美味しさを満喫できる食材もあるのだという事を再認識させられました。いや、確かに『巴丼』もうまかったですけどね。
 お腹いっぱいになったところで、目指すは駅から歩いて10分の『土方歳三最期の地碑』。今を去る事131年前の明治2年5月、ここ一本木の関において『関の兼定』を振りかざして新政府軍の迎撃に打って出た土方は、兵員も武装も数段勝る彼らからの集中砲火をその身に浴びて35年の生涯を終えた訳ですね。・・『生き急ぐ事は即ち、死に急ぐ事』、そんな文句が思い出される壮烈な戦死であります、南無三・・。
 で、行ってみましたら・・・無い!10数年前に来た時は若松小学校前のグリーンベルトに鎮座ましましていた碑が、どこかに消えている!庵主の記憶違いか、はたまた・・・。慌てて観光案内の掲示板を見てみると、どうやら向かいの総合福祉センターの敷地に近年、移転していたとの事。も〜、人の死に場所を勝手に移動させるなよなあ・・(^o^)。
 そこに行って見たら、ございました。5月の五稜郭祭りから夏の観光シーズンにかけてが最も見物客が訪れるらしいのですが、今はオフという事もあってこの碑の前にいるのは庵主と、傍のベンチに横になってるホームレスらしきおっさんのみ(^o^)。
 手を合わせた後に写真を数枚。「死に場所を見世物にされちゃあ面目が立たねぇよ。・・斬る!」なんて、あの世で日野訛りの啖呵を切っちゃいないでしょ〜ね、土方さん。どうせ5月になれば女の子にキャーキャー騒がれる事になるんですから、この色男(^o^)。
 で、駅前に戻って取り敢えずの交通手段・市電の2日間フリーパスを1,700円にて購入。その際、近くのおみやげ屋さんもちょっと覗いて見る。まあ、函館という事ですから、『GLAY』のプリントTシャツが売られているのは納得できます。しかしそのすぐ横に並んでた『SPEED』のTシャツは・・何だ?彼女たち、函館出身だったかあ?庵主はそっち方面は暗いのですが、もっと遥か南の出身だった気がしたのですけど・・・気のせいか(^_^;)。
 さっそく市電に乗って湯の川のホテルにチェックイン!・・の予定が、ちょっと早く来すぎたみたい。仕方無いので近くの熱帯植物園をブラリと歩いて見る。ニホンザルやリスザルは相変わらず可愛かったのですが、前に来た時に相当数いたワニが見当たらない。さては死んだか、ワニ・・・。しかし熱帯植物園の中は蒸す、蒸す!おまけにこれまで歩き通しだったので汗だらけ。さっそく目の前に見えてきた『洋服の青山』でTシャツ購入。何が面白くて函館くんだりまで来て『洋服の青山』で買い物せにゃあならんのか・・・。
 ようやくチェックインした後はホテルの母家に向かって爺さまの仏壇に菓子を上げてご挨拶。実はこのホテル、庵主の亡くなった爺さま夫婦の経営だったんです。ですから、世が世なれば庵主も『会長様の御孫様』(^o^)。
 爺さまへの義理も果たした事だし、ひと風呂浴びて明日の行動計画を作成。・・しかし、計画通りにいかないのが庵主なんだよなあ。
 夕食の後は浜に出る。函館山からのみならず、平地から見る夜景もなかなかのもの。『山と海との間にたゆたう天の川』の様な趣がございました。もっとも海の方は漁期ではなかったせいか、漁り火は見えませんでしたが。しかしいつ聴いてもいいものです、潮騒というヤツは。
 再びホテルに戻りテレビを観る。何とBSでJ・フォード監督の『駅馬車』がやってるではありませんか。・・う〜ん、いつ観ても名作ですなあ!あ、あとですね、庵主が旅行の際にいつも楽しみにしてますのがその土地でオンエアされてる『時代劇の再放送』。函館じゃあ『大岡越前』やってました(あと正午に『家康が最も恐れた男・真田幸村』なんてのもオンエアされてた様です、結局観られませんでしたが)。芥川隆之も松山英太郎もまだご存命だし、佐野浅夫の佐橋孫さんは登場したての様だし、10年以上前の越前かな?これは・・・。しかしやっぱり当時の『げっぱち』、フィルム撮影がいいですよね、雰囲気があって。今みたく薄っぺらなビデオ撮影の『げっぱち』と違って、『光の重み』みたいなものが感じられます。
 何だかんだ言って時刻は23時を回りました。明日も早いので、取り敢えず寝ますか。


 2000.3.21(二日目)

 Good Morning!本日も晴天なり。朝飯食って、いざ行かん。まずは近場の五稜郭!
 市電に揺られる事8分、『五稜郭公園前』で下車した後、徒歩で五稜郭へ。取り敢えずはタワーには目もくれずに公園内へと突入致しました。ご存知の通りこの五稜郭、慶応2年に完成をみたわが国最初の城郭型要塞であります。一時期旧幕軍の拠点となったとは言え、その直後の新政府軍総攻撃の前に函館湾弁天台場並びに千代ヶ岡陣屋という最後の二大砦も撃破され、その持てるポテンシャルの全てを発揮する事無く新政府軍への明け渡しへの道を辿ったこの悲運のフォートレス、歴史的に醒めた視点から見てみると戦艦大和同様、「・・何のために存在したんだよ?お前」みたいな部分、ありますね。もともとこの五芒星の中央にあったのは函館奉行所だったとか。この辺、何か中途半端。土塁だって一番の高所から見下ろした景観がこの程度ですし。純粋に戦闘要塞として使うのであればもっと土塁を高くして立体的な迎撃も可能なつくりにした方が・・とも思いましたが、『予算の都合』ってのもあったのでしょうね。五稜郭の南西部に1ヶ所だけピコッと突き出た『半月堡』も初年度設計では全方位に設計予定だったとの事、それが出来なかったお陰でさすが最新鋭の要塞も死角だらけになってしまったんでしょうね。
 お濠には氷がビッシリ張ってました。明治初期にはこの氷を切り出して『函館氷』として中央に売り出していた時期もあったとか。商魂たくましいですね、函館商人。
 土塁の回りには数限りない電灯が取りつけられたままとなっております。これが冬場のイベント『五稜郭星の夢』の際には一斉にライトアップされ、それはそれは美しいイルミネーションなのだとか。・・しかし、こうして白日の下に見ているとこの電灯や電線、邪魔モノ以外の何物でも無いなあ。土塁の縁に埋設して、もちっと目立たない様に出来なかったのかなあ?
 園内に入って『市立博物館分館』の前へ。博物館正面で朝日を浴びながら鈍い光芒を放つ2基の黒鉄の砲門前で開館時間を待つ。・・待つ事10分、9時を過ぎても開館の気配無し。妙に思って博物館に連絡をつけたところ、・・あれ?「今日は休館日ですと?聞いてないよ、そんな話!パンフにも『火曜日休館』とも『振替休日』とも記載されてないじゃないですか!う〜む、悔しい。明日、出直すか・・・(-_-メ)。
 その博物館わきには旧函館奉行所の兵糧庫がございます。その前にありますのが五稜郭を設計した幕末の兵学者・武田斐三郎という人の顕彰碑です。レリーフの文言をよく見てみると、『日本で唯一の・・』というくだりの部分が微かに削られ、訂正されているのに気付きました。この顕彰碑を建立した当初は、『五稜郭=日本で唯一の西洋式城郭』と思われていたのでしょうね(実際には、長野県の臼田町というところにもう一つの『五稜郭』があるそうです。もっとも、こちらは未完成らしいですが・・)。
 ついでに五稜郭タワーに登る。けど、高さ60mのタワ−じゃ、見下ろせる範囲もたかが知れてます。それで料金が一般630円也。するってえと、『1m=10円ちょっと』という事になるのかな?1階のエレベーターの前では、ワイドビジョンで日テレの年末時代劇『五稜郭』を延々流しておりました(^o^)。ところでこの五稜郭から離れる事3kmの地点に寂しく存在する『四稜閣』ってのもあるんです。これは要塞と言うよりも完全に『土塀のでかいやつ』らしいとか。ここも見に行きたかったのですが、交通の便が余り良くないらしく、時間に追われる今回の旅の訪問予定地候補から泣く泣く削除。次回こそは行ってやる!
 次に行ったのが『碧血碑(へっけつひ)』。・・聞いた事あります?これ、旧幕軍の戦死者の菩提を弔うために函館山のふもとに明治8年に建立された慰霊塔なんです。当時は「朝敵たる旧幕軍を慰霊するなぞ、言語道断!」といった新政府軍のお達しが幅を利かせていたんですね。それに義憤を感じた侠客・柳川熊吉という人物が新政府の目をかいくぐり、一命を賭して野ざらしのままの旧幕軍兵士の遺骸をかき集め、この地にひっそりと埋葬したのを後になって榎本武揚、大鳥圭介(京唄子が深呼吸する度に「吸い込まれる〜」なんて叫んでたあの芸人じゃないですよ。どちらも旧幕軍の重鎮で、敗戦後に新政府軍に宗旨替えを余儀なくされた人物です)らによって完成を見ました。それにしても柳川熊吉、・・大した度胸ですねえ。こうした市井の一侠客の偉業など歴史の流れの中で顧みられる事の無いのがこの世の常。そうした名も無き『義憤の士』がこれまでの歴史の中で、一体何百人、何千人いた事やら・・・(-_-;)。
 雪深い斜面を登り、やっと到着した碧血碑。枯草ぼうぼうの中にひっそりと佇んでおりました。古写真には見受けられた槍型の柵も石壁も今や無く、周辺の雪上にはワケの判らない動物やら鳥やらの毛や羽の塊りが散らばっております!そして至るところに張り出されている『マムシ・スズメバチに注意』なんて看板を見るにつけ、「旧幕軍の魂は、これでホントに鎮められているのだろうか?」などと感じる事しきりです。新政府軍兵士が元町の護国神社に大っぴらに奉られているのとはまさに雲泥の差。
 ・・確かに旧幕軍は『賊軍』でしょう。戦に負けた以上、戦勝者からそうしたレッテルを貼られてしまうのは致し方ありますまい。ただ、同じ賊軍でも今なお語り継がれるヒーローが土方歳三であろう事は言を俟ちませんが、函館戦争で戦死を遂げたのは決してメジャーな彼ひとりでは無いんです。土方の『滅びの美学』とやらに酔いしれて前述の『〜最期の地碑』でVサインしながら記念撮影して満足しながら五稜郭回ってサヨナラするのも結構ですが、世間の表舞台から顧みられる事無く無念の死を遂げた800名余りの無名兵士がかの地に眠っているのだという事にも、そうした人たちにはほんのちょっとでもいいから思いを馳せて欲しいなあ・・・と感じてしまいました。
 この碧血碑を含んでの『函館山散策コース』、ちょっと立待岬まで足を運んでみる事にしました。ブラブラ歩いて30分弱、道路脇のいたる処で見受けられたのが『カエルに注意!』の看板(^o^)。山を歩くと『クマに注意』『シカ飛び出し危険』という看板にお目にかかる事は珍しくありませんが、まさか函館の町なかで『カエル』とは!・・実は、この散策コースの途中にある函館八幡宮の境内にある小さな池が、このエゾヒキガエルの唯一の繁殖地なんだとか。そんな看板を見ながら立待岬へ行く途中には、函館山の斜面に設けられた市営墓地がございます。時おりしも彼岸の真っ最中、ご先祖に花を手向ける人々と幾度となくすれ違い、お線香の香りの中、あちこちから聞こえてくる読経の声を背に受けて坂を登っていきますと、偶然『石川啄木の墓』が目に入りました。手向けられる花も無く、未だ冷たさの残る早春の潮風にその身を晒しているそのロケーションは、失意のままに夭折した漂泊の天才詩人の墓として、余りにハマリ過ぎておりました。確か庵主の爺さまの墓もこの辺にあったらしいけどね、場所が判らないから、い〜か(^o^)。
 で、立待岬に到着しましたが、・・・春霞のせいなのか、やたらモヤめいておりました。遥か遠方に確認できるという下北半島も殆ど見えず、ああ・・何か損した気分。
 元町に向かうべく再び赴いた市電・谷地頭駅では、初老のおじさんに声をかけられてしまいました。何でもおじさんの持つカメラと庵主のカメラとが同じ機種であるとの事(Canon EOS-55)。約10分ばかりカメラ談義に花が咲き、待ち時間を退屈せずに済んだ次第です。こうした事があるから旅は楽しいですね!
 市電・十字街駅で降りますと、そこは古の港町の佇まいを残す元町界隈。めちゃくちゃ幅の広い坂の石畳の上を行ったり来たり、こここそまさに、『♪さよならさざんか、坂の町』(^o^)。そんな中、北方歴史資料館と市写真歴史館とを先ずは攻めてみました。北方歴史資料館はアイヌのみならずイヌイット等の北方系民族に関する史料を網羅しております。そして市写真歴史館は幕末から現在に至るまでの写真の歴史史料を展示、カメラおたくにはたまりません。しかもこの2館とも、旧日本銀行函館支店と旧北海道庁函館支庁舎という、ハコものそれ自体が貴重な歴史的価値を持つ建造物ってのが嬉しいですね。その割りに入館料を300円と200円というリーズナブルなプライス設定に押さえてあるのも好感が持てます。『市の遺産を、ひとりでも多くの人に観やすい形で』という観光都市・函館のポリシーの様なものを感じます。
 その次に訪れた旧函館区公会堂、真っ黄色の外観に驚くもつかの間、『今日は休館日』だそうな、ここも。
 仕方が無いので八幡坂を下り、函館市文学館へ。函館ゆかりのいろんな文学者たちの史料が展示されております。ちゃんばら小説関係では古くは『丹下左膳』の林不忘、『顎十郎捕物帳』の久生十蘭、最近の人では『髪結い伊三次』の宇江佐真理(フジテレビの番宣パンフも陳列されてました、ははは)などの史料が目を引きましたが、ただ一人異質だったのが『辻仁成』。ま、あの人も文学者だもんなあ、一応・・・(^_^;)。2Fはさすがに『石川啄木』オンリーでございました。
 で、赤レンガの中華会館を尻目に再び大通りへ。お腹も空いてきた事だし、二十間坂の『五島軒』でランチを食べる。函館随一の歴史を誇るこの五島軒、窓からは元町のレトロな町並みが・・・って、窓を見てみたら道路工事のむさ苦しいおっさんがバーナーでアスファルト焼いてたぞ(^o^)。いえね、この日の元町、どこもかしこも道路工事だらけ!思いっきり風情を削ぎまくっております。そりゃま、シーズンオフという事で今のうちにまくりをかけてるのか、或いはお役所の年度末予算を使い切るための工事なのかは知りませんが、もうちょっと何とかならなかったかなあ・・・。
 金森倉庫群で暇をつぶし、『日本最古のコンクリート製電信柱』なんつー有り難いのか何なのかよく判らない電柱をボーっと見上げたあとに市電に乗って帰途へ着きました。市電の車中、「何か忘れていた様な・・」と思ったら、・・あっ.!『高田屋嘉兵衛資料館』に寄るの、忘れたあ!高田屋嘉兵衛と言えば司馬遼太郎の『菜の花の沖』でも有名な、あの豪商ですよね。今回是非とも行って見たかったトコなのに、よりによって忘れるとは!・・ああ、ヌケてるな〜(T_T)。
 ホテルに戻って露天風呂へ。しかしさすがにこの時期の露天風呂はめちゃくちゃ寒い!早々に湯から上がって晩飯食いました。テレビの『志村けんのバカ殿スペシャル』を観て大笑いしたあと、地下のゲームコーナーでたった一人で機械相手に麻雀勝負。・・な、なんか虚しいな・・・(^_^;)。
 無意味な遊びに時間を費やした挙句、就寝したのは12時過ぎ。さて、明日がラストですか!あっという間だったなあ・・・。

 
 2000.3.22(三日目)
 
最終日も日本晴れ。この3日間雪も降らず、気温も庵主の在所よりも高かったんじゃないのかな?ホントに『春の訪れ』を感じさせてくれた函館でございました。
 ホテルをチェックアウトした後、昨日休館日だった五稜郭の市博物館分館へ。・・あ〜、良かった。今日は開いてた(^o^)。
 入館料100円。う!こりゃまた妙に安いな。展示傾向としましては、1F部分が戊辰戦争の流れをマクロな視点から追った感じの史料を展示しており、2Fには主に函館戦争に関する細々とした展示品が陳列されておりました(『戊辰戦争』と言うと、どうしても函館での最終決戦のみが頭に浮かんでしまいますが、要は『鳥羽・伏見の戦い』から端を発し、北陸戦争〜上野戦争〜東北戦争〜そして函館戦争に至るまでの局地戦の積み重ね即ち『戊辰戦争』なのですね、言うまでもない事なのですけど。・・しかし庵主も時として『函館戦争=戊辰戦争』という認識で捉えそうになるもので、この辺は自戒でございます)。
 1Fでは新政府軍の士官が着用していた軍服やチョッキ、陣羽織、そして松前藩士着用の甲冑などが目を引きました。2Fに行ったら旧幕軍に撃沈されました新政府軍の戦艦・朝陽の名板や数々の砲弾、鉄砲などの興味深いものがあります。新選組隊士の中島登の描いた例の隊士たちの戦友姿絵も展示されてましたし、そのすぐ次のショーウィンドーには土方歳三の遺品の鉢金(残念ながらレプリカ)なんかが展示されています。その上に飾られたお馴染みの土方の肖像画の隣には、寄り添う様にイバちゃん(勿論、池波正太郎の『幕末遊撃隊』の主人公、伊庭八郎その人ですね)が!・・何かイバちゃん、阿部寛に雰囲気、似てます・・・(^_^)。そのイバちゃんの使った刀の鍔や口金も展示されておりました(こっちは本物らしい)。
 ところで、いい調子になって展示物を写真に撮りまくっていますと、ショーウィンドーの脇のホント見過ごされそうなトコロに『撮影禁止』の表示が!うあ〜、ごめんなさ〜い<m(__)m>。でも、もうちょっと目立つトコロに表示した方がいいと思うよ、博物館さん。
 全部見終わって博物館の外へ出たら、妙に日差しが眩しく感じられました。う〜ん、規模は小さいながらも、妙に『濃い』資料館だったなあ。・・当たり前の事ですけれども、戊辰戦争にしても新政府軍にしてみれば徳川の旧態依然とした『悪しき』慣例を引きずる旧幕軍を根絶やしにする事が『正義』であると考えたのでしょうし、旧幕軍とすれば決して正攻法とは言えない手段を用いて大政を奉還させた新政府軍の『姑息な』連中の軍門に下っては武士としての生き意地が立つまい!と考えたのでしょうね。双方には双方の信じる『正義』があります。そのどちらかを一方的に誤りであると断じてしまうというのは、少なくともその時代に生き得なかった身としてみれば多分に「おこがましい」事なのかも知れません。しかしその『正義同士の衝突』により、何の罪咎も無い一般の市井に生きる人々が火の粉を被ってしまうのは、何としても避けなくちゃあなりません。事実この函館戦争においても、松前藩の城下町の大半が灰塵に帰しておりますし、最終決戦地の函館でも市街地の3分の1が焼失しております。結局戦争なんてものは、市井の人間には『虚しさ』しか残さないものですよねえ。・・なんて事考えてましたら、向こうから旗持ちの添乗員を先頭に30人程のおばちゃん達の群れが!おお、錦の御旗を持つ官軍かあ!た、退却(^o^)。
 そうこうしているうちに11時半になっちゃいました。函館の地最後の食事は駅近くのKIOSKでの『海峡ラーメン』。これね、まだ青函連絡船があった頃、その船内で庵主が必ず食していた思い出の一品です。う、みそ味が一杯750円!ちょっと高いな、まあい〜か。
 それを平らげたらもう正午近く。駅へ行って時刻表を確認、庵主が乗る予定の海峡8号は14時13分発。まだ余裕はあるのですが、あえて庵主は予定を変更、12時6分発の海峡6号に飛び乗る事に致しました。いえ、別に深い意味は無かったんですけど・・・。
 で、海峡6号。・・またもや『ドラえもん列車』!さては津軽海峡線の快速は、みんな『ドラえもん』なのか!・・恐るべし、藤子不二雄!
 青森までは殆ど記憶がございません。恐らく函館駅の売店で購入した『北海道限定生ビール』を引っ掛けてるうちに寝ちゃったんでしょうね〜。青森に着いたら、その到着ホームから2本ほど離れたホームに3月11日デビューの『スーパーはつかり』が!・・かっこいい〜!庵主は鉄っちゃんマニアでも何でもありませんが思わず一枚パチリ。これが今回の旅行で撮影した最後の写真となりました。

 戻って来てみて、・・いやあ!ホント『ひとり旅』っていうのは気楽でいいですね!ヘタに女の子なんかが居ると「あ〜もう、私、疲れちゃった〜!タクシー拾おう」なんて駄々こねられるでしょうし(庵主は原則的に『徒歩の人』なんです。他の交通手段に訴えるにしても市中散策の際は専ら市電やバス程度。その方が旅行なんかだとじっくり町中を眺められますからね)、連れが男だと「何でそんなトコ見学しなきゃならねーんだよ、つまらねえ・・」なんて喧嘩になっちゃうし(庵主はあまのじゃくなもので、他の人が行きたがらない場所に惹かれる傾向があるんです。ゆえに、高校の修学旅行の時なんか周りが「清水寺!」「三十三間堂!」なんて騒いでいる中、一人だけ「六波羅密寺を見に行こう・・」なんてカルトな事言って思いっきり浮きまくってましたから)。
 も〜、いい加減在所の方に戻って来たくは無かったのですが、そうも言ってられませんね!また明日から気合い入れて頑張りましょう(しかしリフレッシュのための函館の旅でしたが、かえって疲労して戻ってきた様な気が・・・)。
 でも、夏になったらまた行こ〜っと(^o^)。

 ※追記
 そうそう、庵主の乗る予定でした帰りの海峡8号ね、何でもその日の午後1時半ごろに函館〜木古内間で停電がありまして、数時間ダイヤが狂った様ですよ。考えてみれば何の気無しに出発列車を繰り上げて正解だったみたいですね、ラッキー!


 


                      U・KI・YO・E



 この4月15日から5月14日までのひと月の間、庵主の在所の市立博物館において、『六大浮世絵師名品展』なる特別企画展が開催されました。横浜の平木浮世絵美術館からの120点を一堂に集めたこの特別展、庵主は最終日に(よくよく『楽日』が好きですね、庵主も・・)ようやく観に行く事が出来ました。
 『現物』という事で、生で見るとさすがに往年の原色バリバリの色彩は望むべくもなく、かなり褪色したものも若干見受けられましたが、なかなかに見応えのある催し物でございました(そのうちの北斎・写楽・歌麿は確か映画にもなりましたね)。
 ほんのちょっとではございますが、彼ら6人の浮世絵の大家のプロフィールとその作品、並びに庵主が直にそれらに向き合っての感想などを以下に紹介してみたいと思います。このせちがらい『憂き世』に身を置けばこそ、こうした『浮世絵』を見ながら少しはなごんだ心境になりたいものですね!

 ※以下の作者名をクリックして下さいね!


                   鈴木春信(Harunobu Suzuki)

                   鳥居清長(Kiyonaga Torii)

                   
喜多川歌麿(Utamaro Kitagawa)

                   東洲斎写楽(Sharaku Toushusai)

                   葛飾北斎(Hokusai Katsushika)

                   歌川広重(Hiroshige Utagawa)

         
       なお、画像は『六大浮世絵師名品展』展示品カタログよりキャプらせて頂きました(^_^;)