ゲームコラム未満 過去ログ

2003年3月


3月4日

 ゲーム脳関連記事の削除について
http://allabout.co.jp/game/portablegame/closeup/CU20030301A/index.htm

 私も偉そうなことはいえないのだが、志を持って記事を書いている以上、そのまま掲載している方がよかったと思う。

 あの記事を読んで、「ゲーム脳の恐怖」 という本がいかにあやしい説で成り立ってたか、よくわかった。
 そして記事について満足した(?)ために、ゲイムマンの期待していた反応をしなかった、というのが私の弁明になる。
 まあ、弁明というのもなんか変だが。

 偏見を打ち破っていくには、時間をかけて説得していく必要がある。
 あの記事は決して埋もれない、力強い記事だったと私は思っている。

 全然関係ない話だが、私の住んでいる放送エリアでは、ガンダムがやっている。
 あと5分ぐらいで始まる。
 セイラ・マス役の井上瑶さんが逝去されたという噂がネットで飛び回っている。
 なんか落ち着かない気分だ。


3月5日

 昨日書いた訃報は本当だったらしい。
http://www03.luvnet.com/~pegasus/
 ご冥福をお祈りします。

 さて、ゲーム脳関連記事の削除について。
・「ゲームは有害」という結論から組み立てられている
・検証ができていない。 推測から結論を導き出している
・読み手の恐怖感を煽っている
・脳波はまだ未知の領域であり、説得力に欠ける
 などがインタビューによって明らかにされた記事であった。
 今さら(?)の反響の大きさからいって、ゲイムマンの仕事は無駄ではなかったといえよう。
http://slashdot.jp/articles/03/03/04/0024216.shtml?topic=19

 ゲイムマンはゲイムマンになる(マスクをつける)前、ゲームブックの記事を書いていたことがある。
 これからも私は応援していきたいと思っている。


3月6日

 創土社に動きあり。
http://www.soudosha.com/kentu-.html

「送り雛は瑠璃色の」 という作品は、和風ファンタジーが好きな人には気に入ってもらえると思う。
 陰陽師も登場するし。

 ダイソーは買い取り方式
http://www.asahi.com/column/aic/Tue/d_takuki/20030304.html
 昔のゲームブックをダイソーで売ってみたら売れるだろうなー、と私は思っていたのだが、無理なようだ。
「100円は哀しい」
 とは、ダイソー社長の矢野博丈の言葉である。


3月11日

 今回は「吉野家の経済学」という本を紹介する。
 日経ビジネス人文庫 安部修二・伊藤元重
 安部は吉野家ディー・アンド・シー代表取締役社長。
 伊藤は東京大学大学院経済研究科教授である。

・値段を変えるということは、システムを変えること
 値下げで客数は増加した。
 その客数を回していくためには従業員の教育・訓練やシステムやインフラの合理化などが必要である。
 つまり大幅に値段を下げるということは、組織改革につながるということである。

・1980年に吉野家倒産
 急激な店舗展開に材料と人材が不足した。
 肉やたれなどのの品質を落として対応するしかなかった。
 さらに一杯300円から350円に値上げした。
 吉野家のブランドは大きく崩れ、倒産した。

・会社更生法適用
 新会社を設立させようとする勢力がやってきて、本部は重苦しい雰囲気に包まれた。
 そんななか、隔離されていた社長が会社更生法をダメ元で申請、これが受理される。
 まず今までの吉野家ブランドを維持するという姿勢が決められた。
 さらに給料を支払って人材を確保し、外部の人間(弁護士など)の意見から既成概念を取り払い、わずか3年9ヶ月で全額返済した。

・吉野家の商品コンセプト
 まず「商品は飽きない」という非常識から出発する。 商品の魅力はバラエティの多さではないという信念。
 飽きさせないためにどうするのか、主力商品を固定した上で消費者が何を求めているかを考える。 そこからシステムを作っていく。

・まとめ
 客が持つ吉野家への信頼が、ブランドである。
 ブランドはクオリティと、それを意識した人間と人間関係によって形作られていく。
 ブランドと客の求めるものをできるだけ近づけていく。
 吉野家がずっと牛丼を作っていく必要はない。
 例えばソニーなどは、トランジスタラジオ・ウォークマン・ビデオデッキ・パソコン・プレイステーション2など商品を変えてきた。
 つまりブランドのみが永遠である。


3月13日

「吉野家の経済学」を読んで、ゲームブックのことを考えてみる。
 吉野家の牛丼のまねをして、まずゲームブックが飽きられないというところから考えてみる。
 飽きられない本、飽きられないゲームとは何だろうか。
 しばし現実を忘れ、仮想の世界に入り込んでしまう小説。
 登場人物と人間関係によって奥行きや濃密さを表現する小説。
 何回やっても展開が変わり、行動とその選択にスリルを感じるゲーム。
 チャンスを見極め、それまで積み重ねてきたものを発散して目標を達成するゲーム。
 まだいろいろあるだろう。
 こういった面白さをゲームブックに練りこむことが、飽きられないゲームブックを作る第一段階なのだといえよう。

 ちなみに私の実家は飲食店をやっている。
 そこで私は働いている。
「吉野家の経済学」と読むと、個人経営とチェーン店ではこんなにも違うものかと、改めて認識した。
 個人経営では値段の設定などを実験することはほとんどできない。
 合理化を考えると、とてもチェーン店にかなわない。
 個人経営は、チェーン店のブランドの裏を行かなくては生きていけないのである。
 どの店とも違う、その店固有の特徴。
 系列店ならば同じサービスが受けられるというブランドとは、全く違うやり方だ。
 これが客に受け入れられるものであれば、その店は生きていくことができる。
 そしてそれが成功したからといって、安易にチェーン展開を始めると失敗するのである。
 なぜなら、客が個人経営店とチェーン店では求めるものが違うからである。
 むしろ個人事業家が新しい店を作るときは、全く違う雰囲気のオリジナル店を作ったほうが成功するのではないか、と思っている。


3月20日

 自分の考えをまとめて文章に起こすということは、かなりの苦しみを伴うと思う。
 しかしそれは、自分を見つめなおすきっかけになる。
 正解を導き出すことも必要だ。
 ただその過程で培った思考力は他にも応用が利きやすい。

http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20030317/1/
 コピー&ペーストは便利だ。
 そしてそれが問題になることもあるだろう。

 この事例では生徒と教師の狙いにずれが生じている。
 教師の狙いは思考力の発達である。
 ところが生徒は画面の情報を丸写しにした。 おそらく生徒はお手軽な正解を求めていたのだろう。
 しかし丸写しは考えたとはいえない。 反応・反射という表現のほうが近い。

 これはコンピュータやインターネットが発達したから出てきた問題なのだろうか。
 半分ぐらいあたっていると、私は思う。
 だがこの問題の根っこは、以前からあったものであるような気がする。

http://www.1101.com/essay/index.html
 こうした問題に、山田ズーニーは真剣に取り組んでいる。
 一度読んでみることをお奨めする。

 子どものころの勉強は、問題と解答がセットになっている。
 それがいざ大人になると、正解というものがわかりにくい問題がいっぱい出てくる。
 子供のうちから思考力を鍛えておけば、大人になっても戸惑いが少なくなるだろう。

 少なくとも、これだけはいえるのではないか。
 誰かの文章丸写しより、筆者が自分の頭で考えた文章の方が魅力的である。


3月22日

http://www.linda3.co.jp/cgi-bin/bbs/anything/cgi-bin/article.cgi?Id=3117

 飽きられないためのゲーム作りについて、桝田省治がコメントしている。
 リンク先が見れないといけないので引用する。

> 僭越ながら心構えだけ言わせてもらうと、以下2点。
> 1.いろんな人がいろんなプレイ環境で、いろんな遊び方を
>していろんなことを考える。
> そのいずれをも肯定し、可能な限り手間を惜しまず全力で
>サービスする。
> 2.ゲームの中身をあらかた知っている僕がプレイしても
>面白いように、データだけでは思惑通りにならない乱数を
>複合的に、重要なところに敢えて入れる。

 ゲームが少なかったころは、それこそひとつのゲームをやりこんだものだった。
 これはゲームブックも同じだ。
 のちのちゲームがたくさん売り出されるようになってくると、一回しか遊ばなくなったり、積んだまま遊ばなくなっていく。
 初期のファイティングファンタジー作品などは何回も遊んだ記憶があるが、ブーム以降は一冊を何回も遊ばなくなった。
 そのかわりに、新しいゲームブックに手を出したり、ファミコンゲームに手を出したりしていた。

 でも面白かったゲームブックは(斜め読みも含めて)、何回も遊んだ。
 テレビゲームのやり方とは若干違うだろうが、何回遊んでも面白いゲームブックについて考えることも必要だと思う。


3月31日

http://skoba.hp.infoseek.co.jp/advanced/stmk/difference.html

これを読んでいると、「火吹山の魔法使い」がTRPGに近いゲームブックであるように思う。
「火吹山」はプレイヤーに与える情報量が多い。
魔法使いの弱点さえ公開している。
プレイヤーはTRPGそのままに、能動的な役割を与えられていた。

それに対して「ソーサリー」等はプレイヤーに与えられる情報は少ない。
この情報コントロールによって、プレイヤーでありながら物語的な面白さを味わうことができるようになっている。
ゲームブックは育つにつれ、TRPGから物語に近づいていった。
それはなぜだろう。
「死のワナの地下迷宮」が成功したからであろうか。
それとも世の中にゲームマスターより、物語作家の方が多かったからだろうか。

まとめたらコラムになりそうだな。


2003年4月

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