ゲームブック 我が原点

 この文章は2000年7月22日、このホームページが開設されたころに書いたコラムです。


 ゲームブックとは、選択肢によって区切られた小説の形をしたゲームです。

 選択肢の数はだいたい400ぐらいです。この選択肢は 1・2・3……と順番に読んでいくものではなく、「きみ」は行動を決定して、指定された選択肢を読み進んでいきます。400番が大抵ゴールになっています。

 ゲームブックは小説と違って、話は一本道ではありません。読者は本の中にいる「君(きみ)」となって、ゲームの中の謎を解いたり、登場人物とコミュニケーションを図ったり、困難を乗り切っていきます。

 友達に勧められて初めて読んでみたゲームブック、それは「運命の森」という作品でした。
 どうやらヤズトロモという魔法使いに会わなくてはならないようです。
 彼に会った直後に、私にとって運命的な出会いがありました。
 それは一羽のからすでした。その部分をとりあげてみましょう。

 君は苔むした木の道標にたどりつく。道標の上には大きなカラスがとまっている。それには二本の標識がついていて、北と東と書いてある。どちらに行こうかきめかねていると、「こんにちは」という声を聞く。声のする方向に目をやると、カラスが君を興味深そうに眺めているではないか。ちょっと小ばかにされたように感じながらも、きみもゆっくりと「こんにちは」と答える。カラスがふたたび口をひらき、君がどこへ行こうとしているのかをたずねる。君は茶色のうろこをもつ小さくてがっしりした怪物、ゴブリンを二人さがしているのだ、と答える。カラスは自信たっぷりに言う。「金貨一枚あれば、俺のアドバイスが買えるんだがなあ」 君は
  金貨を支払ってアドバイスを受ける(これを選択しました)
  カラスを無視し北へむかう
  カラスを無視し東へ行きつづける

 君はカラスに言われたとおり、道標の上に金貨をおく。すると、カラスは「北へむかえ」と言う。なぜ金貨が欲しいのかとたずねると、カラスは、もういちど人間の姿にもどるためにはヤズトロモに金貨三十枚を支払わねばならないのだと答える。君はカラスにわかれのあいさつをする。助言にしたがって、北へむかうなら…へ進め。東に行きつづけるなら…へ。

 コンピュータRPGだったら、こういう表現はできないでしょう。私は当時出ていたファミコンのドラゴンクエストよりも衝撃を感じました。そしてコンピュータRPGよりも、わずかな文章であくの強いキャラクターを表現するゲームブックに、私は魅力を感じました。
 今でこそコンピュータRPGのグラフィックは書き込まれ、ドラマシーンが挿入されたものも珍しくありませんが、ゲームブックにははじめから挿絵があり、小説ばりのキャラクター性・ドラマ性をそなえていたので、最初から完成度が高いジャンルだったといえるでしょう。そして、その完成度の高さが、ゲームブックの人気の凋落の原因と言えるのかもしれません。

 ゲームブックとコンピュータRPGとの間には緊張関係があった、と私は思っています。コンピュータRPGが好きな人はゲームブックのことを歯牙にかけていなかった人もいるでしょう。でもゲームブックが好きな人なら、コンピュータRPGに対抗心を燃やし、コンピュータRPGの良い面を取り入れていく姿勢が現れていました。その代表といえるものが、ドルアーガの塔3部作です。

 ドルアーガの塔において導入された新しい要素、それらは成長(経験値をつむ)、マッピング(地図を作る)、仲間が出来たという3点でした。特に仲間が出来たという要素は、その後の国産のゲームブックに多大の影響を与えました。コンピュータRPGにおける仲間とはパーティーの戦力を意味するものですが、この本の中の仲間とは、生き生きと話し掛けてくる登場人物なのです。戦力ではありません。
 ただし、これ以降のゲームブックにおいては、仲間は能力値をもち戦闘に参加します。それはそれで面白いのですが、電車の中でゲームブックを読むということは難しくなってきました。

 ゲームブックは小説の利点をそなえ、選択肢にパズル性をそなえることで発展したゲームだと思っています。

 ゲームブックのパイオニアである「火吹き山の魔法使い」と、その後に続くファイティングファンタジーシリーズはこのことを理解し、質のいい作品を提供してきました。
 しかし、その後に続く粗製濫造のゲームブックに、2つの利点が備わってないものが多すぎました。
 そして、ある意味致命的なゲームブックへの勘違いが、製作者のほうからおきました。
 それは「ゲームブックは、RPGの入門編」という認識でした。

 「火吹き山の魔法使い」などに代表される主人公は、「君」と呼ばれる無色透明な人物です。
 「君」は「冒険者」と呼ばれますが、TRPGにおける「職業」という概念がありません。
 戦士でも、魔法使いでも、盗賊でも、僧侶でもありません。
 話によって、「暗殺者」であり、「トレジャーハンター」であり、「探検家」であったりします。
 そして、無色透明なはずの「君」は、話によって「暗殺者」の視点でものを見たり、別の話では「トレジャーハンター」の用心深さを発揮します。
 小説の形を取っているゲームなので、当然の書き込みです。

 「ゲームブックはRPGの入門編」という認識は、TRPGの入門編である、ソロアドベンチャーというゲームブックを生み出します。TRPGルールで作成されたキャラクターを使って、ゲームブックを楽しむものです。
 でも、それには小説のような書き込みはありません。そこにある「君」は、どのような人物かを特定できないからです。
 そうなるとゲーム性で補うことになるのですが、それならばはっきり言ってコンピュータRPGの方が向いています。
 そして、こういう勘違いをおこしたのが、ファイティングファンタジーシリーズを翻訳して出版していた社会思想社であることが皮肉です。

 それにしても、年に何冊か質のいいゲームブックを出版してもいいんじゃないの?って思ってしまいます。社会思想社さん、ファイティングファンタジーの続きを出版してよ・・・・・・。


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 現在(2002年1月8日)の私の考えでは、TRPGのソロプレイ本がいわゆる“諸悪の権化”だとは思っていません。むしろソロプレイ本の、割り切ったゲーム性を別の意味で評価しています。


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