逆説メジャー論その1 抽象化


 これから私が書く内容は、逆説である。
 ゲーム論の暴走である。
 一応内容は、ゲームがメジャーになるにはどうしたらいいか、である。
 ゲームを売り出すターゲットは、すべての人間と決めた。私の考えた真面目な妄想に、よろしければお付き合いください。


 ゲームブックもTRPGも私は大好きである。
 もっと多くの人に知って欲しい。
これらのゲームがメジャーになるには、どうしたらいいのだろう。

 私の考えるメジャーという定義は簡単にいうと、

(知名度)年代性別に関わりなく広く知られていて、
・(支持層)ファンがいて、
・(商売・職業として成立)プロが存在する、

 という三点が同時に成立することである。間口が広く、奥行きが深いという状態だ。

 多くの人に支持されやすいゲームはどんな特徴があるのだろうか。
 意外かもしれないが、ゲーム自体に何ら思い入れを抱かせないゲームのほうが、幅広い消費者層に受け入れられやすいのだと私は思う。そのゲームのベテランになろうとも、他人に対して思い入れの押し付けがないということは、他者が参加しやすい環境であるといえる。

 そしてゲームがメジャーになるためには、徹底して抽象化が行なわれなくてはいけない。これによって、必要でない情報はばっさりと切り落とされる。情報を整理し、アルゴリズムにしたがって、ゲームの流れを読む、ということが単純になってくる。技術が上達すれば一つ一つの行動の意味が大きくなる。
 情報の整理やアルゴリズムの適用の段階で混乱していては、ゲーム時間が必要以上に長くなり、行動の意味が小さくならざるを得ない。抽象化は、ゲームの密度を高める効果がある。
 実際、シンプルなルールほど抽象化されたゲームであるといっていいと思う。

 また、抽象度が高められたゲームは見通しがよくて親しみやすい。ルールははっきりしていて、フェアプレイかそうでないかわかりやすい。なにより勝ち負けがわかりやすい。プレイヤーのみならず、観客にとっても、有益であるといえる。
 余談になるが、ファンや観客について少し書いてみる。観客はゲームの流れを読むことはできるが、プレイヤーが何を考えているかわからない。そこで観客はプレイヤーの考えを読みたいと考える。ここで観客は感情移入してしまうのだ、と私は思っている。

 ゲームブックやTRPGをメジャーなものにするのであれば、思い切ってキャラクターを抽象化することも、視野に入れなければならない。
キャラクターを、必要な数字の塊だけにするのだ。思い入れなど残る余地はない。
それでもプレイヤーはキャラクターを通してゲームに参加するので、感情移入する余地は十分に残されている。

 メジャーを目指して、より間口が広いという状態を考えてみよう。キャラクターはあらかじめ作成されている。キャラクターの情報は少ないが、キャラクターの得意なことは知らされている。プレイヤーは獲得した情報を分析し、行動を宣言する。ゲームの目標にたどり着いたら、プレイヤーの勝ち。リタイヤしたら、プレイヤーの負け。それがより間口の広いゲームの形である。よりゲーム性を高めるのであれば、キャラクターの抽象化をさらに推し進め、単純にトークン(ゲームの駒)として扱われ、負けたときの悔しさが後を引かないほうがいい。やり直しが簡単なほうがいいだろう。これだけキャラクターを軽んじてもなお、悔しさが後に残る人は、きっとギャンブルに向いていない人だろう。でも、私はこういう人は理解できる。

 ややTRPG向けの話になってしまったのでゲームブックについて考えてみると、ファイティングファンタジーは、きわめて間口の広い作品である。なにしろ、“きみ”が主人公である。キャラクターの抽象度は高いといえる。
 キャラクターの情報は少ない。でも得意なことはプレイヤーに知らされている。障害物を乗り越え、ゲームの目的を達成する。見事にゲームの基本に忠実だといっていい。

 ゲームにおいて障害物を乗り越えることは、最もわかりやすい楽しみの一つであると私は思う。障害物の乗り越え方がマンネリに陥らなければ、ゲームの構造が単純であっても飽きがこないと私は思っている。

 かつて、新規開拓のために子ども向きのゲームブックが作られていた。その多くはコンピュータゲームを下地に作られていた。興味をひいて、手にする確率も増えるだろう。だが子ども向きの作品だからといって、初心者向けのゲームブックだとはいえない。初心者向けのゲームブックは、障害物を乗り越える楽しさを満喫させることに重点を置くべきである。ファミコンゲームを下地に作られている作品であるなら、ファミコンゲームの攻略法以外の、障害物の乗り越え方を取り入れる必要がある。これによって本家より刺激的になる。だが障害物の乗り越え方は、攻略本の域を越えられないと以前聞いたことがある。嘘情報になってしまうからだ。これでは、ゲームブックの独自の面白さをなかなか味わえないに違いない。

 小説としての作りこみのされている作品は、深みある。障害物を乗り越え、目標に達するという単純な楽しみに加えて、それ以外の面白さを発掘していった。だが抽象化することができないがゆえに、間口が狭くなっていった。

 以上は、TRPGとゲームブックの、“ゲーム”だけを抽出した意見である。
 いままでの意見をまとめると、

・幅広く支持を受けるゲームは抽象化されている。
・ゲームの構造も抽象化することによって、より参加しやすくなる。
・ゲームをメジャーにするために、ゲームを参加しやすくしよう。

 ただこれだけでは不十分だ。
 誰もが参加しやすいゲームになっても、参加してくれるとは限らない。そこでゲームの中でも、飛び切り魅力的な要素で人々の気を惹こうと思う。妄想は、さらに続く

2002年9月11日


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