逆説メジャー論その2 賭博性


 前回はTRPGやゲームブックから“ゲーム”の部分を抽出し、ゲームがメジャーになる方法を考えてみた。そこでより多くの人が参加しやすくするためには、ゲームの抽象化を行なったほうがいいという提案を出した。
 しかしそれだけでは不十分である。参加しやすいことと、参加しようという気持ちになることは別のことである。
 ゲームの要素の中には、人々の関心を惹きつけてやまないものがある。それがこれから述べる“賭博性”である。

 ゲームブックには小説としての表現方法が、TRPGにはロールプレイという楽しみがある。
 小説としての表現方法やロールプレイは、ゲームとは別の楽しみだと私は思っている。そしてそれらとゲームとしての面白さを分けて考えることにそれなりの意義があると考えている。
 私はゲームブックやTRPGから“ゲーム”の部分を抽出して、その魅力の一つである賭博性にスポットをあててみることにした。なおゲームに賭博性を認めても、賭博を積極的に奨めているつもりではない。年代性別に関わりなく、人を惹きつける魅力が賭博にはある。ゲームがメジャーになるための、現状では最も有効な手段の一だと私は思っている

 賭け・賭博は感じが悪い言葉だ。しかし、“勝ち負けがはっきりしている”“一手一手の意味が重い(ハイリスク、ハイリターン)”“目標がはっきりしている”という条件が当てはまる最適な言葉として受け取って欲しい。

 私はTRPGやゲームブックは賭博の対象にならないと思っている。どこかで賭博から外れたところが存在するような気がする。

 TRPGをみてみよう。
 賭博三原則(?)からみると、どれもこれも当てはまらない雰囲気だ。
 何でもできるTRPGは、何でもできるがゆえにマスターは、プレイヤーの行動を予測することが難しい。そして目標から外れれば、ハイリスクを選んだとしてもハイリターンにはならない。
 そもそも必ずしも誰かが利益を独占するというゲームではないので、勝ち負けが判別つきにくい。

 ロールプレイとは、キャラクターがプレイヤーの思考に影響を与えることである。

 そしてロールプレイは、ゲームの中でプレイヤーの思考を混乱させる要素にもなりえる。
 賭博的な価値感から見れば、ロールプレイは必要とされていない。一般人からTRPGに関心を持たれにくい理由は、賭博性から離れすぎているから、などという意見は強引過ぎるかもしれない。しかしロールプレイの面白さが伝わるよりも、ゲームの中の賭博性に欠陥があるというところに、人々の興味を惹かない理由があるような気がする。
 ちなみに私は、ロールプレイが大好きである。

 ではゲームブックではどうか。
 “勝ち負けがはっきりしている”
 これは障害物を乗り越えていくことが当てはまるだろう。
 “目標がはっきりしている”
 ゲームブックを解く、というのがそうである。
 “一手一手の意味が重い(ハイリスク・ハイリターン)”
 これがちょっと引っかかるところだ。実際ゲームブックはズルをしようとすればいくらでもできる。しおりを挟んで、選択肢の先をあらかじめ読んでから、どちらにいくか決めるのである。
 これに対して、スティーブ・ジャクソン(英)はいくつもの試みを行っている。その一つは、“○○という状況になったら、その項目数から20引いた項目に進め”というものである。ソーサリーに使われている。同じくソーサリーに使われているトリックに、第1巻で見つけたロケットの数字が、第4巻のあるイラストに深くかかわってくるというものがある。
 そして三つ目は、地獄の館・モンスター誕生に使われている仕掛けである。“この選択肢を選んでしまったら、どうあがいても脱出できない”という遅効性のワナである。しおりを挟んでおいたぐらいではわからない。
 これら三つの仕掛けは、「ゲームには緊張感があったほうが面白い」というスティーブ・ジャクソンからの隠されたメッセージであるような気がしてならない。
 コンピュータゲームはシステムの段階で情報や行動を制限できることにおいて、ゲームブックより優れている。ゲームブックに緊張感を持たせるには、本文中に工夫を入れなければならない。

 もう一つ、紹介したいものがある。
 それはゲームブックではないかもしれない。ロストワールドシリーズというものだ。
 一言で言うと、2冊の本を使っての2人用対戦ゲームである。短剣戦士、騎士などさまざまな種類の本があり、行動を記載したシートがついている。シートは手元に置き、本を交換する。お互いが自分のシートを見て行動を選択すると、あるページをめくるように指示される。そこには、相手のとった行動がイラストで見て取れる。相手のヒットポイントを0にしたら勝ちである。
 戦闘そのものの単純なゲームであるが、やってみると案外面白い。前回の話にも触れたことであるが、抽象化が行われているにもかかわらず、感情移入が起きるのである。短剣戦士と野蛮人(?)しかやったことがないのでバランスに関してはなんともいえないが、賭博三原則は満たしている。イラストが一般人に受け入れられやすいものであれば、メジャーなゲームになることができるかもしれない。

 賭博というものは、参加者の感情移入が激しく、緊張感をもたらす効果がある。そして人はそれに魅力を感じてしまうのだ。
ずっと賭博に関して書いていたのは、TRPGやゲームブックがメジャーになるために、賭博がもたらす効果をゲームに応用できないかいう期待から来ているのだ。
 賭博に近いものに、射幸心を刺激するといったものもある。トレーディングカードゲームは射幸心の刺激について、視野に入れているといっていいだろう。

 さて、これまで抽象化と賭博性について書いてきた。これを応用すれば、さぞかしゲームは魅力的になるに違いない。ゲームの一例を考えてみよう。
 キャラクターの自己主張はない。ダンジョンから宝物を奪い、生還することが目標だ。障害物はいくつも用意されている。プレイヤーの選ぶことのできる行動はコマンド化されていて、プレイヤーは次の一手に集中できる環境にある。

 このゲームについて“面白い”と感じるか、に考えてみることにしよう。やっと“逆説”っぽくなってきた。

(2002年2月14日)


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