逆説メジャー論その3 メジャー志向と思い入れ


 これまで何の説明もなく、赤色・水色・黄色の文章がごちゃごちゃに混ぜられていた。
 ややこしいことをしてごめんなさい。
 水色も黄色も、それなりに意義のある文章としてマーキングされていた。赤色の文章をサポートするものを水色、そうでないものを黄色と私は区別していた。
 赤色の文章は次のことを書いていた。
・ゲームを売り出すターゲットは、すべての人間と決めた。
・TRPGとゲームブックの、“ゲーム”だけを抽出した意見である。
・これ(抽象化と賭博性)を応用すれば、さぞかしゲームは魅力的になるに違いない。
 ゲームがメジャーになる前提を、赤色で書かれた文章で表現していたのだ。


 “面白いゲームは、メジャーになるべきだ”
 “メジャーなゲームは、面白いはずだ”
 と私は思っていた時期があった。ゲームが面白くなれば、みんな面白さに気付いてくれる。これがメジャーへの早道だ、などということは、信じてみたいことがらだ

 その前に、面白いゲームについて考えなくてはならないことがある。
 誰が、どの程度の評価を下すか、である。

 誰が、というのはこの文章でははっきり決められている。すべての人間が、対象である。
 どの程度の評価を下すか、これが問題である。

 ポーカーは、メジャーなゲームの範疇に入っていると思う。
 そして、抽象化と賭博性が入った、魅力的なゲームである。
 というわけでポーカーはゲームブックやTRPGより、面白いゲームである……。いや、果たしてそうだろうか。

 実際のところ、人が一番面白いと思っているものは、その人によって違っていると考えたほうが、自然なのではないかと思う。一番面白いと思っているゲームには、その人特有の思い出や思い入れがあって、実際のゲームの魅力をより引き立てているのではないだろうか。
 ポーカーは抽象化されていて、思い入れが入りにくくなっている。思い出はあるかもしれないが、ストーリーのあるゲームではないので思い出が共有されているわけではない。その点において、一番面白いゲームとして選ばれにくいといえる。にもかかわらずポーカーがメジャーであるというところをみると、メジャーなゲームは一番面白いといえるゲームでなくてもいいのだ、ということがいえるのではないだろうか。

 メジャーなゲームをするときはどんな時であろう。それは不特定多数の人数が集まって、暇つぶしをする時であると思う。
 こういう時に、メジャーなゲームは強い。抽象化されたルールはとっつきやすく、賭博性は魅力的である。ルールを知らない人にポーカーのルールを教えることはできるが、知らない人にTRPGのルールを教えるなんて私にはできない。

 思い入れができるほど何か一つに打ち込むということは、簡単にはできないことだ。さらに多くの人を呼び込むことは、もっと難しいことだ。すべての人をターゲットにするのであれば、ゲームに何が求められているのか関心を持つ必要がある。

 話を戻しつつ、少し整理しよう。
 ゲームのとっつきをよくしようと思ったら、そのゲームの抽象化と賭博性を強化する必要がある。
 だがゲームの主観的評価というものは、思い入れや思い出を含んでいる。
 ゲームの抽象化と賭博性を強化することによって、主観的評価が他のゲームに劣ることもありえる。
 以上が、ゲームをメジャーにしようとした時に起きる連鎖反応である。

 “キャラクターの自己主張はない。ダンジョンから宝物を奪い、生還することが目標だ。障害物はいくつも用意されている。プレイヤーの選ぶことのできる行動はコマンド化されていて、プレイヤーは次の一手に集中できる環境にある。”

 これは前回の最後に書かれた、魅力的であろうゲームの一例である。
 ゲームの抽象化と賭博性が強調されている。このゲームは“火吹き山の魔法使い(創生期の傑作ゲームブック)”や初期の“ダンジョンズ&ドラゴンズ(TRPGのシステム)”と非常に似ているといえるのではないだろうか。

 これまでゲームの進化は、思い入れや思い出作りに強化されていたと思う。私は、それ自体悪いことではないと思っている。ゲームブックはストーリーの魅力を取り入れ、TRPGはロールプレイの魅力を取り入れた。ゲーム以外の面白さを発見していくことは、ゲームの魅力を発掘していくようで楽しかった。しかもファンは裏切らない。10年の空白を経てもゲームブックのファンは存在しているではないか。
 だがとっつきは悪くなっていった。初心者を取り込みたいのなら、メジャー志向の作品を多くしたいところだ。だがベテランにとってみれば、もっと思い入れのある作品が欲しい。何だか、メジャー志向と思い入れ優先とで、対立軸が築けそうな構図である。もっとも、それは競い合うことを私は望んでいるのであって、どちらかが勝利することが発展につながることはないだろう。
 ゲームブックの売り込み先が、すべての人なのか、ゲームブックファンであるか。この二者は微妙に求めるものが違っている。だがどちらも有望な市場である。これからゲームブックが順調に出版されるのであれば、メジャー志向と思い入れ優先が、バランスよく共生してくれることを私は望んでいる。


(2002年2月28日)


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