思い入れの功罪


 このコラムは、あびきゃすというホームページで公開したコラムです。対象は家庭用ゲーム機のゲームのファンとなっています。

 ゲームとは何か言葉で書くよりも、実際ゲームをやってもらったほうが100倍わかりやすい。言葉というものは、なかなか伝えられないものだ。
 ゲームとは、目標に向かって障害物を乗り越えていく、意思決定の連続である。
 意思決定の際には情報と、自分が管理する資源を考慮に入れる。そして意思決定の後にはプレイヤーやプレイヤーの駒(ロールプレイングゲームなら、キャラクターを意味する)に利害がかかわってくる。このとき生まれる心の動きを、感情移入と呼ぶ。
 ポーカーを例に取ってみよう。目標は掛け金の獲得である。障害物は他のプレイヤーである。その場の情報を分析し、自分の手札と資金を考慮に入れる。
 障害物の乗り越え方はいくつか存在する。他人よりいい役を作って勝つこと、勝てそうもないと判断したらゲームから降りること、そして他のプレイヤーを全員降りさせることである。

 ゲームの純粋な魅力とは、障害物を乗り越えることと、感情移入であると私は思っている。
 さらに世間一般に流通しているゲームには、何らかの付加価値がついていて、ゲームに新たな魅力を見出そうというものも多く見られる。モノポリーや人生ゲームなどの紙幣は、雰囲気を高めるために役立つ。家庭用ゲーム機のロールプレイングゲームは、キャラクターや背景世界の設定、ストーリーなどが付加価値というものにあたる。
 付加価値は、ゲームの純粋な魅力に加えて、ゲームを面白く思わせる作用がある。この作用によって、ファンは思い入れを持つ。思い入れを持つ対象は作品に限らない。作者や、会社のブランド名もその対象に当てはまる。思い入れによって市場が活性化する。消費者に思い入れを抱かせることは、有効で強力な販売手段なのだ。これが思い入れの正の部分である。

 しかしゲームの魅力を度外視すると、その付加価値についていけない者も出てくる。
 じつのところ、他人の思い入れというものはしんどいものだ。新規購入層(新人)がファン(ベテラン)に対して感じる溝は、こういうところに存在するのであろう。例えば「えー、前作をしらないの?」といった類である。これは思い入れの負の部分である。思い入れの正の部分が明らかなために、ベテランがこの負の部分に気が付かないことがある。こういったことはゲームだけに限ったことではない。ゲームの制作者側もベテランも、こうした思い入れの負の部分が最小になるように気を配るべきであると思う。

 ポーカーは知名度・支持・市場の規模において、これまでに挙げたゲームの中のどれにも負けていないメジャーなゲームである。ゲームは抽象化されていて、判断や意思決定の邪魔になる余計な情報はばっさりと切り落とされている。ゲームに思い入れの入る要素はほとんどない。これが逆に、とっつきのよさをもたらしている。水の満たされた容器から水が漏れていていたとしても、それに負けないくらいの勢いで水が注がれているとしたら、水の入れ替わりが激しくても、容器の中の水位は減っているようには見えない。あるゲームがメジャーを目指すとしたら、水を注ぐ勢いを強くする必要がある。

 これまでゲームの進化は、思い入れに強化されていたと思う(思い入れ自体悪いことではない)。私はいたずらにメジャーを目指すべきだとはいわない。だがとっつきのよさはゲームの衰退を防いでおり、その点メジャーなゲームはその参考になる。これはゲームに限ったことではなく、他のジャンルにおいても、そのジャンルの純粋な魅力を意識し、付加価値(が生み出す思い入れとその経済効果)、とっつきやすさ(新規購入層の開拓)を意識することが、衰退を防ぐ要因になってくれると思う。
 自分がひいきにしているものが衰退していくさまを見ることは、とても辛いことだ。このコラムが少しでも制作者やファンのお役に立てれば、と私は思っている。

(2002年3月5日)


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