ゲームと物語の交差点その1 ゲームと物語


 私はこれまでゲームブックを、ゲームの視点で語ってきた。しかし周知の通り、ゲームブックにはゲームだけでなく、物語の要素が存在する。これから私はゲームブックの物語の部分に触れようと思う。

 私は文学に詳しくないが、少なくとも人を楽しませようとするために作られた物語・小説には、ある要素が盛り込まれている。それは障害物とその克服だ。人を楽しませるあらゆるものに共通する要素は「緊張」と「緩和」であり、障害と克服はその手法の一つにあたる。
 これは、私が以前「思い入れの功罪」で紹介したゲームの定義に似ている。
 “ゲームとは、目標に向かって障害物を乗り越えていく、意思決定の連続である。”
 “ゲームの純粋な魅力とは、障害物を乗り越えることと、感情移入である。”

 また物語や小説には、削り取れるものは削って、シンプルで読みやすいものを求められている。これもまた以前「メジャーなゲームを考察する」で紹介した、ルールの抽象化に似ている。
 “メジャーなゲームの特徴は、抽象化されたルールを持っていることである。これによって、必要でない情報はばっさりと切り落とされる。”
 “抽象化は、ゲームの密度を高める効果がある。”

 せっかくだから、もう少しゲームと物語に共通する障害物について書くことにする。
 障害物の中でもとりわけ大きいものは、葛藤であると思う。
 しばしばゲームや物語のテーマにもなっている。
 選択肢の重さに判断を悩まされる状況を葛藤というのだろう。
 選択肢の重さとは、

・判断材料につながる情報が存在する。
・どの選択肢も、もっともな理由がある。
・そしてその選択が、今後明らかに事態の変化を遂げる。

 さらに選択肢の重さに逃げないように、防衛本能を刺激してみる。

・このままでいくのはまずいということが明らかである。
・被害を及ぼしたくないところに影響が現れる(可能性がある)。

 以上はゲームにも、物語・小説にも障害物が共通するという一例である。

 ゲームと物語には非常に似通った面もあるところから、ゲームに物語を持ち込むことは可能であると思っている。というか、そうでないと私のひいきにしているゲームブックは存在しなくなるのであるが。

 ゲームと物語の相似点を述べてきたが、少しは違うところも書いておこう。
 ゲームは一般的に、記号と計算によって表現される。それに対して物語や小説は、言葉によって表現される。映画だったら、映像と音声だ。
 ゲームだったら、表現された記号と計算をもとに、プレイヤーは次の一手を考える。記号と計算を情報とするならば、ゲームの中で言葉は、必ずしも必要な情報とはいえない。ゲームの中で期待されている言葉の役割は、記号と計算の表現であると思う。つまりゲームは記号と計算によって表現され、記号と計算を言葉で表現するという方法もありうるということだ。これがゲームと言葉、ゲームと物語の関係であると思う。

 ならばゲームブックはどうなのか。ゲームブックはゲームなのか、物語・小説なのか。その複合か。これは作者の考えによるところが大きい。
 ゲームと物語・小説はゲームブックにどのように交じり合っているのか。これはに書こうと思う。
(続く)

(2002年3月14日)


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